裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

6日

日曜日

傾向と大作

 創価大学入試テキスト。朝7時半に目が覚める。同室の鈴木くんのイビキが聞こえる。たぶん向こうにはこっちのイビキが夜中じゅう聞こえていたろう。鈴木くんのもなかなかであるが、睦月さんのイビキに慣れている身には可愛いもんである。談之助さんに言わせると、睦月さんのそれは毒蝮三太夫のに匹敵か、あるいは上回るそうである。“芸人では蝮さんが一番でしょう”とのことだが、『侵略者を討て』の仮眠室のシーンは、ありゃ真実だったのだな。

 朝湯に入り、食堂で朝食。礼ちゃん夫妻、“いやあ、マンマルバやられちゃったよお!”と言いながらやってくる。部屋でハリケンジャー見ていたらしい。旅先でもオタク精神忘れぬこの根性、いいねえ。今日は昼が末廣庵のソバなので、軽めに。茶碗の飯の半分は納豆で、もう半分には温泉卵を乗っけて食べる。9時まで腹ごなしにゴロシャラとして、階下のロビーでテレビ見ながら鈴木くんたちと雑談。こっちの新聞には、今日になって平凡太郎死去の記事。同じ業界の談之助さんも、まだ生きていることを知らなかったと言う。芸能人の訃報で一番もの悲しいのは、最盛期の輝きを知っている人が、何十年か後に“あ、まだ生きていたのか”という状態で亡くなることである。人生に必要なのは、成功のバランスよい配分なのだ。モノカキもそうだが、売れることばかりを考えていると、売れたその先ということがどうしても考えられなくなる。例えば20代で売れて、40歳まで売れ続けたにしろ、人生75歳として、その後が35年間もあるのである。人生の最盛期というのは後に後にとズラして設定しておいた方がいい。

 いい、と言ったってそう自ままになるものではない、と思うだろうが、例えば自分のキャラクターを、若さにまかせてバカをやるタイプ、と規定している人というのは30歳を越すと途端に仕事がこなくなる。“後から補充の効くタイプの存在”というのは、結局使い捨てになりがちなのである。先端情報を追い求めるタイプのモノカキというのも、旬は30代半ばまで、であろう。その年代になるともう、取材先の進歩に追いついていけず、努力して追いかけていたところで、リアルタイムで先端を体験している世代に絶対に追い越されていく。長持ちばかりが価値ではないことは当然だが、“食っていく手段”としてフリーの職業を選び、それで家族を養っていこう、老後を安定させよう、と考えるなら、賞味期限の長い分野を選ぶこと。これは入社のときに将来性のある会社を選ぶのと同じ、人生の選択である。

 ホテルの玄関先をぶらつく。去年来たときは大きなヤママユのハネがあちこちにやたら散乱していたが、今年はそれほどでなし。それでも十数匹、クモの巣にかかったり、ハネが散っていたりして、ゴチちゃん気味悪がっていた。さすがにヒコク氏はゆうべの今朝で寝過ごしたようで、11時に来るというのが遅れる。しなの路へ行ってコーヒー飲みながらバカばなし、オタクばなし。オタク的知識のないゴチちゃんに礼次朗が懇切丁寧に“円谷英二というのはね”などと教えてあげているのが面白い。礼ちゃんが“しかし、どうしてセミ人間どもというのは、地球を征服するのに、あんなガラモンみたいな非能率的な怪獣を送り込んだのかね?”と言うのに、開田さんや談之助さんが説を述べる。私は“あれが地球征服のためというのは一ノ谷博士の勝手な推測で、ホントはガラモンというのはチルソニア星のネコみたいなもんで、増えすぎたので地球に捨てに来たんじゃないか”と言う。“ありゃ、みんな捨てネコ?”“そう、あの星のネコなんだよ。ガラダマってのはマタタビみたいなもんでさ”“ああ、それで吐くのか”“毛玉かい、あのゲロは!”。

 ヒコク氏に頼まれてまた色紙。本職の礼ちゃんと開田さんがいるので豪華なものになる。礼ちゃんが描くと昨日のタマちゃん花火が凄まじいものになる。そう言えば彼の手の甲の水ぶくれ、すさまじい状態になっていた。昨日、モロに火花を受けたらしい。みんなうらやましがっていた。私は『笑うクスリ指』にサインを頼まれる。やはり一般人にはこの本が一番受ける。ナシをご馳走になるが、南水という、ジューシーで糖度も高い品種で、ゴチちゃんが“おいしい!”とやたら感激していた。

 そこからヒコク氏のバンに乗り合わせて末廣庵へ。ヒコク氏は店があって行かれないので、鈴木くんが代わりに運転。“バンは運転したことがないからなあ”と最初、おそるおそるで、“K子先生なら、絶対乗らないね”“「こんな病気持ちに運転させるのッ!」って叫ぶね”“一人だけタクシーで来るね”とみんな楽しげに噂。くしゃみをしていたことであろう。しかし、運転させてみると鈴木くん、なかなかの腕で、バックしての駐車場入れなど、ヒコク氏よりよほど上手であった。ヒコク氏の運転が男らしすぎるという説も、ある。

 ここらへんの道案内はいかにも単純。鈴木くん“末廣庵というのはどう行くのですか”ヒコク氏“あ、ここを真あーっ直ぐ行ってね、途中で分かれ道が一カ所あるけども、そこで曲がらないで真あーっ直ぐ行くとあるから”。鈴木くん“ホントにそれでいいんですか?”と半信半疑ながら真あーっ直ぐ行くと、やがて山道になり、ホントに奥の院・末廣庵に到着。例の、三遊亭白鳥にソックリの主人に今回も会える。白鳥サンに似ているというのは、顔もそうだが、ソバ屋の主人のくせにTシャツに半ズボン姿、というその格好にもよる。笑顔が得意でない人らしく、何か不機嫌そうにウロウロしており、怒ったような口調ですれ違いざま私に“今日からいよいよ新ソバだ!おすすめは松茸ご飯にマイタケの天ぷらだ!”と、かすれ声でつぶやくように言う。 こりゃ、町中で商売は出来んわな。

 昼時ということもあり、ドライブ客の家族連れ、バイカーたちで大にぎわい。何とか四人づつの席が取れる。私は当然三枚盛り、それと店主おすすめの天ぷらと地ビール。突き出しはいつでも芥子菜の漬け物で、この芥子菜と地ビールが実にあう。私はあやさんたちと違ってあまり地ビールというのは好まないのだが、ここの芥子菜と一緒に飲むと(空気のせいもあるんだろうが)最高。ところが、この芥子菜漬けが、この店のオミヤゲ売場にも、どこの店にもないのである。野沢菜ばかり。ソバはいかにも信州らしい薫り高い田舎ソバ。一口目はツユなどつけずにすすり込み、新ソバの芳香を楽しむ。三人前があっという間に腹におさまり、あやさんのもてあました分まで二箸ばかりいただく。天ぷらは味わい濃厚、マイタケももちろんいいが、茄子の甘味に仰天(はオーバーに聞こえるかもしれないが、いや実際)する。

 ソバ屋のせがれである加藤礼次朗がここのソバをどう思うか、談之助と興味津々で見ていたが、やはり、ツユで食わせる藪ソバ系の店のせがれとしては、ここのソバは邪道であるらしく、“麺っ食いの人にはここは最高なんだろうねえ”などと口を濁していたのが面白かった。そう言えば彼の結婚式の二次会で、新郎の父である親父さんが自ら(モーニングを脱ぎ捨てて)茹でてくれたソバを、どんぶりでわんこソバのように次から次へと強いられて感動したのも懐かしい。結婚式二次会の食い物としてはあれ、最高だった。

 天気はよし、ソバはうまし、おまけに日曜で店はごったがえすありさま。女の子連れも多く、談之助さんは目を輝かしていた。店員さんたちもてんてこ舞いの中、一番てきぱきと指示を下していたおしゃれな眼鏡に鼻ピアスのお姉ちゃんが、ここの店主の娘。親父さんはソバ打ちが済むと用事がなくなり、表をウロウロしていて、ときどき手伝おうと、席の空くのを待っているお客さんの名前をメモしたり注文を先にとったりしているが、手際が悪く、娘さんに“お父さん、しっかりして!”と叱られていた。帰りがけ、また私に向かって不機嫌そうな、しかし機嫌いいんだろうなと思える声で“マタ来テネー!”と言う。

 さっきの路を逆にたどってしなの路へ。途中、ガソリンがほとんど切れていたのでスタンドで補給。帰ったしなの路で円丈さんがこの伊賀良に来て狛犬探索ツアーをしたビデオなどを見る。コーヒーをご馳走になり、満足、まんぞくと腹をさすりながらつぶやく。まったく、ヒコク氏にはお世話になりっぱなしである。長野ではいろんなものを食わせてもらっているが、この『しなの路』の名物というソースカツ丼だけはまだ食べていない。談之助の奥さんがカツ弁当を作ってもらっていた。バスが2時なので、また停留所前のみやげもの屋『リンゴの里』で買い物。材木ほど太いエリンギと、さっきの天ぷらの甘味を忘れかねたので茄子を購入。他に、普通一般のハチノコの倍は大きい“スズメバチのハチノコ”というのがあったのでこれは話のタネにと二タ瓶(メーカーが違うもの)買い込む。山は完全紅葉にはまだ間があるが、空を吹く風は冷気を帯び、山の向こうはすでに白いモヤがかかり、冬支度という光景である。談之助と、これでもう帰るとすぐ冬コミの支度で、今年も暮れていくんだなあ、と話し合う。鈴木くんとはここで別れる。彼は前の職場をやめてから、一年ばかりは退職金で悠々と車で日本を旅行して暮らす、という優雅な身分。これから新潟に向かうという。ヒコク氏に道を訊いたら、“ああ、新潟はこの道を真あーっ直ぐ……”と、またそれかい。

 帰りのバス、双葉インターまではスイスイと行く(ここ、行きと帰りで店が違うということに初めて気がついた)。うまい牛乳を飲み、焼きたての五平餅があったのでそれも買う。礼ちゃんも同じものを買いながら、“さっきあれだけ食ったのに、また食う食う”と自分で呆れていたが、長野のいい空気の中では腹も空く。そこから先はトンネル内の事故とかで渋滞に継ぐ渋滞。さすがにこのメンバーでも口数少なくなって、ほとんどの行程を寝て東京まで。7時15分過ぎ、東京着。K子に電話、幸永で晩飯を食おう、と言ったら、礼次朗夫妻と談之助夫妻もそれに合流とのこと。開田夫妻とのみ別れて、残りのメンツは大江戸線で東新宿へ。幸永、さすが満員で30分ほど待つ。そこへK子も合流。“どれ、どこを大ヤケドしたの?”とかます。デジカメの写真を見せ合ったり、来年のツアーを企画したりとワイワイやりながら、ホルモン 食って、11時過ぎ、帰宅。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa