裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

26日

土曜日

ご新造人間さんえ、鉄也さんえ、キャシャーンさんえ

 いやさキャシャーン、久しぶりだなあ(ブライキングボス)。テレビ番組の夢を見る。『右翼を捜せ!』という番組で、視聴者の家にカメラが上がり込み、例えば日の丸の旗を飾っているとか、菊の紋章のついた家具があるとか、どこかこっか一般家庭に右翼っぽいところを見つけだすという番組で、司会が藤村有弘。朝7時半起床。朝食はK子にオムレツ、私は豆スープ一杯。果物は二十世紀。コンビニではまだ二十世紀を売っている。テレビでキム・ヘギョンの画像がやたら流れる。中学校の同級生でHという子がいたが、まさに瓜二つで、彼女の子じゃないかと思った。産経新聞編集記は数日前、ノーベル賞にかこつけて超能力肯定の文章を載せ、と学会MLで山本会長が憤慨していたが、私はこのキム・ヘギョンを“美少女”と表現した昨日の編集記の方がトンデモなのではないかと(以下差し障りがあるので略)。

 仙台のあのつさんから、野菜と米が届く。サトイモ、白菜、キャベツ、茄子、ホウレンソウ、蕪、大根など山のよう。いずれもそこらの上品な八百屋で売っているものとは違い、いかにも土の栄養分をそのまま凝縮しました、という迫力ある形状と大きさである。こういう野菜を目の前にすると、“頼もしい”という言葉がまず、頭に思 い浮かぶ。

 K子は仕事がつまっていると、やたら早めに家を出る。こっちは家でシコシコと仕事。長野のヒコク氏から、飯田の図書館で廃棄処分になった本にカラサワさんの好きそうなのがあったので……と先日、段ボール箱一箱分、本が届けられた。これの整理をする。面白そうなものがいろいろあるが、昭和6年自由荘発行の『佛教暴露』(高津正道)が面白い。著者は広島県出身の社会運動家で、日本共産党の創立にも参加した後脱退、広島に中国無産党を結成した。戦後はやや穏当な活動に転じ、日本社会党結成に参加、衆議院議員を5期勤めた人物だが、この本執筆当時(38歳)はバリバリの無産活動家で、言を極めて宗教をののしっている。
「近代科学の登場と共に、宗教なるものは滅んで了ふべき筈のものであつた。天に存します神と言ひ、西方浄土と説くも、地球が自轉しつゝ太陽の周圍を回轉するといふ簡單明瞭な事實の發見の前に、どうしてその種の説を信ずることが出来ようか?」
 そして、“サヴェート・ロシア(原文ママ)に於いて、子供は宗教を知らず、青年は宗教に反対し、壮年老年は宗教を忘れつつある新事実は、今世紀に於ける人類の注目すべき新現象である”と高らかに宣言している。それから幾星霜、その世紀の末になってロシアは社会主義を捨て、宗教もまた復活した。人間というものは著者とその同世代のインテリたちが夢想したほど近代的思考をありがたがらなかったのである。先端を行く者はいつの時代にもいる。彼らは愚妹なる民衆を啓蒙し、その先頭に立って社会を改革しようという理念に燃えている。しかし、現代の大衆は、実のところ、あまり頭のよすぎる人にはついていきたがらないものなのだ。それは、まさに歴史の上で、こういう頭のいい連中にひきずられてひどい目にあった例を、山ほど見過ぎているからである。

 大衆の大部分は進歩を喜ばず(“便利”は喜ぶが)、安定と、無変化の方を選択する。このどうしようもない、と時に思える保守性こそが、これまで幾たびか、頭のいい連中に世界が引っかき回されてきたのを旧に修復してきた、治癒力足り得ているのである。今、世の中は変わったとか変わるとか、終わったとか始まったとか、新しい現実がどうとかこうとか言って頭のよさを誇示している者たち(私は“アタマイイ芸人”と呼んでいるが)が、今後日本をどういう方向に引っ張ろうとしているのか、興味もないのでよく知らないが、彼らも結局、この著者と同じく、結果として歴史に嘲笑されて終わる。それだけは確かなことであろう。

 昼はカキフライが食いたくなり(『ぶらり途中下車の旅』の影響)、外へ出てキッチンジローでカキフライ定食。食後HMVに寄って、古い海外2流(B級ともちょっと違う)アニメ作品を集めたDVDを買う。帰宅、仕事続けていたら鶴岡から電話。躁病的に“いかに自分がスゴい大物になったか”をえんえん語って、“カラサワさんはもう過去の人です”とか言う。煽られっぱなし。何か悪いものでも食べたのではな いかと思う。電話を聞きながら北海道新聞原稿を書く。

 やっと解放されて夕刊を見ると、大物二人の訃報あり。一人は俳優リチャード・ハリス。ホジキン病にて死去、72歳。読売の記事では“『ハリー・ポッターと賢者の石』の魔法学校の校長役で知られる”など、ハリポタ関係のことでしか経歴を書いていない。これはいくらなんでもひどかろう。60年代から70年代にかけて、ハリスは英米をまたにかけてのトップスターで、『カサンドラ・クロス』や『ジャガーノート』などのアクション映画であれ、『キャメロット』『クロムウェル』などの歴史物であれ、『テレマークの要塞』『ワイルド・ギース』のような戦争物であれ、『馬と呼ばれた男』『サウス・ダコタの戦い』などの西部劇であれ、何でもござれの名優であった。その単なる娯楽映画俳優に収まらない渋みと存在感は、ハリウッド俳優ではない英国俳優、しかも英国人ではないアイルランド出身という出自のもたらしたものだろう。そう言えば演技派俳優が大挙出演した『天地創造』では弟殺しのカインの役をやっていた。根っからのひねくれ者、神に向かってもたてつくような役が似合っているのである。

 だからハリスが老バウンティ・ハンターに扮して、ジーン・ハックマンの悪徳保安官に徹底的にボコにされるクリント・イーストウッドの『許されざる者』なんかは見たくない、と思ってしまうのだ。『クロムウェル』でアレック・ギネスの首さえチョン切ったハリスが、ハックマンなんかに負けるというのは、どうしても納得いかないのである。さて、今後のマスコミの訃報欄では、ハリポタ以外の彼の代表作に何を挙げるか。ポピュラー度だけで『ナバロンの要塞』などを出すところが多いだろう。あの大作のときはハリスはまだほとんど無名の青二才、冒頭の英国軍パイロットというチョイ役でしかないんだが。私のお気に入りは日本では封切年における興業ワースト記録を作ったという、ジョン・フランケンハイマーのおふざけアクション『殺し屋ハリー・華麗なる挑戦』で、ハリスはじめ、チャック・コナーズ、エドモンド・オブライエン、ブラッドフォード・ディルマンなどというクセ者役者が全員オーバーアクト満開で楽しませてくれた。林海象や三池崇史など、この映画からだいぶ影響を受けているはずである。この映画でハリスはモデル出身のアン・ターケル(17歳年下)と出会い、結婚したのだが、どうもこの女はサゲマンだったらしい。それ以降のハリスの主演映画は、『オルカ』『黄金のランデブー』『未来元年・破壊都市』などと何かパッとしなくなり、日本公開作品も減って、主演俳優の座からとうとうすべり落ちてしまう。そして、彼女と離婚した1981年、サーの称号を得て、それからは脇役ではあるが光る演技がまた認められ、晩年の作品歴を充実したもので飾ることになるのである。

 そしてもう一人、日本を代表する名エッセイスト、山本夏彦氏が胃ガンにて死去、87歳。ハリスと同じく反骨とひねくれが売り物であった人である。ここ10年くらいのエッセイはさすがに同じことを繰り返すばかりで力量が衰えた感があったが、これまたハリスと同じく70年代半ばから80年代にかけて、私は、いや私ばかりでない、読書のし過ぎで名文中毒になった本好き連中、こぞって山本夏彦エッセイのトリコになり、賛仰者になり、信者となった。徹底した保守主義者で、一部の左翼からは批判もあったが、その文章の、一種居合抜きにも似た切れ味の凄みは、大げさに言えば“日本語というのはここまで洗練されうるものか”という驚きを読む方に与え、思想の左右を問わずファンとなるものも多かった。タクシーを最後まで“タキシー”と表現する、時代錯誤と言いたくなるほどのガンコさと、そのくせテレビのアイドルの変遷などにやたら詳しいジャーナリストとしての好奇心を合わせもっていた。お年寄りの医療費を無料に、とマスコミが言えば『タダほど悪いものはない』と書き、世界がアポロに熱狂すれば『何用あって月世界へ』と書き、“月は行くものではない、眺めるものである”と名言を吐いた。一握りの進歩主義者たちが大衆を蔑視し、先端こそ文化人の居所と騒いでいるとき、ただ一人、新しすぎるものが万人にいいものであるわけがない、と書き、一人の天才に大衆がくっついていった歴史の悲劇を語った。
「ヒトラーもスターリンも、今は犬畜生だが、以前は神人か天才だった。天才なら仰いで一言もなくついて行けば、どこかへつれていってくれる。そこはいいところに決まっている。自分の考えもなく、言葉もなく、晴れてみんなで追従できるのだもの、こんなうれしいことはない。万一しくじっても、それは天才のせいで、凡夫のせいではない。昔なら英雄豪傑、今なら革命家の出現を、いつも、彼ら(また、おお我ら)は待っている。待っていれば、いつかは必ずあらわれる。私はそれをとがめているのではない、とがめて甲斐ないことだから、ただ無念に思っているのである」
                (『毒言独語』より『大衆は大衆に絶望する』)
 さっき『佛教暴露』のところでも書いたが、私は山本氏よりももう少し、大衆というものを信頼している。しかし、その弱さも十分に認識しているつもりだ。とまれ、大衆よ、大衆に絶望するな。天才を待つな、という私の根本の思想は、山本夏彦をその根元とする。つつしんで冥福をお祈りし、あわせて出版書律に、彼がそのひねくれ精神で最後まで復刻を認めなかった戦前の名訳『年を経た鰐の話』を、ぜひこの際に復刻していただきたいとお願いするものである。

 北海道新聞原稿、400時詰め原稿3枚弱に5冊の本の紹介を入れるというのは、毎回やっているから気にもならないが、これはかなり無理のある作業なのではあるまいかと思う。思いつつまとめて書き上げ、メール。それからタクシーで銀座4丁目交差点まで。三越前でK子と待ち合わせ、昨日昼を食った蕎麦居酒屋『蕎の蔵』へ。まあ、思い立ったらすぐ試してみよう、ということで。突き出しはエビの煮たのとキンピラで大したことはなかったが、次に頼んだ枝豆豆腐とイカソーメンはなかなかだった。カウンターに座ったので、ガラスの奥でピラニア軍団の野口貴史そっくりの店長が焼き物をしているのが見える。その奥の調理場が広いのに感心。ネットで検索してみると、7時以降はまず、満員を覚悟せよとのことだったが、8時に入って、客はほとんど私たちだけというガラガラ。土曜日だからか、と首をかしげたが、半を過ぎたあたりから、5人、7人という大人数の客が入ってくる。それもほとんど中年のおばさんである。たぶん、歌舞伎座がハネたあとの客ではないか、とK子と推理。

 焼き物はつぼ鯛を頼んだが、これが半身で差し渡し三十センチ以上はあるという巨大なもの。つぼ鯛という魚がこんなにデカいものとは知らなかった。食べきれるか、と心配したが、あっさりとした風味で、案外簡単に腹におさまる。それと山芋の網焼き。山芋を半本、丸焼きにしたもので、それを半分に割って、バタとカツブシがかけてある。これは実にうまかった。ホクホクして、ジャガイモより癖がなく、K子も絶賛。本日のヒットである。で、あとは蕎麦。田舎蕎麦を頼んだが、不思議なことに、昨日昼に食ったものの方が香り高いような気がした。打ってから時間が立っているせいか、こっちに酒が入っていたせいか。K子が、もう一度来て、今度は細切りも試してみたいと言っていた。出かけるときは雨も止んでいたが、帰りにはまた降り出していた。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa