裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

12日

土曜日

カーヴァーも筆のあやまり

 レイモンド・カーヴァーみたいな苦労人でも、やっぱり間違ったことは書くよ。朝7時35分起床。夢でタコになった。タコになって、同じような軟体動物のメス二匹(一匹は同じタコ、もう一匹はなんだかわからない生物)と濡れ場を演じて、しかもお互い同士の焼き餅にホトホト困るという夢だった。艶夢というのか? 朝食、タモギタケのコンソメスープ。

 カーター元大統領のノーベル平和賞受賞のニュース。ブッシュ政権の対イラク決議に反対意見を表明しているらしいが、そもそもブッシュがイラン・イラクを悪の枢軸と見なしている起こりは、カーター政権時代にイラン大使館人質事件が発生し、アメリカがイランを“テロ国家”と認定した(1981)のが元々のキッカケである。この人の大統領時代に上記人質事件やアフガニスタン軍事クーデターなどが連続して起こり、それに強い態度で臨めなかったことで、国民の間に“弱いアメリカ”に対する不満の声が澎湃として起こり、それがこの人の一期での大統領選敗北、その後の反動的レーガン・ドクトリンにつながった。引退後の、各国へ精力的に飛んでの平和外交のまとめ役としての働きは十二分にノーベル平和賞に価する、と評価はしつつも、大統領としては落第生であった彼が、いまの政権を云々するというのはやや、スジ違いではないか、と私ですら思うし、世界も思うだろう。

 ところでノーベル賞と言えば田中さんの受賞会見のビデオが何回も三回も(これ、中学校時代に流行っていた言い方)飽きるほどテレビに流れているが、“最初、何かのビックリかと思いました”というセリフがどうも気になる。これは(田中氏の世代から言って)『ドッキリカメラ』のことだろう。アガっていて間違えたか、特定の番組名を言うと他局で放映できないから、と誰かが知恵をつけたか(NHKならそこだけ“すいません、さっきの会見に一カ所、放送できない言葉が入っていたんで、もういっぺん言い直して……)とやらせそうであるが。

 昼は母が伊勢丹で買ったタラコで飯茶碗一杯。それから原稿書きに入るが、どうも進まず。土曜日はダメよ、か。結局タイムアウトになり、4時半、家を出て銀座線で浅草。5656会館ときわホールで小野栄一芸能生活50周年記念リサイタル。会場近くまで行って、一瞬間違えたかと思ったほど、何も入り口(一階)に表示がない。エレベーターで6階まで上がって、やっと花束などが飾られていてそれとわかる。さすがに花束は都はるみ、坂上次郎とビッグネームがあって豪華。一番つきあいの深い芸能人である立川談志からは無し(毒蝮三太夫からはあったが)。まあ、出すようなタマじゃないか。

 受付のひとみちゃんと杉男くんに挨拶、ご祝儀いらないわよというのを無理に受け取ってもらい、席につく。200席ほどの会場、ほぼ満員。やれ、情けないことにはならなかったか、と、そこは親類のことでホッとする。舞台ではすでにパントマイムのちゅうサン(吉澤忠くん)と、二人チャップリンが始まっている。イキもあっているし、照明も、まず無難にプロの仕事でやってくれているので安心していたら、やっぱり! サイレントで進行して、一転、“ティティナ!”と伯父が声をかけ、曲が流れ始める……ところで、曲が出ない。呆れ返るミスである。やはり素人仕事。あちゃあ、と椅子に沈み込んでしまった。そこはベテランでアドリブを効かせ、“タラッタラタラタ、ラタラッタラタラタ”と口三味線でごまかしてはいたが、こりゃアカン、と思う。後で聞いたら、渡したテープが古い(いつも舞台のときに使っている)ものだったので、からまってしまったそうだ。芸術祭選考委員のいるときにこれじゃ、と頭を抱える(別に私がかかえる義理はないのだが)。結局、この第一幕はまったく最後まで音無しであった。

 それから、ちゅうサンのマイムで場がつながれ(久しぶりに見たが、私と同い年の筈なのに動きがさらによくなっていることに感心。客にも大ウケ。ゲストの方がウケていてどうすると別の頭で思うが)、続いて昭和歌謡史。へえ、これを中盤に持ってきたのか、と意外に思う。小野の一番の大ネタの美空ひばりを中入り前に聞かせてしまうのはショウ構成上、どうかと思う。まあ、この一幕はアコの近藤しげるさんの腕もあり、無難。数日前に白山雅一先生のステージも見ているわけだが、白山先生のは楷書の芸、対して小野は草書の芸。最近、その崩し方が特に顕著になってきた。歌まねとしては邪道だろうが、客席とやりとりしながら進めていくやり方は、舞台にパースペクティブが生まれて、ラスベガスかどこかのショーの形を思わせ、案外いい。ここらは老齢になって初めて出る味であろう。だが、声はさすがに聞いていてつらい。ときどき高音が出なくて、そのたびに“出ないネ”とつぶやくのが絶妙のギャグにはなっていたものの、最後の『哀しい酒』のファルセットが出ない、というのは、ひばりで飯を食っていた男にとっては致命傷では?

 ステージへの道具の出し入れをなんとブラッCがやっていた。中入りに舞台袖まで行ってご苦労様、と挨拶。彼が袖でのものの用意やなにかを全部やってくれているとのこと。杉男くんの言うところでは間際まで舞台監督が決まらず、前々日あたりになんと“俊一に電話して頼もう”と言いだして、杉男くんが“それだけはシャレにならないからヤメてくれ”と言ったそうだ。まあ、いつぞやの国立演芸場での会のときには、ただ見にいった私にいきなり照明を(次にいったいどういうことが演じられるのかもわからず)やらされたくらいだったからなあ。多分ブラ談次あたりからのつながりで、ブラッCになったものと思われる。とにかく、この取り合わせは珍であった。

 客の入りがいいことを杉男くんに言うと、“前回までは後援会とかにまかせきりでいたのを、今回は親父がせっせと足使ってチケット売ったからよかった”と言った。私は最初に“スポンサーをつけて、チケット販売などは全部そっちの方におまかせなさい”と主張したのだが、これに関しては伯父の方が正しかったのかも知れない。しかし、その反面、チケットをぎりぎりまで売っていたために、稽古が不十分だったのではないか、という不安も後半に対して湧く。楷書と草書、ということを杉男くんに言うと、“親父は崩しすぎ。草書どころか、ギリシア文字だよ”と。

 後半はまず、人形。ところが、今回はガッちゃん人形ひとつだけで、サッチモ人形も何もなし。結局、交通安全教育の婦警さんが小学校で聞かせるのと同程度の芸しか見せずにしまった。サッチモとのかけあいでの歌は、前回、オリンピックセンターでの舞台で、私が唯一、これは凄いと感服した芸である。なぜあれを出さないのか、と不思議だった。あの後電話で話して、“唯一不満はサッチモ人形がサッチモに似ていないことです”と言ったとき、即座に“そうだ、それを似せれば完璧だナ。すぐ、芸術祭用の人形を作るワ”と言い、例の決裂した浅草での会合のときも、最初は“まあ見れば俊ちゃんもオレの才能が枯れてないってことがわかるわ、凄い出来だよ”と自慢していたのではなかったか。腹話術を演じる基準がいま現在は、いっこく堂になってしまっている。彼に出来ないことを演じない限り、人形などやる意味がない。なぜそのことを口を酸っぱくして言って(しかも歌というその芸があるのに)それをしな いのか?

 次に三亀松のなりで出てきて、都々逸を聞かせるという趣向。ところが、脇に岡本文弥の弟子の宮之助さんが出てこれが三味線を全部弾き、本人はそれに合わせるのみであった。せっかく三亀松ゆずりというサイン入りの三味線を持って出てきて、一曲も弾けないのはひどい。一年前から準備をしていて、母にも電話のたびに三味線を習いに行ってる、と自慢していたのに、結局、モノにならずに終わったと見える。これは情けない。さらに言えば、着物の着付けがひどい。三亀松のイキさなどまるで感じられない、だらりとした着付けである。次に江戸の声色語りの格好で出てきたけれども、この着付けもちょっと……であった。しかもこの新内、何故か宮崎尚志さんの電子オルガンとの共演という、ちょっとアーティスティックなことをやっている。もっと高尚な舞台ならなかなか現代音楽と古典芸能の斬新な融合の試み、と評価されたかも知れないが、江戸の浅草の雰囲気を再現しよう、というコンセプトには合わない。おまけにさっきもアチャアと言ったように、音響が最悪。最後の新内のときなど、全部にノイズが入った。最重要の音がこれではと、なんとも言えない気分になる。それに、こういうことを芸歴50年の人間に言いたくないが、新内の代表的作品『蘭蝶』の、それも全部じゃなく一節くらい、カンペ(扇の裏に書き付けてある)見ないで歌えるくらいにはして高座にかけて欲しい、と思うのだが。

 それでもまあ、国立演芸場でやったときのような、段取りという段取り全部をトッ違えるといったドタバタもなく、スラスラと進行していっただけでも無事という感じであった。よく、“芸術祭は三度参加すればダレでも取れる”と悪口が言われるが、伯父の参加も今回で三度目、お情けでも取れればいいなあ、と、これは本気で思う。息子は“親父は、取ればテレビの取材や仕事がどんどんくると思いこんでるんだ。そんなわけねえだろうと言ってんだけど……”とのこと。これは同感ですが。嘉子伯母にも“お疲れさま”と挨拶。サッチモ人形はやはり出来てなくて、間際までああでもないこうでもないといじくりまわした挙げ句、完成しなくて諦めたらしい。これも、十年前のオノプロでの公演のときと同じ。

 伯父に挨拶。上機嫌であった。“アンタの言う通り、人形は少なくしたワ”と、なんとサッチモの未完成をこっちに押しつけようとしたには呆れた。これはしっかりと言っておかねばなるまい。とはいえ、終演直後にそんなことを言うのも何なので、無難に“楽しませていただきました。……ただ、ちょっと音響が”と言っておく。“そうなんだよ、ここの会場の音響が大丈夫、ウチに係がいるから、と言っておいてアレだからナ、アレで今日の舞台は90点になっちまったナ”と言うのに仰天した。本人としては、音響がよければ100点満点だと思っているらしい。“ブラッCが手伝ってたんですね”と言うと、“彼は慣れててトテモいい子だよ、今日のオレの着物の着付けも、全部彼がやってくれたんだ”と言う。アアー、それであんなセコな着付けになっていたんだ、と了解した(まだ最初の木久蔵さんのところに入門してからだって二年にしかならない男である。それに着付けしてもらわないと着物も着られないというのは、つくづくお仕込みのない人である)。毒舌とは思ったが、つい“なるほど、それでどうも、前座くさい感じの着付けになっていた理由がわかりました”と口にすると、“よく言うヨ!”と、あくまで上機嫌。まあ、今日はうまい酒を飲ませてあげたいと思ったので、そこで辞す。杉男くんの言によると、今日は客の入りが昼夜ともよくて黒字だが、6日のいろもの芸人大集合が大赤字で、それを埋めてトントンであろう、ということだった。“マア、今回はホントに家族だけでやったからナ、ヨソの誰にも迷惑かけないだけでもいいサ”と笑う。本当にひとみちゃんや嘉子伯母をはじめ、ここの家族は偉いなあ。私の親がこれなら、家庭内暴力ふるってもこんなことはさせないが。

 タクシーで渋谷まで帰り、待ち合わせていたK子と食事。最初パパズアンドママサンに行こうと思ったが休み、華暦はどうかと思ったがそこも電話に出ず。三連休はここらへんは火の消えたようになるのでどこも休むらしい。仕方なく船山に行く。いつものようなもの頼むが、カンパチのカマの部分の塩焼きが、これがカンパチかと思うくらい大きくて、美味であった。K子と雑談、ナンビョーさんのサイトのことを訊くが意気軒昂とのこと。ロシア語のことからノルシュテインの話、さらにアニメのことになり、耳の遠い象の話で『ツ○ボ』というのはどうか、というような鬼畜な話題。

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