裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

月曜日

ヴィトンに油揚

 ええい、ウチの客をとりやがって!(エルメス社員)。朝、6時起床。原稿を少し書いて7時にまた横になって、結局9時、クリーニング屋さんが来てチャイムで起こされる。自堕落も極まれりだが、朝寝の快楽というのはこの数年、したことがなかっただけに心地よかった。朝食、ミネストローネとコーヒー。雨蕭々たり。寒々とした 感じ。

 午前中、ササキバラゴウ氏から電話。いま、少年マンガの中に純粋な意味での“恋愛マンガ”が確立した時期と作品を調べているんですが、と、ちょっと意見を求められる。記憶にある70年代後半の状況を少しレクチャーする。ササキバラ氏は78年の『翔んだカップル』をその発端とする、という説らしいが、その前駆作品として少年チャンピオンの『ローティーンブルース』(望月あきら、確か74年頃から連載)を挙げておく。はしもとてつじが『いつも君がいた』を同じくチャンピオンに連載しはじめたのは確か76、7年頃と記憶しているが、もっと後だったかしらん。望月あきらはご存じ『サインはV!』などの少女マンガからのシフト組、はしもとてつじは長谷川法世のアシスタント出身で青年誌畑の人、やはり男女関係を少年マンガに持ち 込むには他ジャンルの血が必要だったということか。

 それからなんと12時まで、えんえんと、マンガの話、オタク史の話、その周辺事情の話。いろいろと差し障りもあることなので内容は書かない。ともかく、朝から随分熱く話をしてしまった。はしもとてつじ死去を知ったとき検索したサイトで『いつも君がいた』の思い出を語っていた人がいて、あのマンガで主人公がおさななじみの女性とセックスするとき、畳の上だったかフローリングの床だったかに押し倒すと、女の子が“背中が痛いわ”と言う。この台詞のリアル感に、当時のチャンピオン読者は大興奮したそうだ。私はもう当時少女マンガをかなり読んでいたから、ケッ、いまどきこの程度かよ少年マンガはよ、と思っていた。しかし、確かにそれ以来、少女マンガにも、何かと言えばこの“背中が痛いわ”が定番で出てくるようになった記憶がある。リアルなように見えて、これはマンガの様式的表現のパターンのひとつであろう。そもそも処女を喪失するのだ、背中が痛いどころじゃない、もっと痛いところはあるはずなんだが、それを言わずに背中の痛みでそれにスリ変えてしまうあたり、な かなかのテクニックではある。

 植木不等式氏からメール。今朝アップしていた日記にbk1のURLを書いたのだが、それが妙に長いものになっているのは、個人クッキーのせいだろうということで訂正してくれた。こっちもヘンだとは思っていたのだが、クッキーのせいか。御礼と言うわけではないが、今夜ベギちゃんたちと新宿で飲むのだが、ご一緒にいかがですか、と誘う。若い女の子二人と飲んだ、などと日記に書くとヘンにカンぐられるかも知れない。連れが欲しいと思っていたところである。まったく、中年はいらんところ にまで気を回す。

 メール連絡いくつか。遅れに遅れていた福原鉄平くんの『キカイ博士ノージルV』のオビ文、いくつか考えて幻冬舎あてメール。雨は本格的になってきた。レトルトのご飯でお茶漬けを一杯かきこみ、時間割で2時、二見書房Fくん。『怪獣論』進行の打ち合わせだが、それはすぐ終わって、あとサブカル業界人のいろんなうわさ話。知人関係で、ちと(家庭的なことで)シャレにならない話も。業界で自分を売り込みながら、しかし精神を安定な状態に保って生き残っていくことの大事さと大変さを、しみじみと語る。われわれモノカキは一般人の常識からいかに離れた思考をするか、がウリなのだが、そこでウケるからと過激に走ると、今度は乖離しすぎて戻れなくなってしまう。しかし、そのあたりの段階になると、もう自分のアイデンティティが異常性と同義になってしまうから、あとは崩壊の一途をたどるしかない。奥の席に座った女性二人組が、露骨にこっちをジロジロ見ている。たぶん、どっかで見た顔だ、テレビに出ていたような気がする、というようなことを話しているのではないか。テレビに出演をすると、それから一週間くらいは、こういう反応を各所でされる。で、一週間過ぎると、見事にピタリと止むのである。人のウワサも七十五日と言うが、今は十 分の一弱に縮まり、テレビの次の回の放送まで、と言うことか。

 帰宅して、少し横になる。昨日は鬱っ気だったが、その反動か目をつぶるとイヤに躁病的になり、なんてオレは偉いんだろう、的な妄念が頭に浮かぶ。斎藤茂吉が芭蕉の“岩にしみいる蝉の声”の蝉の種類について小宮豊隆と大論争した(結局負けた)とき、興奮した茂吉は“俺に逆らうものはみんな死ぬ”とおだやかでないことをつぶやいていた、と息子の北杜夫が書いている。似たような念がこういう精神状態のときには浮かぶことがあり、あ、茂吉のアレか、と思って苦笑するのである。

 7時、雨は小ぶりになった。出て雑用すませ、急いで新宿へ。紀伊國屋のエレベーター前でベギちゃん、宇多まろん、それに植木さんをひろい、『鳥源』へ。二回座敷で乾杯。ベギちゃんは目を赤く腫らしている。聞いたらアレルギーとのことだが、風邪から来る結膜炎ではないか? と思う。しかし、ヘルペスとか、よく病気の出る子だなあ、と免疫系統のことが心配になる。仕事が仕事だし。まろんちゃんは相変わらずクスリ類をしょっちゅう携帯。医者に自傷跡を見せたら向こうはさすがに驚きもせず、“ほう、有為転変の人生らしいね”と言われ、かなり気が楽になったという。

 ベギちゃんもまろんちゃんも、カレシがいわゆる業界人なので、交際範囲が濃い。だいぶそのあたりの人間関係情報を仕入れられる。それにしても、ここに書けない話ばかりなのが惜しい。二人とも、しかし崖っぷちを恐れないなあ、と感心。男は臆病すぎる。くすぐリングスの魅力をベギちゃん、
「女が脱ぐと、やっぱり男ってマジになっちゃうんですよね。こっちが脱ぐのを見て人が笑ってくれるような場所ってないかと思っていたら、アレに出会ったんです」
 と言う。ひょいと出た台詞だがかなり深い。それにしてもこの二人、持ってるネタはディープだわルックスは人並み以上だわボケぶりは申し分ないわ、で(これから売り込む商品なのでちょっと過大に褒めておく)、やはり風俗漫才、やらせましょうと植木さんと話す。どうも男たちは、脱ぐ子を前にすると、そこにしかこの子は価値がないのだ、と思い込みすぎる。もったいない。

 鶏をフルコース食って、二丁目まで歩き、いれーぬへ。ライターになるということだの映画に出るということだの、某業界有名人の新妻が実にイヤな女であるということなど話しつつ12時まで。タケちゃんが奥さんは? と訊くので、母について今、ニューヨークと教える。母のあちら移住の話をしたら仰天し、感心していた。まろんちゃんは帰り、ベギちゃんは知り合いの店にもう一軒回るという。目を赤く腫らしている子に少し飲ませすぎてしまった。彼女も、こっちへのサービスで飲んでくれていたのではないか。

 それから植木さんと、ソバ食っていきましょう、とへぎそば昆。若い娘二人を送りもしないで放っておいて、男同士でソバかよ、と思うが、まあ二丁目だしな、ヘンだとも思われまい(いいのか)。八海山飲みつつ、ちと出版とかフリーの職業の矜持だとか、アカデミズムというものは、とかについて真面目に話す。植木さんと知り合ってもう十年であるが、二人切りでこういうことここまでじっくり話したのは初めてかも。さるにても、今日は朝、ササキバラ氏と、昼はFくんと、夜は植木さんと、と、よくもまあ話し続けたことかな。2時過ぎ帰宅、独身も今日限り。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa