3日
木曜日
ナルト、チャーシュー、ルナティック
タイトルに意味はない。朝7時起床。朝食、自分はヒラタケとコンソメスープ。K子にはニンジンとヒラタケ炒め。これからしばらく、キノコづくしの秋が楽しめる。トイレに入り用を足すが、便臭まるでなく、室いっぱいに昨日の天然マイタケの芳醇な香りが満ちる。改めて天然マイタケの濃厚さを知る。やな知り方だが。
前田吟をクビにしたテレ朝のモーニングショー、今朝は時間全部を使い北朝鮮拉致被害者の死亡状況のニュース。ジャーナリスティック性を強調した新布陣だけに、さあ泣けさあ北朝鮮の非道に憤れ、とこちらの感情をつつく手際はさすがである。W杯のときに私、この日記に、国のカンバンを背負って勝つことの快楽を若い国民は改めて覚えたと書いたが、今度は絶対の正義カンバンを背負って、相手国家を悪の権化、卑劣の親玉、凶暴無惨な餓狼の集団と口を極めて罵倒することの快楽を知ったように思う。ね、ブッシュはじめアメリカ国民が、アラブに、タリバンに、ビンラディンに大々的にブーイングを送る、その気持ちのヨサがわかったでしょう。誰はばかることなく徹底的に憎悪の目を向けられる、天地容れざる無法の徒という存在は、実は、国家国民にとって必要な存在なのだ。自分たちが被害者なのであるという意識を持つこと(しかも拉致されたのが自分の家族ではないという立場で)は、ゾクゾクするほどいい気分なのだ。人は敵視の対象を求める生き物なのである。新聞もテレビも雑誌類も、さあ北朝鮮を貶せ恨め嫌悪せよ、これをせざるもの皆非国民であるの大合唱である。また、これが単なるアジでなく、北朝鮮にそれだけの指をさされる理由が実際にあるのが何ともうれしいではないか。人は快楽で動く。この流れがどこへ行くか私は知らないが、一旦快楽を覚えた若者たちが、くりかえしくりかえし、それをまた求め始めることは理の当然である。国は彼らを満足させるよう、動いていかねばならないだろう。
戦争は決して一人の独裁者、一握りの支配層の意志のみによって起こされるものではない。国民の総意が平和指向である状態で戦争が起こせるわけがない(ヒトラー台頭のときのイギリスがそうだった。チャーチルが後にあそこでナチスを叩いておけばと地団駄踏んだというが、英国民は戦争を支持しなかったのだ)。戦争が起きるときというのはすなわち、国民が戦争をジリジリするほど望んでいるときなのである。同時多発テロのときに非戦だ愛だと唱えていた文化人・アーティスト諸氏、今のこの状況にはなぜ危機感を表明しないのだろうか。今こそ北朝鮮の人々に愛を、というメッセージを何で出さない? 世界貿易センターで殺された人々と北朝鮮で殺された人々では命の重みが違うというのかね?
11時に母を迎えに行かねばならぬ。その前にクルー原稿書き上げてメール。正味30分でネタ探しから900ワードを執筆、校正、全部やって送る。不可能な字数ではないが、それにしても火事場のバカ力。タクシーで伊勢丹。昨日パンを買ったイタリア食料品店の前で待ち合わせる。何かこの店が気に入ったようである。K子と三人で、三笠会館に入る。まだ時間が早いのでいい席につかせてくれるが、母は落ち着かなげな様子である。もうお昼も近いのにこんなに空いていて、この店は大丈夫かしらなどと余計な心配をしている。なをき夫婦も来て食事。ゆうべ徹夜だったそうで、かなりくたびれている感じである。ハイなのはK子で、“まあ、お母様〜”と、身をクネらせる。よしこさんがその様子に大笑いしていた。ホタテとカブのサラダを母は食べて、“あら、これは覚えたから正月にみんなに食べさせてあげる”と、昨日のチャ イナと同じことを言う。素直においしいと言えない性格なのである。
彼女は人をもてなしての名人である。引退でこれまでの客達が涙を流して店先でオイオイと泣いたことでもわかる。しかし、それだけに、人にもてなされることは下手である。人の好意をストレートに受けることが苦手なのである。だからおいしいものを食べさせてもらうという好意の受動を、今度自分が同じくらいおいしいものを食べさせてあげる、という好意の能動に変換させないと落ち着けないのである。母が東京に出てくるたびに、何かしてやろうと思い、その好意に対するかたくなな(それが彼女の誠意なのだが)拒絶に出会い、こちらはイラつく。好意と好意のぶつかりあいだけに始末が悪い。まあ、それが親子というものだろう。普通の嫁だったらノイローゼになるところを、K子、よしこ、夕子の嫁三人がいずれも変人揃いなので、なんとかぶつかりもせずうまく行っているのである。店を出るころには、かなりな混雑になっている。母、アラ心配することもなかったわね、と言う。だから、アンタが何も心配する義理のあるとこではないのだって。いつもお馴染みのサービスの青年が私に、秋のメニューが変わりましたので是非、と言うと母が私に、まあ、生意気にお馴染みなの、と言った。
チャイナハウスから、今朝K子のところに、お母さんが手帳を忘れていったようですと電話があった。それを取りに母とK子は京王線の駅に行く。私は帰宅して、3時までに大急ぎで海拓舎『崖っぷちの名言集』のゲラチェック、各発言者のプロフィール調べ、書き足し追加(これが30本近く)、それに前書後書をそれぞれ1000文字宛執筆。これも火事場力である。ギリギリ3時にアゲて時間割へ。H社長に手渡して、ホッと一息。H社長からいろいろ話を聞く。『ブラック・ジャック・ザ・カルテ3』のことなど。MLでの原稿集め、日本全国からアメリカ在住の筆者までを結んでの打ち合わせの面白さにハマっている様子である。『と学会白書』の頃はパソ通のパティオを連絡に使うことすら“著者の顔が直に見えない”と嫌がっていたくせに、と言うと苦笑して、あの頃この方法を知っていればもっと充実した本がつくれたんですが、と残念がっていた。家で子供が本を読みたがるので、某世界名作を与えてやったら実に熱心に読んでいる。試みにその作品の版権を調べてみたらあと数年で切れるので、新訳詳注版を作って著名人の解説をつければ売れるのではないか、と言う。ここらの発想が出版人らしい。
4時45分、そこを辞去して、タクシーで伊勢丹にまた戻る。またまたパン屋の前で待ち合わせ。ただし、今度は時間が遅れたら地下二階の喫茶店ということになっているので、そちらに直行。K子と二人、母を羽田まで送る。モノレールより品川からの京急の方が安いし早い、というのでJRで品川まで行き、京急に乗り換え。特急というのがあるのでそれに乗る。ところが特急というから早いもんだと思ったら、やけにこまめに停車する。青物横丁だの平和島だの穴守稲荷だの、これでは各駅並みではないか、と思って路線図を見ると、呆れたことに京急線というのは特急よりも快速の方が速いということがわかる。考えてみれば特急なのに特急料金が取られない、というのがヘンであった。
それでも羽田に6時着。空港ビルの寿司屋でビールと白ワインで乾杯。空港の寿司屋とバカにしていたが、さすが羽田沖近くでネタはよろしく、母もご機嫌になる。ここが一番おいしいわ、と言うのに少しムッときたが、要は気をつかわずに済むのが彼女にとっては一番のご馳走、なのであろう。酢の物のイカがねっとりとした舌触りで母も絶賛。“正月に……”が出るかと思ったが今回は出なかった。私は鯛の握りの甘味に感心。アメリカ移住の件でK子とのやりとりをハタで聞いていると、17日からの、視察のアメリカ旅行はかなりの弥次喜多になりそうである(世界文化社DさんとK子のフィンランド旅行もかなりの弥次喜多ぶりだったらしいが)。母が“わたしゃ気をつかってくたびれたわよ”と言うが、こっちもたった二日でくたびれ果てた。生ビール二杯で酔っぱらい、母を搭乗口まで送って、リムジンバスで新宿まで。京急はどうも貧乏くさいところばかり通っていくので面白くない。窓外を見ながらいろいろ考え事。帰宅後、原稿少し書いて11時にもう就寝。