裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

5日

土曜日

すいかの尿酸値

 西瓜糖は尿酸値を下げるのに効果あります。朝7時起床。亡父と、料理にケチャップをかけるかかけないかで喧嘩する夢を見た。朝食、クロワッサンとカフェオレのみですます。朝刊に平凡太郎死去の報。69歳。子供のころからテレビでずっと顔を見ている人であり、もっともっと高齢だと思っていた。連絡先が弟子(仲良太郎、という名前がいかにも喜劇人)の住所になっていたが、家族はいなかったのだろうか。キネ旬の俳優名鑑には既婚、二女ありとあったのだが。先月、『てなもんや三度笠』のDVDを見たのが、たまたま平凡太郎の出ていた回であった。さすがに戦後軽演劇の黄金時代を担った人だけに、芝居は実にきちんとしていて、うまい。うまい人というのは逆にその後、生きていきにくかったろうなあ、と思う。出演作をネットで調べたら、『空の大怪獣ラドン』に出演しているらしいが、いったいどこに出ていたのやらまったく記憶になし。

 本日から私は長野に旅行、去年と同じ伊賀良の花火大会を見物に行く。メンバーは去年と同じ談之助・開田夫妻に加え、加藤礼次朗夫妻、さらに例の“慢性炎症性脱髄性多発根神経炎”の鈴木くん。鈴木くんは自分の車で現地で落ち合う。去年は事故防止のためわれわれヨソ者は火花を浴びさせてもらえなかったが、今年は実行委員長がおなじみ『しなの路』のヒコク氏の親戚だからいくらでも浴びられるというので、何をおいても、と参加した次第。K子は“誰が金かけてヤケドしに行くのよ!”と不参加。朝、荷物をイタリアで買ったリュックに詰める。ドテラ、タオル、それと焦げてもかまわない帽子(ヘルメットを去年は用意したが、やたらかさばるのと、どこへしまったか忘れたので持っていかなかった)。軍手が必要だと思ったので、開店してすぐの東急ハンズで一着買って、タクシーに乗る。運転手さん、私の重装備を見て、どこかへお出かけですか、というので、長野へ、と言う。今時分の長野には何があるんですかというので、鯉がうまい、と言うと、私は新潟ですが、新潟では鯉は食べるもんではなく眺めるもんです、と言う。ああ、田中角栄さんも錦鯉を飼ってたねえ、と言うと、ハイ、新潟では男が一人前になって家をかまえると、そこに必ず錦鯉を飼います、これは一家の主になったんだという、いわばシルシみたいなものなんです、と言う。だから角栄サンが家に鯉を飼ったというのを、東京の新聞はやれ悪趣味だ、やれ成金趣味だと囃しましたが、新潟の人間にとってはアタリマエのことに過ぎんのです、それを彼らはわかってけなしていたんですかねえ、と憤慨の様子。聞くと、弟さんは今でも地元で鯉の養殖をしているらしい。それは憤って当たり前かも知れぬ。

 錦鯉の養殖てな大変なんでしょう、と水を向けると、あれは水を何度も何度も換えなくてはならず、ちょっとでもその加減を間違えると全部がダメになるという。綺麗な色を出すためには、最初は濁り水の中で飼い、それから徐々に澄んだ水に替えていくのだという。“その濁った水の中に、将来あの綺麗な色になる元素が含まれておるのですな。最初からきれいな水で育てても美しくはなりません。子供は小さい頃は、濁った環境で、何でも吸収させるのが大事なんです。その経験が、大人になって、光り輝くモトになる”と、運ちゃん、錦鯉にからめた教育論をぶちはじめる。“一匹が錦鯉は数十万、数百万するものも珍しくありませんが、あれは最初数百匹を飼って、その中から淘汰して淘汰して、売り物になる一匹を育てあげるんです。その一匹に、残りの数百匹分の値段が重なっているんです。人材教育と同じですよ”と、天を仰ぎ(いささか運転中は危ない)“人間もそうです。毎年学校に何百人と入学しても、その中でモノになるのはただ一人。その一人を何百人の中から見つけだして育てあげるのが教育というもんで、それをするから選び出された一人は、残りの何百人分の責任を肩に背負って頑張る気になるんです。全員同じように育てようとしたってダメなんです。そんなやり方じゃあ、一人の優秀者も出せないまま、全部が全部平均以下で終わってしまう。今の日本がダメなのは、教育者が、その輝く一人を見つけだすことをせんかったからなんですわ”と、とんだところで教育憂国論につきあわされた。面白 かったが。

 新宿西口高速バス乗り場へ。地下にある売店兼待合室に集合。入って驚いたが、この待合室、このあいだまで非常にくすんでうらぶれた感じの場所で、深夜バスなどをここで待っていると、都落ちという感を十二分に味わえるシチュエーションだなあ、と思えた場所だったのだが、改装されてきれいになっていた。ちょっとがっかりしてしまうのは何故か? きれいで新しい場所にはドラマ性というものがないからであろう。一旦外のコンビニで買い物して帰ってきたところで、バスがどれかモメている加藤礼次朗夫妻に合った。10時半の集合で着いたのが10時32分で、“もう出てしまったんではないか”とゴチャついていたそうである。そんなギリギリに集合するわけがない。去年、花火を見たその足で後楽園に行き、撮ったビデオを上映してトークをした。加藤夫妻はそのとき客で来ていて、“来年はオレ、年男だから是非連れてってよ!”と頼まれたのである。

 11時、高速バス飯田行き発車。中央道は観光シーズンでしかも土曜、大渋滞が予想されるとのことであったが、何のことはないスイスイと至極順調。肝煎りの談之助さんが“早くつきすぎると困りますな”と心配するくらいだった。車中雑談。中野貴雄監督がなんとネットにハマって、加藤家で7時間もネットウォッチしていた(しかもそこを辞してからインターネットカフェで朝までやっていた)とか。凝り性のオタクの本領を発揮してホームページを立ち上げれば、また毎日の楽しみが増えるというもの。“最近、カラサワさんの日記にボクの名前が出ないのが寂しいから、新作を渡して”と頼まれたそうである。確かに、中野監督の名前が最後に出たのはいつか。確か夢の中に出て来たという記述があったはずだが(後で調べたら7月6日の記述)。

 双葉インターチェンジまではさんざ話しまくって、クタビレてその以降はみんな、早起きがたたって(私は普通だが)椅子にもたれて熟睡。3時半に伊賀良に到着したが、なんかアッという間に思えた4時間半だった。ヒコク氏はもう迎えに来てくれていた。時間が食事には早すぎるので、バンで飯田の貧乏神神社まで行く。地方の信金を退職したおじさんが夫婦で始めた神社だそうだが、そのユニークさがウケて、テレビなどでもしょっちゅう取材され、最近のここらの一番の観光名所になっているらしい。実際、何台も観光バスが留まっており、おじさんおばさんたち相手に神主さん、慣れた口調で大奮闘で説明していた。ネズミ男を思わせる貧乏神の木像にお賽銭を上げて、その前に立っているご神木を棒で三度ひっぱたき、さらに三度蹴飛ばし、豆をまく、というよりぶつける。ストレス解消には最適かもしれない。何でも大隅賢也がここにレポーターで来て、慰謝料貧乏退散を祈願した直後に、ブロードウェイミュージカルの出演が決まったとか。流行るに連れてオプションが増えてくるとみえ、隣りに『銭神神社』というのも小さく併設。こちらに三百円でお札を買って、K子へのみやげに“二兆円”と書いてぶら下げたところを写真に撮ってもらった。東京から来た作家さんや落語家さんたちだ、とヒコク氏が紹介したので、色紙を依頼される。飯田 インターをお通りになる方は話のタネにどうぞ。
http://www4.ocn.ne.jp/~je0jue/binnboukami.htm

 そこで鈴木くんと連絡がつき、バス停の土産物屋さんのところで彼と合流。一旦例の久米川ホテルに行って部屋に落ち着き、それから満を侍して鯉料理『見晴』へ。去年の花火のときは時間の関係でこれをトバしてしまったので、一年ぶりということになる。店の前の藤棚の木は、最初(1999年)に来たときには大ぶりのヒラタケが根本に群生しており、帰りにおみやげに新聞紙に包んで持たせてくれた。帰宅してからスープにしたり炒め物にしたりして食べたが、いや、ダシがいくらでも出て、あんなおいしいヒラタケを食べたのは生まれて初めて、という感じであった。とはいえ、木の根本にあんな大きなキノコが生える状態ではこの木の寿命ももう長くはないのではないか、と思ったが、今年はもう木の芯がすっかり枯れて剥き出しになり、かろうじて葉を茂らせている、という程度。

 もう、店先に立ったときから、香ばしい塩焼きの匂いが芬々たり。座につくとすでに卓上に背開きにした鯉の塩焼きがどーんとその偉容を誇って置かれている。丸焼きというのは、それが豚であれ鯉であれ、何かこちらに異様な興奮をもたらす効果があるようだ。人間の心の奥底に眠っている、狩の本能がくすぐられるのかも知れない。また、“まとまっている形を崩す”という行為は、食の本能の他に、幼児の破壊衝動に似た快楽をもたらすのかもしれない。砂の山を崩すが如く、四方から箸が延びて、“うほほほほ”と言うような奇声と共に、あっと言う間に鯉の姿は滅形する。十五分後には、眼肉からカマから塩で固められたヒレのところまで、つつかれ齧られしゃぶられて、骨ばかりとなっていた。

 もちろん、松茸も季節のものでちゃんと出る。籠に、羊歯の葉(なぜ茸の下に敷くのは羊歯の葉と決まっているのか?)を敷いて、形のいい松茸と、もう一種、黄金色の、クリタケかナラタケか町者なのでくわしくないが、旨そうな茸が盛られて出てくる。鈴木くんだったかゴチちゃん(礼次朗夫人)だったかがそっちの方を先に焼こうとしたら、仲居さんから“あら、ダメですよ、そんな雑キノコを焼いちゃ! 松茸を先に焼くの!”と叱られていた。せっかく出てきたのに雑キノコ扱いで名前も呼んでもらえぬこのキノコの立場って、と、ちびまる子ちゃんみたいなことを思う。

 まだ食いたりぬ、とばかりに、鯉の洗いを追加。待つことしばし、やがて大皿に盛られて運ばれてきたのは、鯉丸まる一匹分の洗いである。薄紅色の切片が、水に洗われてさわやかに、しかしその身に含まれた脂の輝きでキラキラ光を反射して華やかに並べられている。箸でつまみあげて、ホンの少々酢味噌をなすりつけ、口に運べばその甘味、その清冽な味わい、まさに川魚の王者のゴージャスさと純朴な信州乙女の素直さが同居している感じで、なにやら次々口にその身を含むのが淫猥な行為の悦楽をもってこちらの脳幹を刺激するかのようである。酒は地酒の喜久水、ぬる燗で口にふくむが、まるで喉にさわらぬ、地酒らしからぬ上品さ。鯉は水が清くなければうまくなく、鯉のうまい土地は酒もうまい道理である。新潟も酒どころ・鯉どころではあるが、しかし漁量豊かな日本海に面し、小骨の多い川魚などをあえて食料にする必要性を感じなかったのであろう。海のない長野は必死で、鯉を食い猪を食い、果てはハチノコやザザムシまで食ってタンパク源を確保しようとした。そして、その限定された環境ゆえの洗練を経て、この『見晴』の鯉料理がいま、我々の目の前にある。この上品さは、新潟出身の人には悪いが、彼の地の料理にはない。朝のタクシーの運転手さんが言っていた。“信州人はやはりスマートなんですな。野沢菜漬けってあるでしょう。あれ、長野の専売特許みたいに言われてますが、何、新潟にもあるんです。それを長野は、野沢菜漬けという地域特定の、スッキリしたネーミングで売り出した。新潟ではあれ、漬け菜というんです。これじゃ全国区にはなりませんな”。もっとも一方で“(長野の)連中は頭が良すぎるから、ひがみ根性も凄いんです。誰かが突出すると必ず足を引っ張ろうとする。田中知事が出たときの県議会の様子、見たでしょ?しかも選挙になったら、誰か一人に対立候補を絞ればいいものを、みんなが我を張り合って結局共倒れに終わる。あれが長野人の特長なんですわ”とも言っていた。長野県人の血が1/4流れている身として、なかなか心に残ったセリフであった。

 食ってさて、またしなの路へ戻り、そこから花火へ。今日は時間をずいぶん有効に使うことである。去年は上清内路という村だったが、今年は下殿岡村というところ。この近辺ではこの期間は、毎日どこかの村で祭りをやり、花火を上げるらしい。山奥も山奥という感じの上清内路に比べると、この下殿岡村はずいぶん開けていて、人家も密集というほどではないがかなりある。場所はその真ん中の休耕田。ここで打ち上げ花火をドカドカやる、というだけで東京では考えられない。実行委員長に挨拶して酒をふるまわれる。打ち上げ場所の回りを川(水路といった方がいいようなもの)がめぐっているが、そのコンクリの川岸に腰を下ろす。もう、目の前で花火が上がる一等席だが、みると川の中に立てられた木が真ん前で、その枝に全部、火薬が仕掛けられている(最初はオミクジか何かが結びつけられているのだと思った)。また、中に入らないよう張り巡らされているのだと思ったロープの、杭のところひとつひとつにも打ち上げ花火が仕掛けられている。うええ、こんな近くで炸裂するのか! と、やや恐怖にかられる。

 さて、打ち上げ。去年は山中のことで仕掛け花火が主であったが、今年は平地なので打ち上げ花火が主である。100発近くの打ち上げ花火が、次から次へと炸裂。東京で想像するような花火と違うのだよ。ドン、という打ち上げ音と、ボン、という破裂音、そして、その音とまったくタイムラグがなく(それだけ近距離なのだ)、見事な大輪の花が、視野いっぱい(いや、視野をオーバーするほど)大きく開く。空気がふるえ、硝煙の匂いがあたりに立ちこめ、空からは火薬を包んでいた紙片のカケラがふわふわと、時には火のついた状態で落ちてくる。脳内麻薬が出る興奮である。空を光が埋め尽くす興奮は十年近く前のアラスカでのオーロラ見学で堪能したが、人工であれに近い感動を味わえるとなったら、この花火だろう。しかも、オーロラは完全な無音の美だったが、こっちは音と振動と匂いつきである。花火に酔っぱらう、という経験は滅多に出来ることではない。談之助夫妻は完全に寝転がって仰いでいた。私は後にこの火花の饗宴を原稿に書く際の証拠として、傘に降ってきた火の粉を受けて、その焼けこげのついたものを図版に使おう、ともくろんでいたのだが、傘を出して脇に置いて、数分も経たぬうちに、もうどこにも見えなくなっていた。川に落としたかと探してみたがない。子供が持っていったか?

 花火の神秘性をうち消して、これが村祭りなのだ、と認識させるのは、放送のアナウンスである。一発々々の打ち上げ花火にはスポンサーがついていて、その名を冠したタイトルがついている。そのタイトルのバリエーションが、また数種類しかなく、“17番、下殿岡パチンコ店、ラッキーホール、の、にぎわい”とか“33番、下殿岡農業青年共同組合、の、華”などと、水泳のアナウンスみたいな口調で読み上げられる。『しなの路』も77番で読み上げられていた。連発打ちのスターマインなどだと、十いくつか、スポンサー名が読み上げられる。一発いくらなんですかね、とヒコク氏に訊いたら、スターマインで8万くらいだとのこと。おお、8万なら官能倶楽部全員から一万ずつ出し合って、“44番、東京、官能倶楽部、の、もだえ”などと題をつけさせて上げられるぞ。怪獣酒場なら“ゴジラファンたち、の、咆哮”、立川流なら“立川流、前座、の、破門”とか。連載持ってる各編集部諸兄、来年はこれ、合同大取材で、雑誌の名前を読み上げさせるっての、企画しないかね?

 もちろん、打ち上げばかりでなく仕掛け花火も多々あって、UFOが夜空を舞ったり、タマちゃんが耳と口から火花を吹き出しながら川を下ったり、いちいちえらい盛り上がり。二時間の光と煙の一大ページェントである。そして、その盛り上がりのクライマックスが言うまでもなく、柱の上に仕掛けた大三国の火花を浴びながらの気負いである。なんとこの下殿岡村ではヘルメットも用意していて、どんどんご参加ください、と放送で言っている。帽子の上にヘルメットをかぶり、ドテラに軍手、顔にはタオル、と、過激派なんだか火事場泥棒なんだかわからぬ格好で、御輿をかついで、火花の中へ、度胸を決めて飛び込む。ワッショ、ワッショ、と村の若い衆と声を張り上げて、頭からワーッと火花のシャワーを浴びた。……熱チチチチチ。当たり前だ、と思われるかもしれないが、熱いのに驚く。火花なんてもンは、直接肌に当たったところでそんなに熱かアない、と思っていたが、花火の火花というのは、ただの火花と違うのである。光を発するために、鉄の粉を熱して光らせているのである。その、溶けた鉄の粉がモロに当たる。首筋から手首から、パチパチ音を立てる熱い鉄の雨が当たるのである。肌に当たったものはすぐ落ちていくからいいが、軍手など衣服に取っついたものはその焼けこげにくっつき、ジリジリと焼けていく。左手の親指のところに大きなやつがくっつき、軍手はみるみる溶けて、いや熱かった熱かった。ズボンにも、ぼこぼこと焼けこげが出来る。それでもはしゃいでワッショワッショやっていたら、御輿をかついでいた右手の親指を突き指してしまった。痛いので、あとはかつぐのはやめて、太鼓(木の箱である、これをボコボコ叩きながら、やはり火の粉の中に飛び込んでいく)に回る。さすがによそ者にはしなかったが、村の若い衆は、逃げようとすると他の者が腕をつかんで火の粉の中に引きずりもどす。談之助は首筋にヤケドし、鈴木くんはプラスチック製の眼鏡レンズを溶かし、ヒコク氏は手の甲に大きな水膨れをこさえていた。それでもみんな、大興奮でヒーヒー言いながら、火の回りをハネ回っている。驚いたのは村の女性で、防火着をまったく身につけず、半袖、半ズボン姿で御輿をかついで踊りまくっていた人がいたこと。後で見ると、髪の毛など焼け焦げだらけである。興奮状態で、熱さなど感じないらしい。恐れ入りました。

 終わるとさっさと片づけを始めるのも何かあっさりしていていい。運転代行業者を頼んで(ヒコク氏にかなり酒が入っているため)ホテルに戻り、見晴のもうひとつの名物である五平餅(くるみ餡が最高にうまい)で缶ビール空けて、今日の花火の興奮と、いかに焼け焦げをつくったかの自慢大会。ヒコク氏、“いや、去年は火の粉を浴びられるから、と言って皆さんを誘ったのに、浴びられなくって、申し訳なく思っておったんですが、これでやっと約束を果たせました”と。ワイワイ興奮状態で、みんなで風呂に入り、いや充実した(し過ぎた)一日であった、とまた話が盛り上がる。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa