裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

27日

日曜日

武士は食わねど椋陽児

 貧窮してもSMはやめられない、ということ。ところで調べたら椋陽児氏は昨年7月、死去されていた。享年72歳。縄と女、というよりもっと露骨に言えば縄と少女というモチーフを追い続けた“絵師”。最近は絵師という言葉はSM画家を指す言葉になってしまった感があるが、ゲイジュツカをきどらず、しかしアートをはるかに超えてひとつのテーマを追い求める求道の心が、この分野にしかもはや残っていないということではないか。一年以上の遅れだが、黙祷。

 7時半起床。ハリケンジャー、後半のみ。巨大化した暴走マンマルバが暴れる夜の都会のセットは、ウルトラマンの様式を模しながらも、円谷とはセンスが微妙に異なるのが面白い。朝食、あのつさんから送られたブロッコリを蒸して。さすが、味が濃厚で美味。果物はフジリンゴ。この日記の読者の方からメール、昨日の日記のタイトルの表記についての質問。確かに見慣れない表記かも知れないが、“……さんえ”の“え”は近世において呼びかけの際に用いる終助詞の“え”なので、“……さんへ”と書いてはいけないのである。発音のときは“エェ”、または“エィ”という具合に(ただしあくまで具合程度に)延びて、少し語尾が上がる。

 他にメールチェックをしたら、ウイルスらしいものが9通も来ていた。削除作業をしていると、加藤礼次朗先生から電話。“いま、上野の世界傑作劇場で、『不思議の国のゲイたち』やってるよオ!”ということである。昨日、上野に用事があって夫婦で出かけ、そう言えば世界傑作、いまどうなっているのかなあ、と、まだ見たことがないというゴチちゃんつれて行ってみたのだそうだ。そしたらそこにかかっていたのが自分の出演している作品だった、というオチ。人間にはどうも、こういうオチが必ずつく星の下に生まれたタイプがいるのではないかと思う。ポスターは手描きだったそうだが、そこで記念写真撮って帰ってきたとのこと。Web現代の次は何をネタにしようかとあぐねていたところだったので、これは非常にありがたい情報であった。礼ちゃん曰く、
「下の方の映画館では(世界傑作劇場は二階にある)『スズメバチ』やっていてね、いや、まさに上と下でこう、刺しつ刺されつ、という・・・・・・」

 昼は兆楽でチャーハンと餃子。半チャーハンにすればよかったと思いながら全部、食べてしまう。旭屋書店に行くが探していたものなし。もっとも、期待もせず。紀伊國屋のサブカルコーナーは最近タレント本ばかりで私のものなどほとんどないが、ここはちゃんとコーナー作ってくれていて、平積みにもなっている。目立たぬところではあるが。

 半蔵門線で三越前まで、そこから銀座線に乗り換えて上野。ただし、乗り換えがえんえんと歩く。左足の関節が痛みだす。上野について、世界傑作劇場まで歩いていくのに、二回ほど休まねばならなかった。使い捨てカメラで『不思議の国のゲイたち』ポスターの写真を撮ろうと思ったが、日曜昼間というのに(だから、か?)出入り激しく、明らかに映画館の中で出来たカップル(背の高いモデルみたいな青年と、さえない中年サラリーマンの二人)がいそいそと出てきたりして、結構なことである、とほほえましくはあるが、なかなか写真が撮れない。下手にフラッシュ焚いて撮って、偶然写った人から訴えられたりしたらシャレにならない、と思い、遠くから数枚撮っただけ。やはりあとで講談社のカメラマンに撮ってもらおう。

 JRで帰宅。その頃には足も回復。車内で読売ウィークリィの『ITが子供の脳を壊す』を読む。例の『ゲーム脳』本からのインスパイア企画であることはあきらか。とはいえ、特集の大部分は小児科・情報教育・視聴覚臨床教育の専門家たちの談話で構成されており、成長期のゲームのしすぎで歩行や呼吸などの意識的リズム運動が不足すると、神経が活性化しないとか、人とのコミュニケーションで養われる応答的対応の発達が遅れるとか、まず納得できる内容。森昭雄教授のような、ゲームをしているとα波ばかりが出て痴呆者と同じ脳になる、というようなトンデモ(瞑想や座禅でもα波が出ることがわかっているが、これもいかんのか?)理論ではない。さはさりながら、やはり特集の冒頭は森教授のデータであり、理論である。目的(子供たちからゲームを取り上げる)が一緒だからと言って、まともな研究とそうでないものを一 緒くたに並べるのは、やはりまずくはないか、と思う。

 この車内で、大魔王ことアカギくんに出会った。駒込のあたりから乗り込んできた巨大なる人影を見たら、彼だった。ヤア、と挨拶したら、困ったような表情になり、
「モウ、お話するようなこともありませんねええ」
 と言う。“最近は、申し訳ありませんけどご著書もあまり読んでませんしい”と頭を下げられる。イヤ気ニスルコタアナイスルコタアナイ、と手を振った。それにしても五年くらい前の、単に怪物(というか異物)であった頃に比べると、かなり自己の存在に自信を持った、という感じである。逆にそれ故に、昔を知る私らなどの前には立ちたくないのかも知れぬ。別の車両に移動していく後ろ姿を苦笑しながら見送る。

 帰宅して、海外幻想小説などを読みながら少し休む。7時半、あのつさんの野菜を少し分けて、それを二袋に詰め、ヨイショと持って下北沢へ。サトイモを分けるときに、プンと懐かしい土のニオイがした。『虎の子』に8時。キミコさんに野菜おすそわけして、真鯛のカルパッチョ、挽き割り大豆のグラタン、大根とリブの煮込み、鴨鍋などで酒。われわれのファンだという女性がキミコさんの連絡でやってきて、彼女ともいろいろ話す。彼女はこのサイトの愛読者なのだが、もともとは友人がコンテンツファンドに出場し、そのことをネットで検索して、私がコメンテーターをしていることを知り、そこから私のサイトをたどって読み始めた、という流れなのだそうである。楽しく話して盛り上がる。あのつさんのキュウリを切ってもろみミソで食べさせてくれた。みんなおいしいおいしいと絶賛。

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