25日
日曜日
うなぎの国のアリス
ぎ、しか合ってない(笑)。さっきふと口をついて出て、大笑いしちゃったので。昨日の蟻酒のせいか、それとも天候のせいか、ぐっすりと眠って、目が覚めたら9時ちょっと前。珍しく寝坊である。鼻は調子よく、くしゃみも出ず。読売新聞書評欄、文芸評論家千石英世氏の佐藤愛子『家族』評の冒頭、ひらがなを多用してまがまがしさを強調している。ところどころの漢字は、これは編集部がおせっかいして入れたの ではないかと思う。
朝、昨日の週刊アスキーを片付け、図版用ブツ(珍しく書いた後で決めた)と共にK子に渡す。札幌の漫画古書店『じゃんくまうす』から、注文した古書がどさっと届く。表紙絵がいずれもチープでキッチュで秀逸である。よく、チープ・キッチュなもののワルクチを言う文化人がいるが、彼らの言ってることを聞くと、ハイアートの基準にこういうものを勝手に当てはめた上で悪口を言っているに過ぎない場合が多い。チープカルチャーの大半は商業的な目的がまず設定されて製作されるのであり、その目的をローバジェットの中で達成できているかどうかを見れば、これら貸本漫画の表紙絵や見世物小屋の看板などは、全て見事にその条件をクリアしているわけで、秀逸という表現がもっとも適当している。今村つとむ『復讐鬼鉄の爪』などというグロテスクスリラー、娘の今村洋子(『チャコちゃんの日記』)が女の子の顔などを描いていて、その絵のアンバランスがなかなか笑える。
古いマンガ本は期待して買ってもまず大半はハズれで、今回も新田昭治の時代もの『目・耳・口』など、そのタイトルの奇天烈さで買ったが、まず“内容はつまらんだろうな”と予想していたが、実際つまらなかった。要するに重大な秘密に対し、“見ざる聞かざる言わざる”を決め込んでいる男が出てくる話で、タイトルもそうすればいいところを、『目・耳・口』と思わせぶりにしたところが作者と編集部のウデなのであろう。で、発行(昭和36年)から四十年たって、私が見事にそれにひっかかったワケである(笑)。表紙絵には巨大な蛇と主人公が戦っている場面が描かれているが、これは完全なインチキで、蛇などどこにも出てはこない。
映画だと、50年代のかなりチープなスリラーやホラーでも深夜映画番組だのビデオだので観ることが出来る。なのになぜ、マンガでそれが出来ないのだろう。新作マンガなど載せないで、単行本未収録作品を“連載”の形で再掲載する雑誌はないものだろうか。
昼はK子の弁当に使った残りのブリの味噌漬で、オムスビ小二ケ。雨の中、買い物に出かける。雨の日の買い物は、ついでにブラつくことが出来ないからつまらない。帰って、『フーゾク魂』原稿を書く。〆切を延ばしてもらったおかげで、昨日カスミ書房で、テーマにあった資料をひとつ見つけられた。ただし、前にも書いたがこの内容のエッセイで9枚というのは、お笑いでもっていくには長過ぎ、きちんとした考証をするには短すぎ、と、調子を一貫させるのに苦労する。ついでに言うと、9枚の原稿を書き上げるとさすがにグッタリして、書き下ろし原稿にかかる気力が大幅に減退する。
書き上げたものの、まだもう一回洗わないとこれはダメだな、という出来。ちょうど雨で肩が張っていることもあり、マッサージに行く。体重が一キロ落ちていて、少し足腰が軽くなった感じ。このごろついてくれているセンセイはクスリ否定論者で、体のバランスをとればクスリなどいらない、と説く。ハアハアと拝聴する。花粉症など、まる一日盛大にクシャミも鼻水も出しっぱなしにしておけば、次の日からは案外楽になるもんですよ、などとおっしゃる。しかし、実行しようと思うヤツぁまず、いるまいよ。待ち合い室の書棚を眺めると、イルカヒーリングの本とか、覚醒についての本、とか、だんだんオカルトっぽくなってきている。
帰って、気分一新させて原稿を洗う。なんとかスッキリしたものになったと思う。それから夕食のしたく。ジンギスカン風肉モヤシ炒めと、ガンモドキの煮物。御飯は桜の花の塩漬けをまぜて炊いた桜ごはん。太田出版『サイキック・マフィア』の著者であるラマー・キーンが出ているビデオ『アーサー・C・クラークの異次元との遭遇(心霊現象編)』を見る。