裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

15日

木曜日

小林その一

 秀雄くんが遊んでいると、そこに多喜二くんと一三くんが来て言いました。朝、まだ外の暗いうちに目が覚める。寝ぼけ眼でガラガラピシャッ、という音を聞いて、誰かが戸を乱暴に閉めたんだろうと思っていたが、どうも雷だったらしい。ザアザアと音を立てて雨が降っている。フトンの中でワープロを打ち、原稿を書く。疲れてくると角川文庫『そして――僕は迷宮に行った』(森本哲郎)を読む。二十年以上、読んではまた読み返し、すでにカバーはボロボロになってどこかへ行ってしまったが、不思議に、旅行したりするときの読書用の本をどれにしようか、と思うと、これがカバンの中にある。遺跡への旅をいささかロマンチシズム過剰な文章で綴ったものだが、旅というものの原点がここにあるのではないか、と思える珠玉のエッセイである。一九七九年初版のこの文庫、一部乱丁があって、イースター島への旅が突如チチカカ湖への旅となり、さらにクメールへと飛ぶ。そこらへんも、何かまさに迷宮的で、ミステリアスだ。

 9時少し前にフトンから這い出す。すでに雨は上がっている。能登湾は波が非常におだやかで、鏡のような海面なのだが、今日はさすがに海の色が濁り、波が荒い。荒いったって、普通の海に比べればサザナミ程度なんだが。歯を磨いていたら師匠が朝ごはんですよ、と知らせてくれる。開田夫妻はまだ眠そう。旅行ガイドの全てに、このさんなみの魅力は朝ごはん、と書いてある。確かに毎度、この宿の朝飯には驚嘆してばかり。さて、今朝のメニューは。ゆで卵のいしり漬け、取れ立てキャベツのサラダ、イカとブリ中落ちの一夜干し網焼き、めかぶの味噌汁、あとまだ何かあったが忘れた。詳しくはメモを取りながら食べていたK子の日記を参照のこと。キャベツの甘さ。イカの風味。めかぶの新鮮さ(熱い味噌汁の中で暗褐色が鮮やかなグリーンに変わる)。K子がゆうべ、“楽しみにしていたのにアレがない〜”と嘆いた海餅(米にイカのコマ切れをまぜて炊き、半搗きにして、竹串に刺して焼いたもの)もちゃんと作ってくれていた。なるほど、わがまま言っても作ってもらうべき味である。米は自家製天日干しのコシヒカリだということだが、半搗きにすると餅米のよう。あと、柿をいしりに漬けたべん漬けも結構。お母さん、
「桜井さんもここへおいでるはずでしたん?」
 と訊かれる。なんでも、“そちらにお泊りの桜井さんいらっしゃいますか”という電話があったそうである。あやさんとK子、大喜びで“若旦那、これを口実にウワキよ、ウワキ!”とはしゃぐ(笑)。

 もはや帰り支度。私の日記の記述を読むと、なにやら超豪華な旅のように思えるかもしれないが、実はこの宿、平日料金なら“エッ、これでいいの?”というようなお値段なのである。お父さん、さんなみのホームページと私のホームページをリンクし てくれるとのこと。今度、さんなみ専用のコンテンツを作らないといかんな。
http://www.noto.ne.jp/sannami/start.htm

 お母さん、おみやげに、と畑で取れたキャベツと、カブラをそれぞれの家族に持たせてくれた。これがどちらも巨大。キャベツなどはわれわれの頭より大きい。ヨイコラショと持って、ご夫婦の運転する車で、船下家の次女夫妻(イタリアに料理の修行をしに行ったときに知り合った旦那さんのベンと、ひと駅隣の波並でイタリアン民宿を経営しているのである)のやっているベーカリーへ。去年の六月にさんなみに泊った翌朝、お父さんに“ぜひここのパンを食べてってください”と言われて連れていってもらったが、残念ながら水曜日で休日だった。今回は(K子が覚えていて、ちゃんと曜日を合わせてきた)そのカタキウチ。ベーカリーは清潔できれいで、ノスケさんと“原宿にあってもおかしくないねえ”と話す。店員の女の子がまたあか抜けていてそのまんまで青山あたりに連れていける。能登は若い子の質が高い。

 パンはイタリアらしく軽めでしっとりと、しかもさんなみ直系の無添加。さっき朝ごはんを食べたばかりだったが、ツルツルと豆パン、栗あんぱんがお腹におさまる。さんなみの料理は能登の保存食がルーツで、いしりや能登の塩がふんだんに使われており、人によっては少々塩気がきつく感じられるかもしれないが、これが胃酸の分泌をうながし、どんなに腹一杯になっても、驚くくらいすぐにお腹が空く。次女の千賀子さんが、赤ちゃんのエミリーを抱いて出てくる。お母さんの冨美子さんにとっては孫にあたるのだが、お母さんがあまりにも若い顔立ちなので、自分の子供みたいである。旦那さん(シドニー生まれだとか)のベンも童顔で、口ヒゲでなんとか年相応の威厳をつけている。K子が頼んだフォッカチャトーストで、ブレイカーが落ちるなどのさわぎあり(トースターの漏電が原因?)、騒いだりなんだりしているうち、出発の時間になる。無人駅の波並でしばらく佇み、来た道を逆に引き返して金沢へ。車中ずっと、さんなみで食べたものの話ばかり。

 金沢駅で桜井さんの出迎えを受ける。ウワキ疑惑に、“昨日は徹夜で仕事してましたよ〜”と悲鳴をあげていた。ホテル(金沢でずっと定宿にしているアクティ)に投宿後、すぐ丸一へ行き、買い物。小鉢をいくつか買う。桜井さんが“おもしろい古本屋ですよ”と勧めてくれた、向かいのデパートの2階の書店に行く。なるほど、歴史や宗教関係の棚からマンガまで、かなりの充実度。戦後すぐのマンガ本などを含めて一万数千円、買い物。それからみんなと合流し、洋品店でシャツのヘンなのなどを見つけて買う。今回の旅はかなり買い物をした。

 さて、いよいよ近江町市場。K子はここの甘エビを食うことに命をかけている。ノスケさんの奥さんも、この世の何より甘エビ、という人なので、桜井さんにかねてより念を押して、いい甘エビを入れてもらうよう、市場の人に頼んでおいてくれ、とK子が脅しをかけていた。店に行くと、親父さんが奥の方から、ビニール袋につまった甘エビをゴソッと出してくれる。女性陣の目の輝きが変わる。それとカニ。まだ元気に動いているやつを買い、あやさんは本多監督夫人や開田さんの実家に送る算段で忙しい。魚食いのノスケさんは見事なカンパチを一本と白魚。私はハマグリの巨大なやつに目をつける。桜井さんは親父さんから蛸の大きな足を一本、もらっていた。

 例によって近くにある“しゃもじ屋”に持ち込み、調理してもらう。ノスケさんは白魚を生で食いたいと主張するが、店側は、自分で仕入れたものでないから、保証できぬとつっぱねる。前にもそれでモメた気が。結局こっちが折れて天ぷらということにする。桜井さんの奥さん、金沢のオタクの番匠さんも加わり、酒盛り。焼きハマの滋味、思わずうなって、私だけ二個、失敬して味わう。K子とユキさん(ノスケさんのおかみさん)はものをも言わずにエビエビエビ。魚貝に飽きるというくらい食いまくる。話題はエスエフのワルクチなど(笑)。

 そのあと、クラシックなよそおいのカクテルバー『倫敦屋』。ここは山口瞳のお気に入りの店だったそうで、色紙が飾ってある。桜井さんがまた、われわれを東京の売れっ子作家さんたち、と吹聴するので、色紙を書くことになる。後はまたカラオケ。アニソン縛りで十一時過ぎまで。全員、ことに開田夫妻がウルトラ・ハイとなり、実に楽し気にはしゃいでいた。ホテルに“たどりつく”という感じで帰る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa