18日
日曜日
タラバ愛しきひとよ
僕は毛ガニだ。朝7時半起床。朝食、フラットで買ったパンが石のようにカンカチになっているので、レトルトのチリコンカン。果物はブラッドオレンジ。ブラッドオレンジは完全に赤くなっているのでなく、普通のオレンジが血をかぶった、という程度の色のものが最もおいしいことを発見。吉例読売新聞朝刊書評欄評だが、今回の東浩紀氏のジャック・ラカン『精神分析の四基本概念』の評は皮肉抜きで、見事なものであった。もちろん、文章力におぼつかないところはあるものの、これまでの彼の書評とは格段の差で説得力があり、末尾の“もし読者が、そんなラカンにいちどでも挑戦してみようと思うのなら、私は絶対にこの一冊を薦める”という文章も、武骨ながら非常な重みをもって、こちらの読書欲を刺激する。ラカンを読んだのはもはや遠い過去の私も、こういうものなら再び挑戦してみようかと思い、さっそくオンラインで注文したくらいだ。
この説得力はひとえに、この書籍が、東浩紀氏の専門領域のそれであり、その解説と説得が、地に足のついた専門家の技になっているからだろう。文章を読み慣れた人々は、文のホンのちょっとしたはしばしに、書き手のアテコミを嗅ぎ取って、それを胡乱なものと判断する。大衆を煽動するには、そういう鼻利きをごまかす、非常に高度なレトリックと、文章力を必要とするのであって、それはこのヒトの手に余ることだった。これまで、『ミルク・クローゼット』や『戦闘美少女の精神分析』を評した東氏の文章からは、下手糞な扇動者のニオイがもう、プンプンと漂っていたものである。この『精神分析の四基本概念』評からは、そういう怪し気な雰囲気がまったく感じられない。東氏も書いていて気持よかったことと思うし、読者たちの多くも、東氏に求めているのはこういう分野での彼の仕事であると思うのだけどもな。
昼に週刊アスキーを一本、書き上げてメール。今回のブツは以前、飛騨高山に講演にいったときおみやげに貰った“さるぼぼ”。文章とブツのつながりがやや、強引に過ぎた感あり。昼は外出して、と思ったが、冷蔵庫の中に、先日の鴨湯豆腐のダシが残っていたので、これをオジヤにして食べ、食べながら、金沢のやまと水産から買った巨大なブリの切り身を切り分け、カブと煮たり、酒といしりに漬け込んだり、保存用にミソ漬けにしたりする。手が生臭くなるが、楽しい作業である。
来月の神田陽司との会に備え、語りおろしの台本をそろそろ作らねばならない。ネタ拾いに昔の新青年傑作集などを読む。妹尾アキ夫などのレトロな文章にウットリする。エンターブレイン、アスキー『ウルトラグラフィックス』などから電話。5時、花粉症のクシャミがひどくなり、体に先日来の酒びたりの水分が滞留しているんだろうと判断して、サウナへ行く。熱気の中で、何故かダジャレが次々に頭に浮かんでくる。マッサージも頼んだが、キツすぎ。これは揉み返しがくるなあ、とイヤな予感と共に出る。
東武デパートで買い物し、7時半に帰宅、夕食支度。今日はブリの日で、カブとブリのアラの煮物、ブリ照り焼き。カブがいくら煮込んでもトロけず、カブらしさを残しているのが見事。照り焼きは絶品。K子がゴハンを欲しがったので、パック御飯をあたため、シソを刻み、揉み込んでまぜたものを出す。レーザーディスクで『未来への遺産』を見たのは、森本哲郎をひさしぶりに読んだ反動か。あと、モンティ・パイソン最終シリーズの。