裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

7日

水曜日

オーシャンと11人のネカマ

 なんだ、みんな男か!(オフにて) 朝7時半起き。春らしくなってきたかと思うと花粉盛大に飛散で、クシャミ連発。私のクシャミはそれこそ十、二十、三十回と、トメドなく連発されるので、脇にいるものが“止まらなくなったんでは”と心配するほどである。朝食、昨日と全く同じくホットドッグ、イチゴ。

 メール数通。本日は掃除のおばさん来る日なので、早めに風呂に入る。資料検索しているうち、「最近つぶれた書店」を列記してあるサイトを見つけ、今はなき、なじみ深い、あるいはまるで知らなかった出版社たちの墓碑名をながめて感慨にふける。同文書院二○○一年一月十四日民事再生法申請、小沢書店二○○○年九月中旬自己破産、博品社二○○○年七月廃業、柏樹社二○○○年七月廃業、葉文館出版二○○○年六月倒産、ペヨトル工房二○○○年五月八日解散、トッパン二○○○年三月末出版事業から撤退、ベネッセ二○○○年春出版事業から撤退、飛天出版二○○○年三月末自己破産、駸々堂出版二○○○年一月末自己破産、釣りの友社二○○○年一月倒産、新声社一九九九年九月自己破産、青人社一九九九年九月事実上倒産、海越出版社一九九九年七月自己破産、スコラ一九九九年三月廃業、光琳社出版一九九九年五月倒産、京都書院一九九九年六月倒産、ジャパン・ミックス一九九八年十二月倒産、トレヴィル一九九八年夏発売元リブロポート廃業の巻き添え、用美社一九九八年夏頃消滅、リブロポート一九九八年夏頃親会社のファミリーマートが伊藤忠商事に買収された際に見捨てられて廃業、ペップ出版一九九八年頃廃業したらしく連絡途絶……と、まあ死屍累々たるありさま。ここに書かれていない出版社でも、私が関係していて倒産したところがいくつかあり、中にはつぶれたと思われていて、実は社長一人ちゃっかり逃げ出して神保町あたりで営業しているところもあり。不況の風はところ嫌わず。

 あまりクシャミがひどいので新宿へ出て、スノーズ買う。昼はついでに小田急の天はなで天丼。今日は油新しく、胸焼けがなし。帰ってしばらく休んでいたら、鶴岡から電話。エンターブレイン刊の対談集『ブンカザツロン』、発売日が23日になった件で、販促のイベントをどうするか、という話。ライターとして売れる“技術”のことを少し、話す。売れるための技術というのは決して文章のうまさではない。業界の中でいかに自分の商品価値を認識させていくか、ということである。用は目立て、ということなのだが、このサジ加減が難しい。あんまり“面白いヤツ”などとして有名になると、ニギヤカシ要員としての仕事しかこなくなり、大きなものの執筆をまかせてもらえなくなる。愛嬌故に沈没していった者の例を見ることである。

 4時、時間割。光文社Oくんと、次の出版打ち合わせ。挨拶がわりに“光文社、どうなるんです?”と訊いたら、苦笑して“最近、どの打ち合わせでもまず、そう訊かれます”と。出版の企画を三点ほど、打ち合わせる。いずれも今年後半から末にかけての予定である。まだ二○○一年、始まったばかりと思っていたら、もう年末の仕事の打ち合わせか。光陰矢の如し。まあ、この不況下、途切れずに後から後から仕事が入るのは冥加というべし。

 帰ってしばらく原稿書き、また時間割にとって返して、福音館書店T氏。モウこの仕事、あまりにナオシが多い(子供には難しい、怖がる、複雑すぎる)ので、降りたいのだがという意志を伝えるが、慰留される。“では最後のチャンスを与えることにして、もう一度だけ書き直します”ということになる。連載を切られる方がイバっているというのも何かヘンなものである。

 また帰宅、海拓舎Fくんからどうです、という電話入るが、テンション急速に下がり、如何ともしがたし。だらだらと仕事するでなくしないでなく、8時、家を出て、新宿新田裏、寿司処すがわら。黒ビール一本、日本酒三合ほど。アワビのキモのツクダニなど食べさせてもらう。キモのせいか、かなり酔って、何が何だかわからなくな る。アジの造りが絶妙だった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa