裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

水曜日

トラヤヌス狸の皮算用

 わしがな、五賢帝の一人に選ばれたらな。朝6時起き。今日から金沢旅行。朝食は昨日Fくんからもらった維新號の肉まんをふかして。シャワー浴び、日記アップ。それからFくんへ原稿をメールして、モバイルなどをカバンにつめ、支度。8時に家を出て、千歳空港。肉まん一個ではおなかがすいたというK子と、ロビーの立ち食いソバ屋でカレーうどん一パイ、わけあって食べる。談之助師匠夫妻くる。K子に、弟のことで“いろいろお騒々しいこって”。やっぱり落語には便利なコトバがあるもの。

 開田夫妻、ギリギリで到着。今回のメンツはこの三組の夫婦である。K子が音頭をとって、さんなみツアーを企画したのである。機内は一時間ほど。機内誌で渡部文雄が、電通の社員のまま松竹映画に出演した時分のころのことを書いている。その当時の月給が八千円だったが、映画出演でもらったお車代(社員身分なので出演料を貰ってはいけないことになっていたので、こういう名目で貰った)が十万円。これが二回続いたところで、会社を辞めたのだとか。無理もなかろう。それにしても、昭和三○年代、黄金時代の映画業界のイセイのよかったこと。

 小松空港着、11時。金沢の丸一(瀬戸物問屋)の若旦那、桜井さんが迎えに出てくれていた。飛行機と金沢行きのサンダーバードの時間がかなり(三時間以上)あくので、その間の時間潰しにつきあってくれるのである。桜井さんの案内で、空港前の石川県立航空プラザに行く。人力飛行機からジェット機までを展示してあって、触ったり、ものによっては乗ったりすることが出来る。ちょうど、展示してあるT−2ブルーインパルスのエンジン取り付け(機体が先に耐用年数が過ぎてここの博物館に展示されていたが、このたびエンジン部分もお役御免となり、機体に取り付けられることになった)を自衛隊の人たちが行っていた。ジェットエンジンのむき出しのものを見られる機会などめったにない、と、開田さん大喜び。他に、ロッキード/三菱F―104Jスターファイターなどの展示もある。私はベル型ヘリコプターの内部をのぞいて、その狭いこととハンモック式の椅子の座り心地の悪そうなことに驚いた。他の展示物は、県立のものはまあこんなもんだんべえという感じ。あやさんは“早起きしてつらい”と、ガランとした二階のベンチで寝ている。

 ちょっと早いが、近くの加賀料理の店で昼食。加賀料理の店といっても昼時分なので焼魚ランチ。談之助さんとビールで乾杯。だんだん旅行気分になり、仕事という気がスウスウ抜けていく。まだ時間あまるので、こないださんなみに来たときに、店名が気になっていたが行きそびれたブラジル食品・雑貨の店『イタイプー』に行ってみる。小松という土地でどれくらいブラジル食品のニーズがあるのか知らないが、豆と豚の臓物の煮込み(フィジョアータ)のカン詰めだの、サンバのCDだのがずらり。K子はピラニアのはく製を見つけて大喜びで購入していた。

 それから(まだ時間がある)、小松駅前の商店街を歩く。ここは、過疎の町の商店街によくあるシャッター通りというやつで、店鋪のほぼ7割(8割か?)が店を閉めている。もっとも、水曜日が定休、という店が多いということもあるらしい。定休と言えばK子とあやさんが見つけて大喜びしてたのが、“定休月火水木曜日”という、シャッターの書き込み。そこを出たとたん、さっきのイタイプーの支店(?)を見つけた。アラファトのパンチング人形みたいなもの(どこがブラジルだ)も置いてあるオミヤゲ屋。真っ黒い、片足のキユーピーみたいな人形が売ってあった。店番のおばさんに聞いてみたら、名前はわからないがブラジルの精霊の一種らしい。そういうも のいくつか買い込む。

 イタイプーというのはブラジルのインディオの部族だか居住地だかの名前らしい。“店員が「いらっしゃいませ、ぷー」とか言うのかと思った。頭をぶたれると「いたい、ぷー」とか”と言ったらあやさんに“ひと昔前のアニメキャラじゃあるまいし”と言われる。とにかく、以前二回の好奇心をやっと満足させ、退屈しないで済んだ。やっと時間来て、桜井さんと明日を期して別れ、サンダーバードに乗り込む。ホームが工事中で、線路に出ている人に報知する係がいて、メガフォンで“サンダーバード接近! サンダーバード接近!”とやる。これが実にカッコいい。やっている人間も絶対に意識していると思うぞ。で、和倉温泉行きサンダーバード9号(車)に乗り込んで、ワイノワイノとやりながら。途中でSFマガジンの塩沢編集長から電話。昨日送った原稿、字数計算を間違えていて、少し足りないという。青くなるが、なんとか行変更あたりでごまかしてくれるとのこと。やはり大急ぎ仕事はこういうカン違いがある。

 和倉温泉で能登鉄道に乗り換え、ちょうど学校の退けどきと見えて、中学生、高校生たちが乗り込んでいる。みると、男も女もかなりオシャレ。女の子には、ちょっと磨けば鈴木あみクラスか、というのまでいた。もはやオシャレに地域差というのはなくなってしまったんだな、と思う。逆にこういう連中、いまに自意識の問題で苦労しはしないだろうか。

 矢波駅到着。降りるとき、旅行慣れしていそうな格好のおじさんが“さんなみさん行くの?”と声をかけてきた。“あそこはこわいよ。あそこの魚を食うと、他所で食えなくなっちゃうからね。運がいいとクジラも食えるよ”有名なんだね。さんなみの船下さんの奥さんが迎えに来てくれていた。一台なので、開田夫妻とK子を先にいかせて、談之助夫妻と、近くの食料品屋さんでミカンなど買い込む。去年はやたら話好きのおばあちゃんがいたが、今年はその息子とおぼしきおじさんが店番。ひょっとしておばあちゃんの身に? とか思って外に出たら、ダイコンを下げたおばあちゃんとバッタリ。まるで常連のように挨拶。

 サンダーバードの中でウトウトと眠ったのだが、起きたらいきなり鼻水クシャミの連発におそわれた。列車の窓から見える杉林が花で真っ赤に染まっていたから、花粉のせいか、と思えるが、風邪とも考えられ、風呂は遠慮しておく。ミカン食べながらくだらぬ馬鹿ばなし。6時半になって、待ちかねた夕食の席につく。部屋にはこの民宿が紹介された旅行雑誌が山積みになっており、“日本一の民宿”と書かれているものもある。確かにそうかもしれない。中には“運良く予約できたら”などと書いている人さえあった。日曜祭日は押すな押すななのだろう。平日に来られるフリーの身分を大変に有り難く思う。

 夕食のメニューはK子も自分の日記に書くだろうが、まずモズク、ホタルイカの黒造り、カニと聖護院大根の炊きあわせ、甘エビ、タラの刺身のタラノコ和え、そしていしり出汁のアンコウの小鍋などが並ぶ。このメニューのうち、前回食べたことがあるのがモズクの酢の物のみ、というのが凄い。甘エビは小指の先ほどの大きさだがまさに甘エビという滋味があり、タラの刺身というのは初めて口にしたが、舌の上でトロリと溶けていく柔らかさ(比喩ではなく、ホントに溶ける)。これなくしてこの店は語れぬ、といういしり出汁の鍋はアンコウで、身のプルプルは絶品。キモやカワの方は別鉢で、酢味噌でいただく。オツユの最後の一滴まですすりたくなる(実際にすすった)味である。

 この宿の凄いのは、ここまでがオードブルということ(!)。それからサザエの壷焼きにバイ貝の刺身、そして寒ブリの刺身が満を持して出る。この寒ブリがまず今回の第一等の味だった。脂がたっぷり乗って、少しも臭みがなく、魚食いの一党、特にノスケさんが思わず“うーむ!”とうなった味。酒は能登の竹葉。前回、お腹の調子がイマイチであまり飲めなかったという開田画伯も今回はクイクイとやり、私と画伯の二人は途中で一眠り(ここに来るまでに仕事でかなり体力使い果している)。目が覚めてまた飲み、食うというんだからまあ極楽というか。いつも楽しみにしているオマケの皿、今回はクジラの(出ました!)の肉のくんせい。それと、ナガモを細かく切って納豆のようにかき回して三杯酢ですすりこむもの。あと、さっき刺身で出たブリの頭の煮付。これが甘ったるくなく、皮や目玉までオイシイ。船下ご夫婦とも話しこみ、お父さんにはインド人形をおみやげに渡す。お母さんは、まだ能登のお婆ちゃんたちの料理で、教わっていないものがたくさんあると言う。K子、私が死んだらここに住み込みの皿洗いで働きにくる、と断言。11時近くまで食いつつ飲みつつ笑いつつ、能登の夜は更けていく。さすがに腹がパンパンになり、タコとトマトのサラダと、炉端で焼いたブリカマは残す。いつもは食いしん坊のくせに小食のK子が、胃拡張にでもなったかと思うくらいで、私の分のブリカマまで取って食べていた。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa