裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

月曜日

おれが異端じゃお嫁にゃ行けぬ

 さくら、あんちゃんは改宗するよ。朝7時半起き。朝食、昨日デパートで買った小柱でスパゲッティ。官能倶楽部パティオで、例の安達さんの小説の人名のことを言ったら、そもそも主人公の浅倉大介、というのがTM―RやIceMenのファンならおなじみの名前、という話が出る。そうそう。最も、私は彼の音楽は聞いたことがあるが、顔はすぐにパッと浮かぶという程じゃなかったので気にならなかった。沢竜二の方は、大衆演劇を追っかけていたころに毎度見ていたもので。

 朝、日記をつけていたらWeb現代Iくんから電話。一昨日書いた原稿、取り上げたサイトの主催者の女性から、“細々とやっていくのが主旨なので、できれば取り上げないで欲しい”と言ってきたとのこと。そんなことになるんじゃないかな、という予感はあったので、さして驚かず。そこの部分を別のサイト紹介に差し換えることにして、手直し原稿を書く。善後策を立てるのはどちらかというと得意な方である。尤も、あまりそれが繰り返されるとイヤンなるが。

 一時、ダカーポ一行知識原稿とWeb現代手直し原稿、平行して進めていて、両方完成。編集部とK子にメール。昼飯食べる時間がなくなり、あっちで何か、と思いながら外出。三軒茶屋に出、そこから世田谷線のチンチン電車で若林まで。春の日ざしが燦々と差しており、けだるい午後である。風情のあったチンチン電車、バリアフリーに改造とのことで、遊園地のモノレールみたいな新型車に。風情ばかりを懐かしみたくないが、しかしどうしてデザインを旧型のものと似通わせる、というような心使いがないものか。お年寄りが利用しやすいように、という理由で新型車両にしたのだというが、年寄りというものは、昔なじみのものが無くなっていくことに非常な悲しみを覚えるものでもあるだろう。行政は、老人の体はいたわるが、そういう思い出、彼ら彼女らが積重ねてきたアイデンティティの歴史をいたわろうとしないのである。

 若林駅から徒歩十分、エンターブレイン。鶴岡との『ブンカザツロン』出版記念対談於『ガロ』である。“元”イーストプレスのKくん、“元”美術出版社の同じくKくん、“元”サン出版のSくんなどと新名刺交換。ずいぶんと“元”が揃ったものである。着いてすぐ、“コーヒーでいいですか”というような前フリもなく鶴岡としゃべりはじめ、テープが回り、Sくんが時折爆笑し、という状況で一時間半のあいだ、ノンストップで話しまくった。本編の対談よりノリはよかったような感じである。

 終わったあと、三軒茶屋のスーパーで買ったネギトロ巻きで昼食。見本刷一冊もらい、帰りの車中、ずっとそれを読む。内容は自分で言うのもなんだが非常に多岐にわたった話題でバラエティに富み、スリリングな展開を見せている。しかしながら、オコした原稿をほぼ半分くらいの量に無理に縮めているので、論理の飛躍や、前後矛盾と取られかねない発言が多い。重版で訂正しよう。あれだけチェックして、まだケアレスの誤字脱字が多いのも困ったものである。森繁久“也”なんて、赤入れたハズなんだけどなあ。

 帰って、FABコミュニケーションズから送られた、明後日のテレビ録り(フジBS『コンテンツファンド』)の資料ビデオを見る。前までの回のものも送ってくれたんで、それもいくつか目を通す。自分で出ていながら、この番組見たのは初めてなんだが、毎回岡田斗司夫大暴走のところは適度にツマまれていて、私と岡田さんの話す分量が同じくらいに編集されている。私の方が効率はいい、ということか?

『モノマガジン』原稿用の図版を出そうとバイク便を頼んだ。中野のグリンアローまで届けてくれと頼むと、しばらくして電話があり、グリンアロー社の社屋がすっかり閉まっており、中に入れない、ポストも口がせまくて入れられない、という仕方がないから引き返してきてもらい、値段を往復分取られた。あそこの会社は飛び石休の中日は休むらしい。とはいえ、原稿書きたちは働いているわけだし、誰か当番くらい残しておいてほしいものである。8時半、船山でK子と待ち合わせ。ここの春の特別 献立。おままごとの道具のように可愛い蓬団子や野蒜、甘鯛の桜蒸しなど。花粉症か、クシャミひどく、背中もやはり昨日の揉み返し出て痛みだし、あまりゆったりとは味わえなかったのが残念。アルコールでマヒさせようと思い、少しすごし過ぎた。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa