裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

13日

火曜日

ミラン・クンデラ試練の道を

 巨人軍の耐えられない軽さ。朝7時半起床。昨日に一転、春らしい気候。男心と春の空、という感じである。朝食、マフィンにハム。紅玉リンゴ。モーニングワイド、高橋尚子の祖母の死去、久和ひとみの母の談話、と湿っぽい話ばかり。実の弟が死んで笑っている女房や、親父が倒れた日の日記にもダジャレを書きつけるような私のところには、例えわれわれが有名人になってもこういう取材は永久にこないであろう。

 昨日の日記は何やら説教が多く、肝心のことをつけ忘れていた。3時、時間割で、フリーライターのT氏にインタビュー受ける。某社から現代のセックス論関係の本を出すとかで(よく聞かなかった)、オタクの二次元コンプレックスのことについて何か話してほしい、とのこと。その起原や、オタクにこれが多い原因などを話すうち、オタクという嗜好の発生について、ちょっと大胆な仮説が頭の中でまとまった。この取材は二次コンに限定なので、メディアワークスのオタク論本の中でみっちり展開することにしよう。T氏も、最近はやりの、精神分析的な、まずオタクを病理としてとらえる見方には反対らしい。社会評論のF氏など、二次コンについて“あんな連中は子供を作れないんだからすぐ滅ぶ”などとアタマの悪いことを言っているとやら。このヒトの理論によれば、ゲイもレズビアンもすでに滅びてなくてはいけない種族なんだけどね。

 官能倶楽部パティオ、悔やみは不要と言っておいたが、ほぼ全員お悔やみの書き込み。まことにありがたいが、死んだ弟なる人物、私は一度も会ったことがないし、K子は心底忌み嫌っていたので、どう対応していいのか、とまどう。私は人づきあいにソツのあまりない方で、それでオタクらしくないオタクとよく言われたりするが、こういう社会儀礼には、やはりどうも真剣になれないところがある。私が文章の師匠とあおぐMセンセイは、元祖オタクみたいな爺さんだが、もう十年以上前に、“年賀状なんてものは無駄だから今年でやめる。以後、そちらもくれないように”と言ってきて、ソレキリである。いかにもこの人、という感じで大笑いしたものだ。

 2時まで海拓舎原稿。一部脱稿してメールし、それから参宮橋でラーメン食って、渋谷に引っ返して時間割、世界文化社K氏打ち合わせ。ナンプレ連載を本にまとめる件。ここからはまず、Dさんの書き下ろしを夏に出す予定なので、それがすんだら、即、動く手はずにする。こないだKさんの行ってきたフィンランドの話、しばらく。K子からカタコトのフィンランド語を習って行ったのだが、やはりフィン語を話す日本人というのは珍しいらしく、かなり歓待されたとか。役に立つものだな。

 帰ってSFマガジンにかかる。今日は調子よく、途中で停滞せずにスラスラとはかどる。6時、海拓舎Fくん来。図版資料の一部を渡す。栄養ドリンクをもらう。リンゴのエキスから抽出したというもの。さっそく飲んでみる。ポリフェノール含有だそうだ。血がキレイになるのか。Fくん帰ったあと、SFマガジン続けて、7時に完成し、メール。平塚くんからイベント告知の原稿チェックのFAX。上野広小路亭とロフトのをアップする。このあいだ原稿依頼が来たワイアードのアニメ評論資料をそろそろ、と思って〆切を確認したら、とっくに過ぎていた。あわててお詫びメールと、もう少し延ばして、という懇願メールを送る。あまりにいろんな仕事が立て込み過ぎて、月末とカン違いしていた。

 ファンの女性からメールが来る。もともと、UA!ライブラリーで好美センセイの『奇形児』の注文をしてくれてからK子と文通をしていた人だが、この人は現在、罹病後五年生存率0パーセントという悪性疾患にかかっていて、現在四年目、なんとか五年以上生きた日本で最初の症例になろうという目標を立ててガンバっている、病気界の高橋尚子(なんだ、それは)なヒトである。今度で六回目の手術を受けるとか。そんな大病の身で『奇形児』を読もうたぁいい度胸である(笑)が、退屈な闘病生活の楽しみが一行知識掲示板と、日記の駄ジャレだとのこと。こういう鬼畜な夫婦であるが、このような人の(ちゃんと病気が発見されてから結婚もし、子供も作っているところがスゴい)入院生活のつれづれを慰めていると思えば、このHPを作ったこともあながち無駄ではないと思う。ガンバってください。メールに曰く、“最近お疲れのようですが、身体にどうか気をつけてください”。ああ、こういう人に身体の心配される私も情けない。

 FMISTYのUFO会議室、、山本会長がまた爆弾を(笑)。私はこういう嘲笑というのはちょうど『サイキックマフィア』(太田出版刊)の後書きで皆神龍太郎氏が述べている“認知不協和”を起こさせるだけなんじゃないか、と思うのだが、やはり会長は信念のヒト、なのだな。そこらへんでキャラとして立っているヒトだから、止めません、私ゃ。ところで、“認知不協和”とはなにかというと、間違ったことを信じている人間にその間違いを指摘すると、自分の冥を晴らしてくれたと感謝されると思いきや、その人物を裏切り者呼ばわりし、かえって頑迷になること。オカルトの信者とデバンカーは、お互い、相手をこの認知不協和とののしりあう。朝日と産経なども、この例か。

 週刊ポストに『恋はハッケヨイ』評、書いて送る。公開は五月だからまだかなり先だが、今書いておかないと印象が薄れてしまう。そう言えばこの映画と『アタック・ナンバーハーフ』、まったく話の作りが同じだな。コンプレックス持っている人間がスポーツでそれを解消し、家庭との摩擦で試合を欠場するが、仲間がピンチなのを見ていてもたってもいられずに駆け付け……。

 8時、SFマガジンの図版を公園通りのローソンで出して、ソバ屋花菜で夕食。8時でアガリのシマちゃんと、カウンターでビール飲みながらちょっと話す。中卒ですぐ修行に出て、十年の間、休みもなく一日十二時間労働で、しかもやらされるのは出前ばかり。“でも、それが一番いい経験になりましたね”と気負わず言えるのがこの世界の違うところか。モノカキなんてのは自意識過剰の連中の集まりだから、こうはいかない。明日からまたカンヅメ旅行なので、帰ってすぐに風邪グスリ(花粉症用)のんで寝る。日記は二日ばかり休み。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa