裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

27日

日曜日

ぼくらはみんなエレキテル

 て〜のひらに電線を握ってみれば〜。朝7時15分起き。K子早や出のため。朝食はゆうべのカニの残りでカニマフィンサンド。朝、ロフトプラスワンのサイトを見ていたら、こないだのオタアミでやった『怨念戦隊ルサンチマン』の“ドクター・ニーチェ”“ツァラトゥストラ・ロボ”のネタが一晩たってやっとわかった、という人の書き込みがあった。ルサンチマンと言えばニーチェ。さすが京大のオタクたちが作ったパロディ、奥が深いと感心していたが、しかしここ、この作品の中で一番のダレ場(実際の戦隊モノなら一番の見せ場なのだが)なんだよな。

 昨日のどどいつ文庫の本の中に、『ボーイ・ワンダー “マイ・ライフ・イン・タイツ”』というのがある。テレビ『怪鳥人バットマン』でロビン役をやったバート・ウォードの自伝。ただし、表紙にも中の写真にも、バットマン関係のものはひとつも使用されていない。これは、その写真につられて子供たちがこの本を読んだりすると親から訴えられるためで、本の最初に“18歳未満は読んではいけません”とある。“セックスに関して保守派の方、性に恵まれない環境にある方の購読を禁じます”などと大書してあるのはマジかジョークかわからないが、この本、美少年で子供時代からモテモテだったロビンくんの女性遍歴と、セックスを楽しんだ模様がコクメイに描写してあるのだ。年下好みだったシェリー・ウィンタースに執拗にモーションをかけられる件りなど、大笑いである。ホモ疑惑がバットマンとロビンの間に起きたとき、デカすぎるちんちんをタオルでギュッと締め付けられたり、クスリをのまされたりかなり苦労したらしいから、そのウラミもあるのだろうか。その部分はまだ未読。それにしても現在の著者近影とあの頃のロビンの面影を重ね合わせてみると、時の流れの残酷さに、うたた感慨にたえない。

 トニー谷が晩年、珍しくテレビに出演したときに、ヘアメイクの若い子に“あなたのお名前なんてえの?”といきなりフッて、その子がポカンとしていると叱りつけたという話があるが、ロビンくんも含め、芸人や役者、いや人間だれしものこういう境遇というのは、哀れを通り越して、人生というドラマを感じさせてしまう。忘れられることへの恐怖から人間はあがき、もがく。これは私だって同様だ。ただ、そのあがきの目標を現在と未来でなく、過去にしか求められない人があまりに多い。回りはその哀しさを見るに堪えず、“もうやめなよ”と声をかけるが、本人はなお、かたくなに、誰かが“あれ、あの人はそう言えば××じゃないか”と気がついてくれるまで、あがき続けるのである。そりゃ、過去を清算できないでいる奴も哀しいけどねえ。

 昼は外出して、センター街の回転寿司ですます。この回転寿司屋、先日行った西武デパート脇の店よりネタも豊富で、絶対にうまいと私は思っているのだが、西武脇の方は名物店として客がいつも列を作り、こっちの方はいつ行っても座れないということがない。評判というものは奇妙なものである。まあ、たかだか回転寿司ですが。

 NHKのYくんから電話。先日の放送のお礼と、ロボットイズムの展示のこと。まあ彼の立場上、ここにその話の内容はハッキリ書けないけど、要は使える絵を撮るのに往生したということ。村上隆のはNHKで出せないものだったし(伊東氏はかなりそれでもガンバったらしい。展示を引受けた催事のプロダクションがバリバリのアート系だったのだとか)。P3と黒アイボを見られただけでいいですよ、と言っておくが、しかしあれだって、本当にロボットの世紀を演出しようというのなら、ああいうものが会場のそこかしこをフツーに歩いている、というような絵が必要だろう。

 NHKで出せないと言えば、20世紀後半の文化は、くくってしまえば商業文化に収斂されるものと言える。商業文化の基本は“売れさえすれば娘でも売る”というミもフタもなさであり、それ故の良識サイドからの批判を屁とも思わない開き直りこそが、常識を軽く超越させるのである。金が引きずり出してくる才能をバカにしちゃいけません。

 9時まで原稿書き。夕食は白身魚と新タケノコのマヨネーズ焼き、ラムのゆず胡椒焼き、ヅケかつお。LDでウルトラマン『怪獣殿下』。見るのは十年ぶりくらいだったが、こんなツッコミどころの多いストーリィだったか? 特撮の迫力は見事。球磨焼酎、ボトル三分の一くらいを全部飲んでしまう。夜中、ノドが乾いて困った。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa