26日
土曜日
クォーク貧しく美しく
タイトルに意味はない。朝8時起き。朝食にスモークヘリング、リンゴ。週刊アスキー一本アゲ。後に残っている仕事の本数にメマイがする。たぶん、モノカキになってこっち、最大の修羅場になるだろう。すぐ逃避してなをきと長電話。来月タイに行くそうで、前ダメの仕事で、もう死にそうになっている。
「仕事がこう重なると、もう、何を描いているんだか自分でもわからない」
というのは傑作。映画黄金時代の人に“あなたが出たコレコレの映画は”とオタク的に話してもほとんど覚えていないのと同じで、自分の仕事ひとつひとつについて語れるウチはまだ本物でないのかもしれない。タイのマンガ古本店のことなど話す。ドラえもん、ドラゴンボール、スラムダンクといった“外圧”による近代化から無縁の低俗ホラーにこそアジアのバイタリティの根源があるにもかかわらず、評論する側にそういうB級以下のものを読み込める能力がある人が極めて少ない。結局、ガンダムやドラゴンボールのアジアへの浸透、といったワカリヤスイ切口でしか、アジアのコミック文化に対する切口がなされない。
1時、どどいつ文庫の伊藤氏を家によんで、洋書買取り。“20キロ持ってきました”と、目方でドンと置く。殺人、奇形、死体関係の鬼畜本はもとより、ホームレスの人が編集している『プア・マガジン』なる貧乏研究誌、エイズ患者たちが作っているジョーク雑誌『被差別病人ニュース(ディジーデッド・パーリア・ニュース)』、『正しい四文字言葉の使い方』テキスト、あらゆる大手企業に架空の苦情メールを送りつけ、その企業からの返事を集めた本(よく訴えられないもんだ)、『ランディ・レビュアー』というエロマンガレビュー誌(要するにアメリカ版『コミック・ジャンキーズ』)、さらにはアウトドア派のための野グソの仕方、など、よくまあこんな変な本があるもんだ、と呆れるようなものが山ほど。私にとっては眺めるだけでウレシくなる宝の山なんだが、伊藤氏、
「こういうもの喜んでくれる人は日本で二人くらいで」
ということで、現在、かなりビンボーであるらしい。ウン万円、買い込む。最近はこういうヘンな本、特に雑誌類は、インターネットに駆逐されて激減しているとのこと。さて残念な。
昼飯はK子が地方紙に書いたエッセイの“原稿料として”送られてきたワイン漬け明太子で茶漬け。六本木に出て、書店回る。江戸時代の思想関係の参考書買おうとして数軒回るが、どこにもナシ。詮方なく、明治屋で買い物して帰る。
加藤礼次朗の結婚式が五月にあるが、これの披露宴がオモテとウラで行われる。オモテは要するに老舗のソバ屋のせがれの結婚披露、ウラは例によって河崎実中野貴雄一本木蛮といったオタクたちの饗宴。当然、ウラに出席の予定だったが、オモテの方にも出て欲しい、と言われる。K子に電話してきて“親戚にきちんと紹介できる友人が少ないんですよ〜”と嘆いていたそうな。そりゃーそうだろうな。
届いたSFマガジンで、香山リカのコラムを読む。自分の好きな作家のエッセイに“香山がまたテレビで空虚な精神鑑定”を”と書かれてメゲる話に笑う。確かに香山の精神医学ベースによる事象分析はあまりにオーソドックスすぎて、“そんな簡単に世の中、症例で割り切れるもんじゃないだろう”と、少なくとも自分の個性というものに自信を持っているものは反発したくなると思う。・・・・・・だが、彼女があげるサイコパスの事例、殊に最近の二十代、三十代に関するものというのは、そのほとんどが私の回りに似た症例のがいるんだよ。人間、誰しも自分が思っているほど独創的な人格じゃあないってことだね。
8時、夕食。鮭とキャベツの鍋、キクラゲとカニの炒めもの、チキンカツ煮。ビデオ(根性で修理した)でコロンボ。ファンからもらったスコッチウイスキー。