裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

4日

金曜日

風、及び嵐がきた

 いや、マジにそういう歌詞だと思ってたんですわ、島歌。朝8時起き。朝食はトマトとバナナとリンゴ。動物園のサルか。メール数通に返事。週刊文春の著者近影用の写真をバイク便用に玄関に貼り付け、10時半、東京医科大学病院。手術、3月末に決定。28日の中野芸能小劇場『対決!立川談之助vs.唐沢俊一』は外泊許可とって出演ということになる。センセイが手術日程などをパソコンで打ち込んでいると、看護婦がのぞきこんで“先生、間違えて入れてますよ”と言う。そう言えばこないだも、口頭での指示と次回予約票に記されていた診療日が違っていた。あまりパソコン打ち込みが得意でない先生らしい。こういうところで手術の患者まちがいなんかが起こるんだろう。本来憤るべきなんだろうが、『未来世紀ブラジル』っぽくて笑ってしまう。入院手続きを入院受け付けで行うが、おかげで診療代(また200いく円だけど)を払い忘れてきた。

 帰って昼飯、レトルトの『もつ煮カレー』というやつ。うまくなし。仕事にかかるが、ちょいちょい電話や雑用で中断させられる。鶴岡から、早稲田の文学部の新聞にインタビュー受けた報告。彼の講義、レポート提出率が早稲田で同じマンガ学講義を行ったN氏の十倍近いという。N氏の講義内容(のらくろから鉄腕アトムまで)と鶴岡のそれ(少年ジャンプの連載マンガ)の差だろう。大学の講義とはいえ、学生たちのニーズにあったものでなくてはもはやイカンのだという証明。

 ただし、私は大学の講義があまりに現代に密着しすぎることも、学問本来の意味を失わせると危惧するものである。“栄華の巷低く見て”と旧制一高の寮歌にあるように、学問というものはそもそも俗世を離れた、ウキヨバナレしたものであったのだ。ウキヨバナレしたものに没頭しているからこそ、以前の大衆は学問の世界の人々を無条件に尊敬していたのである。岡田斗司夫や鶴岡法斎の講義は、現代を理解するのに即効があるカンフルのようなものだ。しかし、あまりカンフルに頼りすぎると、大学というものの基礎体力が失われていく。俗世を離れた象牙の塔であり続けることも、大学というものに課せられた使命のひとつなのではないかねえ。私のB級学なども、実用と無用の、中間点あたりでただようポジションを忘れないようにしないと面白味がなくなる。留意のこと。

 なをきに電話。入院の保証人依頼。仕事々々でかなりバテている様子だった。ゲラチェックなどいくつか。4時半、渋谷デンタルクリニック。下の虫歯の欠けたところを埋めた樹脂を固める赤外線ヒーターが、昔のSFマンガの光線銃みたい。その後で院長室で今後の治療方針を打ち合せる。前歯はセラミック製のものを入れるので、これに十一万ほどかかるらしい。今日び、決して高くない値段だろうな、これでも。

 出て、買い物。渋谷の街、金曜日で若いカップルであふれている。この寒いのに半パンツでスネをさらしているのは伊達なんだろうが、いかにもTPOより流行を優先という感じでバカに見える。まあ、バカに見えない若者というのは古今、いなかった かも知れない。

 夕食、9時。うどんすき。K子が『おやじどんぶり』という老け専ホモビデオを見たいと主張するので見る。こないだまで『おにいさまへ・・・・・・』見てたのと何たる違い。六○くらいの親父がオイルマッサージされてイクという悪趣味きわまるビデオだが、マッサージ師の男との会話の間の抜け方が大笑いもの。やはりおやじは律儀で、どんなに“ああ、ああ”とヨガっていても、話しかけられると“ハイ、トテモエエ気持チデス”と丁寧に答える。バイブ使われ、最後にイク、というところでマッサージ役が、もうたまらん、という感じで“ひひひひひ”と笑い出していた。・・・・・・こんなもん、メシ食いながら見るな!>私ら夫婦。ビール小カン一本、日本酒三合で少し悪 酔い。

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