裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

16日

水曜日

イウォーク言い難し

 タイトルに意味はない。8時起き。ワインに酔っての二日酔いはキツいものだが、多少フラつくくらいで大したことなし。このところ常用薬にしている『御岳百草胃腸薬』、効能あらたかである。こっちは大丈夫だが、ネコが廊下の絨毯の上に毛玉をもどしていた。朝食、スープスパゲッティとリンゴ。

 薬局新聞一本書き、早川書房の中断した残りソッコーで書いて送る。さらに週刊読書人のマンガ評。仕事ずいぶんしたような気になったが、よく考えれば400字詰め で6枚くらいっきゃないぞ、分量。 昼はヤキソバの残り。こういうクソ忙しいときには本当にありがたい。1時半、建設会社の人がやってきて、明後日からの工事の下見をする。なんでも下駄箱の部分と階下の書庫の壁、それから仕事場の壁の一部を壊し、仮板を張って、その状態が4月 まで続くのだそうだ。はなはだユーウツである。

 読書人のマンガ評は、二ノ宮知子の『GREEN』を取り上げる。この人とは以前マガジンハウスの『鳩よ!』で一緒に連載していたが、そのエッセイが面白くてファンになった。とにかく無類の凝り性。格闘技観戦から写経にいたるまで、まだ三十そこらの人生で何かにハマって徹底してこだわったもの数知れず。ここ数年は農業に凝り、そのために菜園つきの山奥の家に引っ越し、そんな山奥暮らしに車も免許もない身は不便だ、という理由で車持っているオトコと結婚し(免許修得にはハマらなかったらしい)、念願かなって畑づくりにせいを出して、ナスを作ったら死ぬほど採れ、“もう食べたくない”と泣いているらしい。

 彼女がそれだけのこだわり屋なのに、悪い意味でのいわゆるオタクっぽさを微塵も感じさせないのは、“飽きたら何の未練もなくそれを捨て、他のものに興味を移行させる”という基本姿勢が、フットワークの軽さを生んでいるからだろう。生涯一ギャルゲー、的なねっとり感がオタクの特長であり、アイデンティティをそこに完全投影してしまっている。例え、その対象がアニメと現代思想という複数にまたがっていたにしても、結局、その二つ、あるいは三つ四つにとらわれている限り、東浩紀もそこらのオタクもまったく同じなのだ。今日OPENというTINAMIXの東浩紀&砂の対談を読んで(基本的に面白かったのだが)首をかしげてしまったのは、東氏が何かというとオタクが一般社会から乖離していることを問題視していたことで、今日び現代思想なんてものにこだわって言論しようとしている人達も、一般社会人のパースペクティヴからはオタクと同類として十二分に気味悪がられているんだということにまったく気づいていない。問題は対象ではない。姿勢だ。

 とはいえ、何かにこだわらなければアイデンティティが確立できないのが現代に生を受けたものの多くの悩み。オタク問題を語るときに“お前らの生き方は間違っている”というだけで、今や日本中の潜在人口数億とも言われるオタク全部を否定できようはずもなければ、それでいいわけもない。などとぼんやり思っていたところにテレビ朝日から宮崎勤と佐藤監禁が同世代ということで明日、世代論をインタビューに行くから何か話せ、と電話。ディレクターにそのようなことをちょこちょこ話したら面白がってくれた。ただし、この仕事ひきうけてしまったので、明日アイアンジャイアントの試写に開田裕治さんたち連れていくことが出来なくなってしまった。無念。

 4時、六本木へ出て資料あさる。ABCに松籟社など、京都の出版社の本が並べられて特集されていた。仏教関係で欲しいものがだいぶあったが、いずれも重そうな本なので今日はパスする。マッサージに予約入れてしまっていたため。6時、新宿マッサージサロン。ゆうべのアルコールがまだだいぶ体に残ってますよ、と揉みながら言われる。

 8時、渋谷NHK前のうなぎ屋。ここは並びの焼鳥屋パパズアンドママサンの親父が称賛してやまない店で、初めて入る。十人も入れば満員の店で、こぎたない。ビールとモズクを頼むが、何か他の人はみな常連さんんらしく、いろいろ注文しずらい雰囲気だったので、とりあえずウナ重。なるほど、これは柔らかく、油がのって見事なものである。私があんまりウマそうに食うものだから、親父もだんだん打ち解けてきて、話ができるようになる。“こわい人かと思った”“いや、江戸っ子ってな恥ずかしがりやなんでね”・・・・・・いまどき江戸っ子を自称する板前がいるとはウレシイじゃ ないですか。

 この親父、私に向かって“先生、先生”という。マサカ私の顔を知っているわけでもあるまい。そう言えば、数日前に乗ったタクシーの運転手も私を“先生”と読んでいた。よほど先生的なバカヅラをしているのか。K子にそう言ったら、“正体不明な人にはセンセイと呼んでおけば間違いないと思っているのよ”。大きにそんなところ であろう。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa