裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

26日

火曜日

新撰組ヒモつき

今度きたあの舞妓、土方さんのコレらしゅうおまっせ。

※通院 原稿チェック二つ

朝4時ころ目が覚めて、二度寝する。二度寝ほど楽しいものはないので、昔はわざと4時とか5時とかに目覚ましをかけて、それから7時くらいまでまだ寝られる、という快感を味わったものだ。

8時半、起きて入浴。アメリカンチェリーで朝食。メールチェックいくつか。快楽亭から電話で、ちょっと面白い提案。
「いっぺん、本格的に落語を演ってみませんか」
というもの。稽古の期間も十分にある日程だし、古典にチャレンジもいいかもしれない。岡田斗司夫さんのような落語への取り組み方(紋付を着て高座でしゃべれば何でも落語、というもの)もあるが、私が前から誘われても参加する決心がつかないでいるのは、やはり一時期、本気で落語家のもとへの弟子入りを考えた人間として、いまだ“きちんと本寸法に落語を演じる”ことへのミレンがあるのだ。

10時、家を出て新宿Nビル、Nクリニック。足の具合を見てもらう。ドクター、
「唐沢さんはモノカキだそうだけど、どういうもの書いているの?」
と。先生は歴史物が好きらしい。看護婦さん、
「サイトを見せてもらいました」
という。ちょっと驚く。

待合室で城山三郎『乗っ取り』を読む。横井英樹をモデルとして主人公にし、かつ、彼を(さすがに善とは描いてないが)戦前からの旧支配者層に対する若き反逆者として描いているところが時代である。ついこないだのホリエモンブームにも通じるような気が。とはいえ、小説自体は抜群に読みやすく、面白い。

帰宅して、コミティアのトークのテープ起しの原稿にチェック入れて、さらに『創』のテープ起し原稿にチェック入れて、それぞれ返信。昼はその合間に、鴨スープでラーメンスープを作り、鴨ラーメン。

谷幹一氏、死去。74歳とは若過ぎる。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=239843&media_id=8
「こんち、トムさんやって参りましたのは……」
で私の幼年時代の水曜夜は始まった。
『トムとジェリー』の初期ハンナ・バーバラ版には、声による説明はほとんどなくパントマイム的な動作でわからせるものばかりだったので、原典主義のアニメファンには、このナレーション
http://www.youtube.com/watch?v=2uLiaavFkH0&mode=related&search=
を忌み嫌う一派がいた。日本語版のナレーションを排除せよ、とアジる文章を書いていたが、そのときも、そのナレーションを言い表わすのに使っていたのが、この
「こんち、トムさん」
だった。いかに、その言い回しが印象的だったかという逆の面からの証明だろう。

森氏のギャグ的教養の源となっているのはチャップリンやキートンといった無声喜劇だろうが、しかし、実はそれらが日本文化に根付いたのも、それらの輸入初期、弁士というナレーターが、エディ・カンターを“突貫貫太”、チャップリンを“アルコール先生”などと勝手に翻案して解説していたから、である。今のわれわれがそれらを原版で見て笑えるのは、そのギャグの文法に“慣れた”からに他ならない。

およそ、アクションやホラーにくらべ、ギャグというジャンルは、最も文化による差異の敷居が高いジャンルだ。ガイジンが、ガイジンの国でガイジン相手にドタバタする、というだけでは、まず初見では笑えないのである。モンティ・パイソン作品ですら、イギリスとアメリカのギャグの文法の壁に遮られて、その初期はアメリカでの人気はさっぱりだった。日本でだって、最初に受けたのは声優ファンたちによるものだったのである。

ギャグの基礎には、その文化独自の文法があるのだ。エノケンやシミキンはチャップリンやキートンなどのアメリカ製喜劇の文法から、日本人に受けるエッセンスを抽出して翻案し取り入れ、大人気を博した。本物のチャップリンやキートンが一般大衆に受け入れられたのは、日本の喜劇人たちがまず、翻案で日本人の風土思考に彼らのギャグを合せて根付かせた、その土壌があったからだった。

初期のテレビ番組にはアメリカから直輸入の『ちびっこギャング』などの純正スラップスティックものもあったが、ついにそれらは日本の風土に根付いていない。昭和40年代初期のわれわれ子供には、トムとジェリーの乾いたギャグを、“こんちトムさん”“……ってんで”“ほんにお空は良い天気”などという日本的な文句で適度にやわらげ、橋渡しをしてくれる役が必要だったのだ。

そして、その橋渡し役には、明るくて、親しみやすくて、どこかでよく聞く声の持ち主、というキャラクターが必要だった。谷幹一の声はそういうキャラクターに本当にぴったりで、われわれをトムとジェリーのあの世界にひっぱりこんでくれた。

たぶん、海外アニメファンとして、すでに『トムとジェリー』は原版で見た回数の方が多くなっているし、そちらの方がやはり見ていてスッキリする。しかし、私の中で、初めてのトムとジェリー体験は、谷幹一の“こんち、トムさん”つきのアレである。アレを否定するつもりは毛頭ないし、アレのおかげでトムとジェリー、ひいては海外アニメの世界に入っていけたことはまぎれもない事実だ。

喜劇人として、俳優として、私の世代には谷氏の顔は“ごく普通に、どこにでも出ている顔”だった。いろいろ語りたいことはあるが、まず、私としてはこの『トムとジェリー』のナレーションのことを語らないではいられない。また、昭和の証言者が一人、この世を去った。ご冥福を祈りたい。もっと聞いておくべきことのあった人だろうに。……それにしても、“こんち(今日)”なんて芸人ことばを子供番組に持ち込んだ最初のアイデアマンは誰なんだろう。谷氏か、それとも演出家か。あれで、この、消えていって当然みたいな特殊な言葉の寿命が50年、延びたよなあ。

3時半、家を出て事務所。明日の『ピンポン!』内容等のFAX。オノと、トンデモ本大賞用の動画、確認。数ヶ所、訂正箇所あり。秋までの予定に一冊、書き下ろしが割り込む。まあ、重いものではないが。大瀧詠一のCDを聞くが、いつでも奇妙にサイダーが飲みたくなる。刷り込みのオソロシサ。

雨はあがったが気圧のせいか、疲れひどし。早めに切り上げ、HMVで買い物少し。それから東急本店に寄り、帰宅。タコ飯、鱧の皮の酢の物などで酒。DVDで007映画のドキュメント・フィルムなど見る。『ゴールドフィンガー』のオーディションを受けるティトス・バンデス(『エクソシスト』で陰気くさいことばかり言うカラス神父の伯父をやった俳優)、なんてのは珍品。12時前に寝る。とはいえ、DVDに熱中してホッピー三本空けた。少し飲みすぎ。明日またメイクのノリが悪かろうなあ……。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa