裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

木曜日

東海大詩人

金子光晴(愛知県出身)のこと。

※ギプス除去 企画打ち合せ おれんち接待

朝7時起床、シャワー。日記つけなど。9時朝食とり、10時に病院へ。母に行きだけつきそってもらう。しかし、N病院、選んで正解。大病院に比べ待ち時間が1/10である。院長先生にテレビの収録などあることを告げ、その前日くらいにギプス外してもらう(繃帯固定のシーネにしてもらう)許可を得る。

やれよかった、と新中野に一旦帰り、コンビニで昼飯のシラスご飯など買う。普段着で、髪もくしけずらず、ギプス姿でヨタヨタ歩いている姿などあまり人目につきたくないが、自転車ですれ違った若い女性が、後ろから自転車降りて駆け寄ってきて、
「ファンです! 握手してください!」
と言ってきた。ファンサービスに吝かではないが、よりによってこういうところで。

オノに、かくかくしかじかなんだけど、収録はいつ? とメールしたら、直近は月曜予定だという。では、明日(金曜)にはもうギプス外さねばならない。病院に電話したら、なんなら今日取ってしまいますか? というので、喜んで取ってもらうことにする。

タクシー乗って、1時半(午後の一番)でまたNビルクリニック。先生に事情説明し、処置室でギプスを前後に切って、ギプスシャーレにしてもらった。わずか二日間であったが、その解放感はなはだし。ノコギリでギプスを切るときはやはり怖いが、その技術師さん、回転ノコを自分の掌に(回転させたまま)押し付けてみせて、
「ほら、柔らかい皮膚は切れないようになっているんですよ」
という。進歩したもの。子供のころ、本当の石膏(ギプス)だったやつを切ったときは、足に折り曲げ線のようなテンテンの傷跡が残ったものだった。一応、切った二つを合せて包帯で停めたが、タクシーで渋谷に行く間に、全部はずし、用意してきた靴下と靴にはきかえる。
もっとも、ドクターが
「ギプス外すと痛むよ」
と言ったとおり、足の甲、歩くとちょっと響く。もっとも、ギプスをはめて歩くと、左足膝が体重を支えてうんと痛んだのだが、それが無くなり、まあアイコ、といったところ。

事務所に外したギプス置いて、すぐ時間割、某社Oさん。某企画の件、向うもいろいろ人材がいて、動いてくれているらしく、話が早い。もっとも、Oさんが動けるのはワク作りまでで、あとはこっちが丸ごとやることになる。これはかえって有難し。関連の連絡先などをOさんに伝える。

事務所に帰って、少し休む。今日は上記打ち合せとギプス外しで全て気力を使いきった感じ。来年のトンデモ本大賞の会場が押えられたというので、その関連の連絡事項など。渋谷、ずっとヘリコプターの音、かまびすし。松濤の爆発現場の上を飛んでいるのであろう。

6時、オノ、バーバラと家を出てタクシーで中目黒まで。途中、爆発現場付近を通る。カメラかまえた弥次馬たち大勢。なるほど、こんな近くであったか。

中目黒から東横線で武蔵小杉まで。立ちんぼだったが、立っている分にはまったく支障なし。武蔵小杉駅でアスペクトK田くんと社長さんと待合わせ。今日は社長接待という豪勢。というか、私の日記のファンの社長が、
「ぜひ“おれんち”へ行きたい」
と言って一席設けてくれたのだった。

さすがに駅から歩くのはツラいので、タクシーにする。タクシーだと、回り道をしてもワンメーター。ずいぶん歩くような気がしてもそんなところか。

ゆたかさんに挨拶、お母さんもいつも通り。座敷にあがって、ヒューガルテンで乾杯。初っぱなの鶏レバー刺しから好評でおかわり。あとはお造り盛り合わせ(写真参照)、ボタンエビ、それから反時計回りで鯛、ひらめ、イワシ、クエ、カツオ、イカ、シメサバに炙りサバ。

さらに地鶏のダッチオーブン焼き、ボタンエビと桜エビの唐揚げ、クエのカマ焼き、クエしゃぶ、〆が手打ちソバと手こね寿司。酒はヒューガルテンとサミュエルスミスのスタウト、開運一升瓶一本とって。

仕事の話もして、社長から、ちょっと大きな仕事の話も提案いただいた。ここまでかってくださっていること有難し。果たして今の自分に出来るのか、ということも含め、とにかく一冊、書かせてもらうことで約束。そこから、である。

私は学者じゃないし、どこかの専属研究者でもない。出来ることは、ラディカルで刺激的な発言をし続けていくことである(丸谷才一の言を行動原理にしている)。言っていることが正しければそれにこしたことはないが、とにかく在野の人たちに面白く、かつ、専門分野の人に何かそこから発想を得てもらうような、そんな発言と著述をしていきたい。つつかれることを恐れて実証的になりすぎるのはフリーのモノカキとしては退歩に属する。最近は、自分はフリーでなくアカデミズムの一派なのだ、と思い込んでいる人も多いようだが、棲み分けを
考えていかないと、中途半端なものにしかならない。

なんだかんだ、ゴシップから業界の現状から、話と酒と食い物がはずみ、私のファンという常連さんとも歓談して、7時ちょいすぎに店に入ったはずだが、ふと時計を見たら11時半だった。お父さんにも挨拶、新しく出来た焼肉スペースも見せてもらう。タクシー呼んでもらい、駅まで。まだあった特急に乗って、15分で渋谷。近いこと。タクシーで帰宅。途中までK田くんと一緒に。いろいろ話す。

驚いたことに、酒が入ると足の痛み、ぴたりと止まる。アルコールの鎮痛作用を思い知る。これで思いだしたのが、京須偕充『みんな芸の虫』での、常に一升瓶を手放さない元・鬼の芸能プロデューサー、出口一雄のエピソード。京須は初対面のときから彼に酒を無理強いさせられ往生するが、円生の証言によると、出口は交通事故にあい、骨を損傷して、その痛みに晩年は悩まされていたという。あの酒は、その痛みをやわらげるためのものだった、と本には書かれていた。結局、その酒は出口の命を縮めることになるのだが、私もこの痛みが続けばアル中になるかもしれぬ、とチラと思う。

とはいえ、痛みが全くないのは不気味だが有難い。メールチェックするが、酔っているので返信は明日、として1時、就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa