裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

31日

水曜日

ランボー・ザグラダ

あいつのプロレスの完成には150年はかかるな。

7時45分起床、目を覚ますと同時にベッドから飛び出られる幸せ。このあいだまでの、なんとか一分でも長く布団を頭からかぶってじっとしていたかった鬱感覚とは大違い。何年も鬱という人も大勢いるが、本当に可哀想だ。

入浴、ヘンケルでカカトを削る。9時、朝食。トマトスープ、青汁、スイカ。母の料理サイトの件、さていつごろから動かすか。ニュースでジャワの地震のニュース、心痛む。私は引退したら南の島のコテージ・ハウスのベランダで、揺り椅子に座って日がな一日、海をみつめつつボケていくことが理想なのだ。南方は楽園であってくれねば困るのである。

自室で仕事。佳声先生本のタイトルの件などいろいろやりとり。紆余曲折の末、まず無事に治まった。昨日マドから送ってもらったトンデモ本大賞用のエンディングムービーを何度も見る。単に来年の開催はイイノホールで、と英語で告知するだけのものなのだが、妙にカッコいい。川上史津子さんから公演について電話。

『ウォーホル日記』、トルーマン・カポーティの独壇場。整形手術マニアで、前の手術の傷跡が治っていなくてフランケンシュタインの怪物みたいに、顔に縫い目が縦横に走っている状態で、さらに鼻梁を高くする手術を受ける。その病院にウォーホルと“お忍びで”いくときの格好が
「頭にはスカーフ、その上につばを折り込んだ風変わりな小さい帽子、それにバブーシュカとジャケット、口にはスカーフを巻きつけ、サングラスをした上にジャケットとオーバー」(1979年2月16日)
さすがのウォーホルもその奇人ぶりに呆れているのが面白い。
「そんなものを身につけなければ、誰も注目したりしないのにね。顔から血を流したただの変なやつですんだのに」
 しかもその数日後に、カポーティは今度は頭髪の移植手術を受けるのである。マイケル・ジャクソンにはこういう先達がいたわけだ。

12時、弁当(牛肉とセロリのオイスターソース炒め)使って渋谷へ。東宝は以前金子ゴジラをくさして以降、試写会の招待状を一切送ってこなくなった。『日本沈没』のも当然、なし。これもやはり封切ってからか。

かなりせっぱつまったヤフーのネットマガジンの原稿を書く。800W。こんなものでも1時間かかってしまうんだから、遅筆になったものだ。オノが所用で出かけている間に、某プロダクションから電話。11月の某地方仕事、予算の関係でかなりショボいものとなるという。この仕事、まだ私の耳にまで届いておらず、オノがマネージャーレベルで交渉していたものだが、私が“まあ仕方ないですね”と口をすべらせたのをつかまえられて、“じゃ、それで決定でいいですね”と言質とられてしまった。

4時、カフェミヤマ。開田さん夫妻と打ち合せだが、なかなか開田さん来ない。どうも同じミヤマがセンター街にもあり、そっちの方に行ってしまったらしい。打ち合せは2日に金沢から21世紀美術館の人が来るので、そのとききちんとやることにして今日はまず、二人で何が出来るか、という付け合わせ。夫妻の作った植木不等式氏の同人誌『さあ、場ちがいになりなさい』いただく。

オノと待ち合わせ、青山劇場。劇団☆新感線『メタルマクベス』観賞。やたら長い舞台なので、先にオーバルビル地下の蕎麦屋でちょっと腹ごしらえ。白魚かきあげ蕎麦というのを頼むが、かきあげが歯が立たないくらいに硬く、ひどい。
「粗食必ずしも賎ならず」
と壁に詩の文句が書いてあったがかきあげそば890円で確かに粗食ではないが賎しい気分にはなったことであった。

メタルマクベス、S席。それなりのお値段。同列に川平慈英がいた。宮藤官九郎と新感線、そしてシェイクスピアの組み合わせという凄いお芝居である。三すくみにならないかと思っていたが、うん、まず楽しめた。ことに前半、青山劇場の舞台狭しと駆け回る新感線の芝居の中にクドカンのどうしようもない小劇場ギャグが連発される部分が特によし。レスポール王(ダンカン)とその軍勢は『ニューヨーク1997』のアイザック・ヘイズとその取り巻きたちがモデルだろう(設定もまたしかり)が、レスポールを演じる上條恒彦がちゃんとクドカン芝居をやっていて、驚く。しかも当然のこととはいえ、声が抜群にいい。内野聖陽も松たかこも頑張ってはいるのだが、一生懸命、全開という感じなのに、上条の歌は軽く歌って彼らの声量を超え、かつ余裕がある。これはかなわぬ。鍋をかき回す右近健一はじめとする魔女たちが、和歌山のカレー事件のノリで(右近の役名が“林さん”)、全員MIKI HOUSEを着ているなどというところも結構(あとで開田さんが教えてくれたが、MIKI HOUSEではなく、MIKI MOUSEだったそうだ。やはり苦情が来ると困るからだろう)。

それに比べると後半は(やっと粟根まことと逆木圭一郎が活躍しはじめるのに)、単にマクベスの筋を新感線風になぞっただけになってしまい、残念だった。もともと、マクベスという芝居はシェイクスピアの原作自体、芝居としての構成に難があって、前半に圧倒的な悪の魅力を見せるマクベスとその夫人が後半はただ翻弄されるだけの情けないキャラに成り下がり、ダンカン、バンクォーといった重量級の役柄のキャラクターがこれまたどんどん殺されていってしまい、あとはただ、前半でそれほど魅力的に描かれていない(観客が感情移入できていない)マクダフがストーリィの中心になるので、どうも竜頭蛇尾に終わってしまうのである。シェイクスピア先生といえど常に完璧ではないのだ。

原作では序幕近くで殺されてしまうダンカンを亡霊にして最後まで出す(上條恒彦は最初、ダンカン役と聞いて、楽な芝居だと思って引き受けて、最後まで出番があるのに驚いたらしい)というアイデアはいいが、それなら、バンクォーや他の死者たちもどんどんと登場させ、現世と冥界の境を取り払ってしまうような、大胆な改変をしてほしかった。さらには1980年代のメタルバンドとの対応も最後まで徹底して、過去と未来が交錯、役柄がときに混淆、ときに混乱するような“演劇的仕掛け”が、クドカンならあるかと思ったのだが力及ばなかったようで残念。だいたい、ひとつの芝居で3時間半(!)は長すぎ。原作の各シーンをかなり忠実になぞっていたが、ここらをコンパクトにまとめて、マクベスのエッセンスを現代風に抽出してみせて初めてクドカンを呼んだ意味があるだろう。

役者では上条の他はやはり主役の内野聖陽がカリスマ性あり。あれだけナルシーに役を演じられる役者は新感線の舞台では市川染五郎以来だ。松たか子はマクベス夫人はいいが、メタルバンドのローズ役ではいまいち役を作り切れていなかった。

音効をやっていたのがゴールデン劇場のときのSさんだったので、粟根さんに新著を託して、オノと出る。オノはなかなか楽しかったと満足の様子。それにしても、出て10時である。いくつか知っている店を回るが、ラストオーダー間際だったり、いっぱいだったり。じゃ、と、青学生のたまり場たる『居酒屋中西』へ。隠れ家的な店だがレトロな店内にレトロな食い物。ビールと黒ホッピー飲みつつ芝居談義。

牛なべ(680円)、生ビール(290円)、ホッケ焼き(460円)と、この店は青山の居酒屋としては安くて、味もまずまず。オノは“ナポリ風焼きそば”の味に感激していた。商業劇団としての新感線の魅力とそれ故の物足りなさ、など話す。12時の二階閉店までいて(一階は深夜3時ころまで)出て、タクシーでオノを新宿まで送り帰宅。

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