裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

4日

木曜日

水戸泉に囲まれて

静かに眠る……(眠れない)。

朝8時45分起床、朝食遅らせてもらってもう30分寝て入浴、9時半朝食。ホウレンソウスープ、ブドー、バナナ。うららかな休日。今日は完全な仕事無しデーにしようと思っていたら『社会派くん』テープ起こしがアスペクトK田くんから。仕事からは逃げられないな。

日記つけ、メールなどいろいろ。さすがに仕事関係は少なく、個人的なものばかり。昨日のロフトの感想など。昨日は芦辺拓さんや児玉さとみさんがせっかく来ても混み過ぎで入店できなかった模様。受付の子が新人で気がきかなかったのも原因か。申し訳なし。日記につけ忘れたが、昨日、たまさんに大阪の風俗店の客引きの文句の話を聞いた。梅田駅前でたまさんが聞いたのは
「はいはい、乳首巴投げ、乳首巴投げ!」
というやつだったそうだ。どんなのだ、いったい。

大根の味噌汁作って、それで弁当を使う。シャケと卵焼きつきの海苔弁。原稿チェック途中で眠くなり、3時までグー。舌の先が痛むと思ったらそこからピリピリ、と裂けていき、全身脱皮する、という夢を見る。起きて『社会派くん』。5時になんとかアゲ。しかしすごい分量。400字詰め原稿用紙にして60枚以上ある。

トイレ読書、小松左京『威風堂々うかれ昭和史』読みつぎ。戦争の影が日本を覆ってきた昭和十年代前半の、暗いイメージを、思想統制とか軍国主義とかという大所高所からでなく(子供だったんだからアタリマエだが)例えば流行歌の変遷(そのバックグラウンドに録音技術の発達の歴史が入っているのは当然)とか、衣類が次第にスフや人絹に変わってきたという、具体的、実証的なモノの記憶と資料に絞って、そこから“人”の歴史を見る、という小松節は変わらず、そういう箇所になると思わず
「来た来た!」
と声をあげてしまう。

私は小松左京という人物を作家でなく、思想家、いや物想家として自分の中で位置づけている。子供の頃から彼の著作を読んできたおかげで、人間を動かすのは具体的な“モノ”である、ということを学び、結果、現代思想などという虚学に染まらずにすんだという点ではいくら感謝してもしたりない。この本で物想家小松左京健在を確認できてうれしくなった。……ただし、漫才台本作家という出自からか、話の合間に自分を道化にしてギャグをはさむクセはもうやめた方が。いくら昭和史の本だと言っても、そのギャグセンスが古すぎる。

6時半、家を出て地下鉄で東新宿へ。中野坂上で大江戸線に乗り換えられるというので降りたら、東新宿へ行くには都庁前でさらに大江戸線の別路線に乗り換えねばならぬことがわかる。不便なことよ、と路線図を前に顔をしかめていたら、隣で同じようにうーんとか言っている女の子がいて、見たら声ちゃんだった。やはり中野坂上で乗り換えて失敗したー、と思っていたとか。で、都庁前で乗り換えたら、今度は談之助夫妻に遭遇。大江戸線クサシでしばらく。

焼肉幸永でと学会関係食事会。例によりバカ話。FKJさんが、アニドウのカメラマンである南正時さんが、東宝特撮映画の脚本家の関沢新一さんと鉄道マニア仲間で、いろいろと彼のエピソードを知っているらしい、今度聞きにいきませんか、という。ソレハ思いがけないところに証言者が、と驚く。モスラが渋谷駅から246を通って東京タワーに向かうのはそのあたりに関沢さんの家があったからだ、とか。今度南さん誘ってイッパイやりましょう、と話す。

ちなみにモスラの東京縦断ルートは下記のサイトによると
http://home.f05.itscom.net/kota2/jmov/1996_02/960207.html
「青梅街道を通りちょうど初台のあたりで右へ転進、道玄坂方面より東急東横店と地下鉄の癖に高架を走る銀座線を破壊しつつ、渋谷駅を通過、246を通って青山の交差点を右折、飯倉の交差点をまたいで東京タワーへ到着、繭づくりを始めようとしてよじ登ったタワーの上部をへし折り、イキオイあまってずっこける」
だそうである。志ん生の『黄金餅』を思い出す。

途中で声ちゃんの誘いで大槻ケンヂ氏も参加。昨日パチンコで大損した、とボヤいていた。大槻さんが今度歌うヒーローものの主題歌の話など。二人は途中でどこかへ消える。美女をかっさらっていかれてみんな少々ブーブー。S井さんの奥様から、和央ようか引退記念興業のチケットをいただく。かたじけなくもかたじけなし。まだ事故で痛めた腰が本調子ではなく、コルセットをつけての舞台らしいが。K川さんは私の日記を読んですぐノタガに本郷さんたちと行き、飲んだ牛乳酒のあまりのうまさに、すぐネットで取り寄せたらしい。ネットで検索すると、K川さんたち以外にも、あの店に私の日記を見て行った人がたくさんいるらしい。

食べ終わって、しら〜が“じゃ、ハードリカー行きますか”と誘うのですぐフラフラとついていく。あやさんと三人でチャイナハウスの三号店に行くが、嗚呼、4月30日で閉店。仕方なくまだやっているだろうと本店の方へ。今日はマスターおらず、マスターのお兄さんがいらした。マスターもかなりの中華顔だが、お兄さんもまず、日本の人とは見えない。そう言えばラジオであいさんが
「兄弟三人、全員中華の調理師」
と言っていたな。もう閉店まぎわだったので、紹興酒とアリ酒。飲みつつしら〜にきつくきつく説教される。

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