裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

28日

日曜日

愛、あなたとフリーター

フリーターのため、世界はあるの(はて迷惑な)。

朝8時起床。またもやハッキリしない天気である。もっとも午後は晴れるという天気予報。入浴、9時15分朝食。セロリのスープと青汁、スイカ二切れ。今年の初スイカだが甘くて美味。

午前中は日記つけなど。DVDで『コムテツ』見直す。弁当(卵焼きにタラコ)使い終章を読み残していた森達也『悪役レスラーは笑う』を読了。以前、この本の感想で案外褒めたことをこの日記に書き記していた記憶があるが、終章を読み終えてアリャと思う。要するにグレート東郷や力道山が、自分たちの出自を隠しつつ(東郷のソレはあくまで著者の推測だが)大和魂を売り物にしていたことをとらえて、人間というのは単純な愛国心とかで割り切れるものではない、今の日本の右傾化、愛国心強制は日本人が単純バカになってしまったあらわれで情けない、と嘆いているのだが、いくらなんでもそう簡単に割り切れるものか。単純バカはこれでは森氏の方だと思えてきてしまう。

しかもなんでここで唐突に石原慎太郎批判が登場するのか、さっぱりわからぬ。何故か匿名で登場する“中国をことさらにシナと呼ぶ”保守派の論客というのは誰か。シナの呼称に執着している人なら呉智英だろうが、呉氏を保守派の論客、と言い切るというのもずいぶんと単純なレッテル貼りだと思う。小泉自民党が選挙で大勝したあとの新聞の調査で
「自民党がこれほど権力を持ってしまって不安だ」
という人が七割近くいることに対し
「この国はいつもこうだ。後先考えずに熱狂して、そしてすべてが終わってから、呆然と天を仰ぐ」
と言っているが、まず第一にあれだけの圧勝のあとで、国民の七割もの人間がその結果を不安に思っているというデータが出るという不自然に、マスコミのデータ捜査の可能性を考えないのがおかしいし、仮にそれが正しいとして、見方を変えればそれは次の選挙で反動が来るという、日本人の健全なバランス感覚のあらわれとも言えるではないか。

プロレスに付随するナショナリズム鼓舞というのはあくまでもギミックでしかないものだということは『ブラッシー自伝』などを読めばすぐわかる(彼はアングロサクソンレスラーの代表としてイタリア系のブルーノ・サンマルチノなどと抗争を繰り広げるが、引退してマネージャーになると卓抜したアイデアマンとして、弟子のレスラーたちにロシア、アラブといった反米キャラを付与して、満場のブーイングを浴びさせて大儲けさせた)。

「プロレスは底が丸見えの底無し沼である」
という『週刊プロレス』編集長の言葉を森氏は最後に引用して
「不思議だ。この言葉における“プロレス”を“ナショナリズム”に置き換えたとしても、意味はそれほど変わらない」
と述べている。要するにナショナリズムをせいぜいがショーとしてのプロレスと同等のもの、と矮小化しようとしているのだろうが、しかしそのプロレスにおけるナショナリズムの権化たるグレート東郷の謎ひとつ、森氏は解明できなかった。ナショナリズムを笑う権利はまだ、この著者にはないのではないか。

『ウォーホル日記』、トルーマン・カポーティ登場、ゲイ同士でウォーホルとは大変にウマがあった模様。カポーティはジョン・ヒューストンと四十回もフェラチオをしたとか、ハンフリー・ボガートにアナルセックスを教えたらボガートはカポーティに惚れ込んでしまって自分からせまるようになった、とか言っている(78年7月7日の記述)、ホンマかいな、と思う。ウォーホルも「カポーティはすぐ話をつくる」と言っているが……。

3時、やっと晴れて馬力出て、講談社モウラの原稿を書き出す。5枚、と自分で枚数は決めていたがなかなかその分量ではおさまらず、7枚を越してしまった。ともあれ延ばしに延ばしていたものを書き終えてホッと。

「唐沢さんは大金持の息子なのですってね」
と某人とのメールやりとりで言われて驚く。訊いたら、岡田さんのロフトでの『オタク・イズ・デッド』ライブの感想のブログ等に、大月隆寛の書いたヨタ文が引用されていて、それで広まった話らしい。この大月という男はちょっと前、“新しい教科書を作る会”に批判的な意見を書いた長山靖生氏をどういうわけか、と学会員と思い込んで、その思い込みのままに、やたらあてこすった下手糞な文章でと学会批判を雑誌に載せたことのある(しかも私の指摘にも謝罪や訂正等を一切していない)いい加減な男である。子供時代の私の家がどういう経済事情だったか、事実関係くらい調べてから人を“ああいうヘンなの”呼ばわりをしてはどうかと思うが、まあこういう志の低いヤツには何を言っても無駄だろう。

6時20分、家を出て新宿までタクシー、埼京線で池袋まで行き、そこから丸の内線で茗荷谷。IPPAN、しら〜、談之助の三名とトンデモ本大賞打ち合せ。駅ビルの中の『わたみん家』で。この店名、けらえいこにいくら払っているのか? 話はもっぱら大東両先生休演の代演のダンドリ組み。あと、会場がイイノホールに変わる来年の件なども話す。

風邪がひどいらしいIPPANさん励ましつつ、エンガワの寿司、エイヒレ、焼き鳥などパクつきつつ雑談も。モンティ・パイソンばなしとか古い落語家の話とか。あとちょっとおめでたい話も聞く。

IPPANさん、談之助さんと別れ、しら〜とチャイナハウスへタクシーで。ジュンさん、マスターと雑談。常連さんで四国のお百姓さんがいて、土地を相続したら相続税が一億円かかった、という話聞く。自家製アワビのキモの塩辛をいただいたので、一箸つけて
「お酒が一升飲めるねえ」
と言ったら、その口調が植木不等式さんそっくり、とジュンさんに大いに受ける。ここの料理が出来たものをただ皿に盛って出すだけの素っ気無さなのは、“中華料理はみんなで箸をひとつの皿に突っ込んでワイワイやりながら食べるもの”、というマスターのポリシーによるものなのだそうだ。

今日は〆が珍しくリーメンでなく、鴨肉の炊き込みご飯。いま、チャイナハウスは高島屋に出店を出している(30日まで)ので、その同じ出店している店の間で、いろいろ商品をおすそ分けしあっているそうである。なかなか美味し。アワビのキモ、紹興酒と五糧液でじっくりいただき、余った分はおみやげにしてもらう。タクシー、しら〜がおごってくれた。かたじけなし。帰宅してメール、ネットなど。ちょっと嬉しいニュースもあり、鼻歌など歌いながらベッドに入る。単純なことかな。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa