裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

8日

月曜日

「モロッコだってね」「神田の生まれよ〜ン」

受けは略。

朝の夢、ずっと原稿を書いている夢なのだが、スタッフ大勢に囲まれて、ああだこうだと打ち合せをしながらパソコンを打っている。
「ここはこう書こうと思っているんだがな」
「いや、それはもう少し後半に持ってきて、そこではこのような説明をした方が」
という感じである。実際には気が散って不可能だろうが、出来るとするなら理想的な執筆法というか、実際の執筆も脳内ではいくつもの人格の私ズがこういうやりとりをしながら書いているのだろう。

8時半起床、入浴して9時朝食。冷たいスープとトマトジュース、バナナ一本とオレンジ半顆。日記つける。マイミク日記の、曽我町子さん訃報への言及アップの多いことに一驚。愛されていたんだなあ。

私にとってオバQの声はこの人以外ありえない。その分、他の声優仕事、『サイボーグ009』の007とかはあまりにオバQのイメージが強すぎてなじめなかった。他の人たちもそうだったと見え、その後オバQでの正ちゃんこと田上和枝とのコンビで『花のピュンピュン丸』のケメ子、『ミクロイドS』のマメゾウなど、いくつかの持ち役はあったが、声優仕事は次第に減っていった。あまりに強烈なイメージで役柄と同一視されると後の仕事に差し障るという例だろう。

数限りなく買ったオバQ関連の書籍やソノシート中、最も印象深いのが田上和枝の歌
にからんで歌っている『ぼくは正太だい』。ここでダウンロードできる↓
http://www.clubdam.com/dam/leaf/songDownloadLeaf.do?
contentsId=3551334

この中で曽我さんは虎造節を模した浪曲調で歌っているのだが、はっきり言っていまの女流浪曲家よりよほど形が決まっている歌い方だ。子供向けのソノシートで浪曲のパロディが通用する、というこの時代(昭和40年代)もスゴいが、その器用さに聴いていたこちらも驚いた。

器用すぎる人というのはその器用さで一生食いっぱぐれはしないまでも、残念なことに居場所を一定させられないという悪癖を持つ。『こだわり声優事典』(小川びい)によれば、彼女はかのアーニー・パイル劇場で演出を担当した異才舞踏家、伊藤道郎(ジェリー伊藤の父)の演劇塾で学んだというから、その活動の多彩ぶりは師匠ゆずりだったのだろう。ただしこれも上記声優事典によれば
「やじ馬根性旺盛にて」
イタリア美術大学やアラビックイスラミックインスティテュートに学んだという。ちと好奇心旺盛すぎる気もしないではない。そして当然、どこも中退。結局、日本の演劇界、アニメ声優界というのは彼女にとっては地味すぎる場だったのではないか。

彼女がその後、東映子供番組、変身ヒーローものの魔女や悪役で最もいきいきとした演技を披露していたのも、あの世界が日本には珍しく日本の風土離れした性質を持っていたからにほかならない。『5年3組魔法組』の魔女ベルバラなど、彼女でなくては演じられない役柄だったろう。知りあいに聞いたところでは、どうも人付き合いの得意な方ではなく、その態度が誤解を招いてそれで孤独になっていった部分もあるという。日本的ムラ社会には合わないタイプだったのかもしれない。

われわれを作り、徹底的に楽しませてくれた人として、最大級の感謝と追悼の念を送りたいが、しかし、生まれるのが30年、早すぎた人なのでは、という思いも同時にしてしまうのである。

今日は曽我町子さんの他に吉行理恵さん、松山恵子さんの訃報もあった。奇しくも同年代(吉行さん66歳、曽我さん68歳、松山さん69歳)。

松山恵子さんは一生を風靡した『だから云ったじゃないの』『お別れ公衆電話』で、昭和30年代を彩った歌手である。どちらも田舎出のうぶな女の子が都会の男に弄ばれ捨てられて、前者ではお店の先輩に慰められ諭され、後者では失意のあまり故郷に帰ろうとするがつい、駅の公衆電話から彼に電話をかけてしまう。集団就職で東京が田舎の子たちのあこがれの場になっていた時代に生まれたドラマをすくい上げた、まさに時代の生んだ流行歌であった。ちなみにこういう歌を松山恵子はステージじゅうにスカートの裾が広がるようなド派手な衣装で歌い、観客の度肝を抜いた。ド派手衣装は小林幸子が元祖ではない。こっちの方なのである。

『だから云ったじゃないの』の冒頭の有名なセリフはその後日本語の常套句にまでなり、立川談志が自分の落語『源平盛衰記』のオチにつかっている。
「そのとき義経が建礼門院の肩を抱いていった歴史的な名ゼリフ、“あんた、泣いてんのネ?”」
これってマルC大丈夫なのかね?

弁当(つくねとハスのきんぴら)を自宅で。お菜も非常に旨かったが、自分で作った大根の味噌汁がまた旨い。なんでこんなに旨いのかと思ったらK子がやたら高い味噌を買っているためで、500グラム1400円! 一般の金銭感覚の家庭の主婦なら使えない。

仕事場に出て、オノ、バーバラと井戸端会議。だんだんオバサン化していかないか、自分。フィギュア王原稿一本(いつもの連載でなく100号記念特別原稿)書いて、図版ブツはオノに託して明日、担当のS川さんに渡してもらう。

あといろいろ予定もあるのだが、今日は後はひたすら幻冬舎の小説原稿。今日は20枚というノルマが短く感じた。最中にもいろいろmixiやMLなどでメールのやりとり。昨日の例会のことなど。

某DVD雑誌から電話。かけてきた編集さんは、以前、別の雑誌のインタビューのときに(インタビュアーは永江朗さん)一緒に来た編集さんで、今度出版社を移り、件のDVD雑誌のリニューアルを担当するのでコラムを連載してくれないかという話。打ち合せ日取りのみ決める。なんだかんだで新連載がこの改編期5本ほどある。じっくりと書き下ろしにあてたいと思っていたのだが、やはり日銭は欲しいし、悩むところ。他に猫三味線関係打ち合せも入った。

7時半、幻冬舎トテカワYさんと渋谷ルノワールで。小説の原稿渡した他に新書の内容を詰める。類似テーマで内容は最低の某新書と、同テーマでくくられないためにどう工夫するかという話などする。

Yさんとお酒でも、と思ったがまだ今日は原稿残りあり、泣く泣く帰宅、少し仕事。気圧最悪で、途中で放り出してDVD『ナイル殺人事件』見る。なんでかというと、劇中のアンジェラ・ランズベリー扮する女流官能作家サロメ・オッターボーン女史を日本で演じさせるなら曽我町子などピッタリなのでは、と昼間思ったため。脚本アンソニー・シェーファー、音楽ニーノ・ロータ、撮影ジャック・カーディフというこれまた『オリエント急行殺人事件』に負けないすごい豪華メンバー。札幌では1978年公開で、併映が『ルパン三世・ルパン対複製人間』という凄い二本立て。それだもんだから、翌79年の『カリオストロの城』の併映が『ミスター・Boo! ギャンブル大将』だったときには、ルパンも落魄したなあ、という印象だった。牛肉のジュウジュウ焼き、油揚炒めなどで飯と酒。イカ丼を作ろうと思ったがサントクで買ったイカソウメンが臭くてダメ。

水割り缶傾けつつ『東京ビタミン寄席』など見る。『流れ星』『三拍子』『どーよ』の三組見たが、どれも達者だと感心。『流れ星』の片割れが歯で『剣の舞』を演奏する、という珍芸を見せていたが、“チャイコフスキーの『剣の舞』”などと言っていたのはいただけず。1時就寝。

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