11日
木曜日
海上不安感
こうやって竹島近辺を巡回しているだけで攻撃されないかなあ。
朝7時半起床。入浴、服薬、9時朝食。コンソメスープ(野菜入り)、イチゴ大粒のもの数粒とオレンジ一顆。自室で日記つけ。朝から雨、調子極めて悪し。
マイミクをこちらから切ったことは一回もないのだがさすがに今回、ML漏洩の件で自分が原因でドタバタしていることにまったく無自覚な言動のある某を、何回かのメールやりとりのあと、削除する。
「お騒がせしております」
の一言もなくこちらにデータ開示を要求し、あまつさえそれに不快感を表明すると
「釈明ではなく説明です」
などと言ってくる。困ったものである。個人的にはこういうのを一人置いておくというのも刺激になって嫌いではないのだが。
昨日、小遊三の“真打をとる”という言い方に疑念を表明したが、知りあいが芸協の噺家さんに確認したところ、“トリをとる”という言い方は楽屋の符丁で、正式には“真打を取る”と言う、との答え。こっちの認識が場違いだったかと思ったが、しかし談之助に言わせるとやはり“真打をとる”とは言わないのではないか(あえて言うなら“真をとる”ではないか)とのこと。少し確認の必要がありそうだ。
弁当使う。菜はタラコ。ゆうべの豚と白菜の鍋の残りに味噌を投じて豚汁に仕立て直して添える。2時、出勤。雨は小やみ。幻冬舎『ゲーテ』原稿書く。依頼されたテーマに合っているかどうかは微妙だが、ちょいと悪趣味風味もあり、書いていて非常にノッてくる内容。つくづく私はこういうのが好きだな、と思う。
鶴岡から電話、オノが“〆切キツキツのときに取り次いでいいものかどうか”迷いつつ取り次ぎ。こっちも最悪の体調からの逃避でつい、また長話してしまう。もっとも有能マネージャーを悩ませたくもないので、話しながらちゃんと原稿アゲ、担当Nくんにメール。話、いろいろ聞くが彼も相当に悪運が強い。
電話終わって、背中のガチガチ感にもう辛抱できずタントン。1時間揉まれる。それで時間ギリギリになり、あわててタクシー飛ばして新宿ロフトプラスワン。鈴木美潮&唐沢俊一×平山亨で『平山亨の人生を訊く! 2』。
前回がいつだったかもちょっと思い出せないくらい間があいてしまったが、楽屋入るといきなりいつもの通り。平山さんが楽屋なのにどんどんしゃべり、私と美潮さんハラハラとなる、という。ファンが『5年3組魔法組』の録画を持ってきてくれたのでそれを見たり。団しん也が出ていたのだな。その他、ガヤでたこ八郎の名が。
で、今日はさいとうさんと前もって“平山組の役者さんたちの話で進めよう”“まず最初は曽我さんのことから話そう”と決めていた。壇上に上がって平山さんに
「ところで曽我町子さんですが……」
とフると、
「ウン、ボクは、曽我さんの声を『オバQ』で聞いて、アレ、ウウ、好きでねえ」
と話を初めてくれる。やったか、と身を乗り出すが、そこから
「アレは何年だったっけ。昭和40年、ウウ、じゃ、ボクがちょうど、京都撮影所を追い出されて路頭に迷っていた頃だな……」
と、その当時の話になってしまう。いや、女房子供もいる身で、先行きを悲観して職安に通った話など面白いし興味深いのだが、さて、いつ曽我さんに戻ってくるか非常に不安になり、美潮さんと視線をかわす。
しかし話はとにかく面白い。ほとんどはもう聞いて知っている話なのだが、そのあいまあいまにエッと驚く未知のエピソードがはさまるのがたまらない。
・赤影の脚本は伊上勝が全話担当したことになっているが、中に数本、伊上さんがどうしても書けなくて平山さんが代筆したものもある。
・『仮面ライダー』で天本英世さんが最初に現場入りしたとき、控室に行き、“こんな番組なので、不本意だとは存じますがメイクなどはなるべく恐く……”と頼むと天本さん、
「ボクはこういう役をやらせればボリス・カーロフ以上の役者だと自負してます。まかせてください」
と自信満々だった。
・大月ウルフは英語が出来ないという話。あの“ドーウデースカー”という外人しゃべりは演技だったのであった。
・キカイダーが乗っていたサイドマシンはカワサキの本ものの試作車で、好きに使ってくださいと提供してくれたので、カースタントの人(この人もテストレーサー)が狂喜して乗り回し、結果、あのような派手なカーアクションが生まれたという話。
・安藤三男さんは晩年肺を病まれていたが酒をやめず、病院へ行きなさいよと言っても“そこまでして生きたくない”と決して忠告を聞かなかったとのこと。いい家の息子さんで、広尾にマンションを持っていたが、それは役者になどなってぐれた息子への唯一の親の遺産だった(ここらへん遠縁にあたる潮さんそっくり)。
・ゴレンジャーに始まる戦隊ものの“見得”のシーンは、当時の殺陣師さんが大の歌舞伎好きだったので生まれた。アメリカから買い付けにきたバイヤーにそれが判らず説明に苦労したという話。
・『悪魔くん』のNETプロデューサー宮崎慎一さんは東映京都での平山さんの同期だったが、あるとき美空ひばりとケンカして東京に飛ばされ、NETの方に出向させられていた。東映テレビに来た平山さんが自分のデスクもない部屋で途方にくれていたときふと思い出したのが宮崎さんのことで、そこに相談に行ったところから『悪魔くん』のアイデアが生まれた(と、いうことは宮崎氏がお嬢とケンカしなければ『悪魔くん』もなかった、ということになるか)。
・『赤影』であれだけ奔放なことがやれたのは、東映京都テレビの高田正雄プロデューサーが、スポンサーはじめあちこちのうるさ方に“今度の話はおもろいで”と、毎回話をして回って下地を作ってくれていたため。そういうプレゼンの積み重ねが、現場の人間たちの奔放なアイデアを電波に乗せる力になる。これに関連して、渡辺亮徳氏の逸話も既聞ではあったが出た。現場の制作エピソードばかりでなく、こういうコロモヘンの製作、プロデューサーズばなしも記録に残しておかねばならないと思う。
・仮面ライダーの脚本を『飢餓海峡』の鈴木尚久さんが書きたがったが、じゃあ、プロットを書いてきてくれと言ってもついに書けず“難しいなあ”と嘆いていたとか。また、『ペットントン』の脚本を浦沢義雄の師匠の大和屋竺が書いたが、これも弟子の浦沢よりいいものを、というプレッシャーで書けず、仕事場に行って見ると“書いていた”という証拠に、書きかけで丸めて捨てた原稿が床に散乱していた。その数枚を広げて読んでみると非常に面白い。これでいいじゃないですかと言っても、本人が納得せず結局ダメだった。
「今思えば、あの丸めた紙くず原稿を全部持ってきて、社でリライトすりゃよかったんだ」
と平山さん。
・今でこそ仮面ライダーはイケメン俳優を使って主婦に大人気だがゲルショッカーシリーズに入ったあたりで『女性自身』が、
「最近、女性に仮面ライダーが大はやりで……」
と取材に来たことがあって、ガニコウモルを撮影して帰っていったとか。
そして休息をはさんで、ついに最後の最後で曽我町子さんばなしに戻ってきてくれて私と美潮さん、バンザイを叫ぶ。今日は私もかなり潮健児さんネタなどしゃべり、あと、怪人の鳴き声とかも実演してみせる(あとでさいとうさんから“あの擬音トークがよかった”と言われた)。平日の6時半という、一般サラリーマン層にはきつい時間帯のトークライブだったが、来てくれた方には楽しめたイベントだったと思う。ちなみに、美潮さんの分析によると、ガニコウモルが女性誌に載った秘密はこの下半身デザインだったのではということ。
http://www.inet-shibata.or.jp/~abk1/cas/kani/koumoru.html
美潮さん曰く“パンツはけよ!”。
客席の堀さん、もなポさん、IPPANさん、カンパンマンさん、そして山田ゴロさん御夫妻にも挨拶。ゴロさんは平山さんと石ノ森先生の思い出を語っておられた。
平山さんを西武新宿線の駅までお送りして上海小吃で打ち上げ。開田夫妻、美潮さんの知人の方々、しら〜、さいとうさん。サソリ、ハチノコ、蛇の唐揚げが出てきた。
蛇は骨っぽいだけで不味。サソリはホントウにサソリそのままの姿で、まあ見た目面白いというだけ。ハチノコは唐揚げで、ちょっと食べると白身魚の身のフレークのフライかというようなもの。薄味で、やや癖になる味。一人でパクパクやってしまう。
TBSサービス勤務の美潮さんのお弟子さん(?)、
「サソリというからでかいのが皿に乗ってくるのかと思った」
「オマールエビかなんかと間違えてない?」
あとは水ギョウザ、アサリ炒め、揚げパンなど。ビールと紹興酒で気持よく酔う。いつの間にか1時半になり、開田夫妻、しら〜とタクシー相乗りで。メールちょっとしたりして寝たのは3時近く。いかんいかん。