裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

10日

水曜日

秋の夕日に山村紅葉

有名人の二世数ある中に。

朝方の夢、馬に乗ってと学会の例会に行くというもの。目白から高田馬場あたりが会場らしく、朝方のそこらの道を自動車と競争しながら馬で駆けていくのはなかなかの快感だった。

K子は7時に起きて朝飯を食っていたが私は眠りを欲して8時半まで寝る。起きると少しノド腫れている感じ。入浴してすぐ朝食。トマトジュース、セロリスープ、バナナ一本、ブドー数粒。母は昨日、末広亭に鯉朝を聞きにいったらしい。すっかり忘れていた。8日の日(彼がトリの最終日)に行かなかったのがつくづくくやまれる。

天気はいいが湿気がひどい。初夏らしさを今年はさっぱり味わえていない気がする。日記つけ、原稿書き。『Memo・男の部屋』。四つほどの数値を、“これは身近で言うと○○の長さ”と例えなくてはいけない。ほとんどそれ調べに時間を費やした原稿となる。

書き上げて編集部にメールし、弁当使う。牛肉とピーマンの細切り炒め。あくまでも“細切り炒め”で、“チンジャオロースー”などという料理でなし。子供の頃、家で最もポピュラーなごちそう料理でこれが食卓に乗っているとごきげんだった。安上がりに育っているのである。

と学会の某女性会員が先日の例会を急病で欠席した。それがどうも、新聞などで話題の白インゲンダイエットをやってのことらしい。知りあいに、こういうマスコミを騒がす事件の被害者が出たというのは何か興奮するとみえ、と学会MLでもそれに関して発言が頻繁。インゲンで思い出すのは(こんなことを思い出してもどうしようもないが)、確か篠原勝之と渡辺和博の対談だったかで、映画『エレファントマン』で、ジョン・メリックが
「I’m human being!」
と叫ぶシーンについて語っていたやりとり。
「アイム・ヒューマン・ビーンズって言いやがんの。人間豆か」
「いや、それをテレビでやったとき、国広富之がアテてんだけど“僕は人間だ!”っていうのが“僕はインゲンだ!”って聞こえるんだよね。ピッタリ合ってる」
2時、事務所に出社。“今日は珍しく電話が一本もない”とオノが言っていたが、私の出社と共に催促電話頻々。ヤフー『セカンドライフ』サイト用原稿一本。週刊連載原稿の一本だが、ネットサイト原稿というのは文字数等の縛りが緩い分、構成がしにくい。
「総文字数がこれだけの原稿だから、主要ネタは何文字あたりのところで提示して、何文字あたりからまとめに入って……」
というアタリがつけにくいのだな。

6月のトンデモ本大賞、私は今回は主要スタッフからは外れているのだが、それでもコーナー司会と、そしてオープニングフィルムのナレーションを担当する。その画像をマドが作ってくれることになっているので、製作時の時間配分用の仮ナレーションを吹き込む。ドラマ仕立てなので、思いきりクサくやったら聞いていたオノが吹き出しそうになっていた。

雨降り出しそうなそうでないような最悪の気圧。タントンに行こうと電話するも、やはりこういう気圧のときは他の人も殺到するのか満員でダメ。6時、事務所を出る。エレベーターの中で池×理代子先生と一緒になり、さらに道路に出たところで“カラサワさん!”と、これから仕事に出かける熊倉一雄さんに自動車の中から声をかけられる。当マンション住人の二大有名人に一時に出会うのも偶然。しかし、池×先生のお連れの男性の足元、ふと見たら靴下はだし。そのまま道路に出て、池田先生とタクシーに相乗りして新宿方面へと向かった。いったいどういう理由があったのか。

新宿、末広亭で春風亭昇輔改メ瀧川鯉朝真打披露興業最終日。さすがに満席。なんとか席を見つけて座る。ちょうど夢太朗(長屋の花見)が上がっているところで、それからWモアモアの漫才、小遊三(時そば)、小柳枝(粗忽長屋)でお仲入り。口上は三人の新真打とそれぞれの師匠に小遊三、司会が昇太。小遊三が“トリを務める”というのを“真打を務める”と繰り返していたが、ああいう言い方ってあるのか。まあ前の出のときに小柳枝が言っていたが、この人は“寸志”と熨斗袋に書くべきところを“一寸”と書いて渡したというような人だから。

で、新真打の鯉朝が『ペコちゃん』、続いて昇乃進が『取り調べ』、東京ボーイズの音楽漫談をはさんで(懐かしかった)、昇太が『人生が二度あったら』。やはり心配した通り鯉朝が一番上がっていた。昇乃進のはまあ、よくある若手落語家風漫談で気楽に聞けるし、昇太はさすがにパワーで押しきっていったが、鯉朝のは新作の“世界構成”に入り込めない人間はキツいだろう。

独演会やトンデモの会などのように、“話を聞こう”という姿勢で客が来ていない会では、特に新作はとにかく客の警戒心を解く工夫が必要であり、バラエティ性が必要になる。独白型新作という点では昇太のも同じだし、内容の質ではほぼ、同程度と思われる。しかし、要は演ずる際のフックの問題なのである。昇太はここに天性のものがある。ともすれば内省的、暗いドラマになりがちの話(どちらも)を鯉朝はダウナーに演じ、昇太はアッパーに演ずる。寄席の客は内容を聞かない(断言する)。演者だけを見る。で、あれば多少のカラ回りを恐れずに、どんな話でもアッパーに演じてみることだ。芸風が明るいというのはとにかく寄席芸人には強みである。ここをクリアすれば鯉朝、ぐんと汎用性の高い噺家になれるのだが。

ここでかなり時間が押したと見え、次の鯉昇は『素人鰻』を途中で
「なんだ、しびれると思ったら電気ウナギか」
「はい、他の鰻はみんな浜松から来てるんですが、それだけ秋葉原から来ている」
という変なオチで落として5分くらいで下がり、次のボンボン・ブラザースも、ちょこちょことバトンと帽子をやったくらい。トリの柳之助がたっぷりと『寝床』をやるための時間作りだろう。本寸法の『寝床』。文楽の型だった。そう言えばこの末広亭で一回だけ、圓生を聞いたときも、円楽の弟子のだれだったかの真打披露のときで、やはり『寝床』。
「三遊の『寝床』ってこういうのか」
と学生だった私は驚いたものである。

鯉朝に挨拶しようと思ったが今日は最終日でたぶん楽屋もごった返しているだろうと思い、よして出る。四谷三丁目のセイフーで買い物して、自宅で白菜と豚バラの常夜鍋で酒。途中でK子も帰ってきて一緒に。DVDで手塚治虫アニメワールド(井上則人くんパッケージデザイン)から『クレオパトラ』。作品はどうしようもないが、富田勲の音楽だけは素晴らしい。なぜ手塚アニメがダメなのか、いろいろ言いたいこともあるがまたそれは次の機会にでも。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa