28日
水曜日
埴輪顔、目には目を
穴ぼこあいてるだけだからなあ。朝、7時40分起床。朝食、発芽玄米粥にあやさんから貰った梅干。朝、今夜の件で植木不等式氏にメール。K子とその件の打ち合わせなど。いつもはこの日記、朝、新聞やニュース、ネットなどで得た事件や出来事のことを書き、自分が一日、日常を送るその周囲の世間のワクというものに言及するのが普通だが、今日は朝から夜の件で頭がいっぱいで、実際に日記を記述している29日朝の段階で、果たして新聞に何が書いてあったか、テレビで誰が何をしゃべってい たか、まったく記憶にない。
メールで博多の日記読者から、25日に記載した私のアニメーションベスト20のチョイスがまことに正統的(アカデミック)であってよかった、という意味のものをもらう。逆に正統的であるのを私は気にしていたところである。古い、基本となる作品ばかりを挙げるのは、裏の見方をすれば私が不勉強で最新のアニメをあまり観ていない、ということである(観ていないというか、観る気のする作品があまりないのだが)。今の若い人が新しい作品ばかり観て古いものを顧みない、というのと、ベクトルは正反対だが不勉強は同じである。もちろん私は、“総論”で述べているように、半ば故意にベクトルを過去に向けているわけではあるが、偏頗な見方であることに変わりはない。これだけの作品があふれている現在において、観る作品のチョイスが偏 頗になるのは致し方ないことだし。
ことに、このアンケートに回答している人の大部分は自らもアニメを作る創作者である。久里洋二氏のように若い人の指向を許せない、と斬って捨てれば簡単だが、創作者にとってこういうものは、観ればセンスが上がっていいアニメを自分も作れるようになる、という単純ものではない。原恵一だって芝山努だって、正統なアニメなどてんで見てないであろうが、素晴らしい作品を作るわけだし、才能ある人間にとっては名作を観たか観てないかということは、実は大した違いはない。何かを“語る”職業にある者が、観もしないでエラソウなことを言うときに足をすくわれるだけだ。要するにこういうのは評論業界という狭い狭い社会の中での“たくさん観ている”競争であり、一般的にはあまり意味ないのではないかと思う。ちなみに、この『アニメーションベスト150』の中で、原監督のベスト6(この、20出せという設問に半分以下の、しかもキリの悪い6つという数を出すところが何ともいい)は、ナウシカ、銀河鉄道、人狼、ガンバ、ヤマト、コナンである。まあ、これも別の意味で正統と言 えば正統か。そして、若いアニメーター志望者たちへの言葉”が、
「アニメ見るより一人旅でもした方がいずれ役に立つと思う」
というひねくれきったもの。ここまでひねた回答をする者というのは、実は裏に人並み以上の愛情を持っているのが常だ。その自分の愛情過多に照れているわけで、カ ワイイものである。
ロフトプラスワンに買い物。と学会東京大会で使う小道具を買いに。家にあるものでパッと見のいいものがなかったのである。その足でメシを、と思ったら小銭入れを忘れてきた。一度戻ってまた出直す。最初アテをつけていた新楽飯店が休みで、仕方なくインド料理屋『オー・カルカッタ』でランチバイキング。相変わらず外人客が多い。豆とホウレンソウのカレーにナン。サラダとデザートはとらなかった。なんとかという、風邪に効くとテレビで報道されたというスープがあったが、やたら辛くて半分飲んでやめる。私らの世代だと『オー! カルカッタ』というのは出演者たちが全裸で出てくるミュージカルをまず連想する。全裸でこそないが、夏日の渋谷センター街なので、半裸、いや三分の二裸みたいな格好のお姉ちゃんたちが店に何人も。
昨日“本来なら一ヶ月前には出来てないといけないものだ”と談之助さんにハッパをかけられた公演の構成台本を書き出す。昔、小野栄一や潮健児の家に遊びにいくたびに、『そっくりショー』や『鶴田浩二歌謡ヒットパレード』といったショーの構成台本を書棚からひっぱり出して、よく読んでいた。ああいうものが頭の中に入っているのが役に立つ。役に立てようとして頭に入れる知識は面白くないが(アニメだってそうだ)、詰め込んでいた雑知識が、ある時フイ、と役に立ってしまう、というのは 意外性のある面白さがある。
3時、時間割にて扶桑社Oくん。さまざまな(凄まじくさまざまな)トラブルとアクシデントで中断していた『愛のトンデモ本』、仕切り直しで再スタートの件。いま現在もOくん多忙なので、クレイ企画という編集プロダクションのK氏に後をお願いしました、と、引き合わせてくれる。K氏、やたらベテラン、といった年配と風貌。経歴を聞くと、最初はTBSブリタニカで百科事典の編集をしていて、それからタイム日本版、ニューズウィーク日本版の編集をやった後、自分の編プロを作ったとのこと。へえ、それからと学会の本ですか、とちょっと驚く。まあ、Oくんとは何度も仕事をしていて、絶対の信頼をおける人というので、ひと安心。あと十数ページまだ原稿が足りないので、私と植木さん、談之助さんに一本づつ書いてもらいたいとKさん言う。ちょうどその二人とは今夜会うので話しておきましょう、と答えておく。あと志水さんは書いてくれるでしょうか、と言うので、サア、それはどうでしょう、個別に電話するとか、拉致して缶詰にして書かせるとか、いろいろ必要なのではないです かねえ、と答えておく。ともかく、再始動したのは目出度し。
帰ってまた構成台本作成作業。やはり頭の中に歌謡ショーの構成台本が入っていると歌謡ショーっぽいものになってしまうな、と自分で苦笑。まあ、セリフのところは単にこういう感じで、という例だからいいか。案外時間がかかり、日暮里までの所要時間ギリギリまでかかって、何とか完成。十部ほどコピーしてカバンに入れ、家を飛び出て山手線で日暮里。行く途中で永瀬さんから電話、“来たけど誰もいませーん” と。やっぱりML読んでいないようである、この人。
車中でコピーした構成台本をページ毎に並べ替えてクリップで止める。帰宅時間帯なので席に腰掛けられず、立ったままそれをやる。日暮里までの間に6部完成させたら、指がこわばって攣ったようになった。サニーホールロビー、すでに談之助、植木不等式、永瀬唯、物販担当S井、警備担当S崎の各氏、それに太田出版のH氏来ている。あとは音響・電気機器系担当のI氏だが、昨日まで海外出張だったんで、どうかね、と話していると、間もなく来た。さっそく打ち合わせに入る。みなさんに構成台本配布。このサニーホールというのは荒川区地域振興公社というところの持ち物で、半・公的施設のようなものなので、案外、使用に際して細かいところまでをチェックされる(壇上にあがる人数、荷物搬入エレベーターの使用有無、看板の数など)。最も非常に説明も丁寧かつ親切、好意的なのはありがたい。音楽はテープ、CD、MDまで再生できるし、プロジェクターまで含めて、最新器機が揃っているのに感心していたら、なんと盲点で、ビデオ再生デッキがない、とのこと。これは、誰かの持っているものを当日持ち込まなければなるまい。スポットの数やマイクスタンドの数まで含め、会場主任さん、音響主任さんと人を変えていろいろ細かく打ち合わせ。太田のHさんが、何かわれわれとホールとのやりとりを聞きながらニヤニヤと、楽しそうに 笑っていた。
会場費の残額を払い込む。その領収書が、当日会場の鍵をあける際の証明書になるとのことで、ちょっとみんなでその押し付け合いになる。昨日は談之助さんと“明日はもう、三十分もしないで打ち合わせ終わるでしょう”と踏んでいたのが、一時間を越す。なかなかみんな、細かに気がつくことである。なおも永瀬さんとS井さんは、当日物販のテーブルをどこに置くか、ということでいろいろメジャーを取り出して計 測したり、いろいろしていた。
K子と開田夫妻がもんじゃの大木屋で待っているというので、急いで谷中方面へと向かう。道々、Hさんに“なんであんなに楽しそうだったんですか”と訊くと、“いや、何か皆さんが舞台用語とかにやたらお詳しいのが意外で”という。別に詳しくはないが、上手下手、中袖、本ベルくらいは使わないとそもそも舞台の仕事などまった く出来ないのである。
大木で待っている三人と合流、それまでキビキビと確認作業をしていた植木さんが“さあ、ネクタイはずすぞお!”と臨戦ならぬ臨食体制にはいる。あわててドガチャカになる前に例の扶桑社本の件を。何とか伝えて責を果たし、さてさて、と私も臨食体制。カツオのたたき、野菜焼きのあと、おなじみの巨大肉がドカッと。植木さんは開田さんたちと、どういう話の流れか“衆道”ばなしになり、“ヘイ・シュード”とか、“用意衆道”とか、バカな駄洒落を連発。わきで見ていると単なるアホタレである。もっとも、植木さんの場合、これが周囲のシリアスな状況とかに巻き込まれないためのバリアーになっている。長いサラリーマン生活の中で身に着けた、これも技能のひとつなのであろう。忍法駄洒落隠れ。私は最近は逆に酒が入ると真面目ばなしが出て、Hさんと若い読者とのネタの乖離問題など話す。S井さん、私の日記のいつぞやの“若い奴らは置いていく”発言が、実に痛快だったとのこと。氏は左手が書痙。ドピルバン症候群とか言っていたが、そういう言い方があるのか。最後のもんじゃ、こないだは6人で4人前とって、食べ切るのにヒーヒー言ったが、今日は11人に4人前。あっと言う間になくなって、かえって寂しい。
肉と油の匂いをぷんぷんさせながら(私は野菜焼きのタレをズボンにこぼされたのでその臭いも)全員、電車で帰宅。会場使用証明書は結局、一番早く会場入りしなくてはならない(宅急便受け取りのため)S井さんに押しつける。帰宅、いろいろ考えるところもある。留守録一本、時事通信社から海洋堂宮脇専務の『創るモノは夜空にきらめく星の数ほどある』(講談社)書評依頼。