11日
日曜日
あなどーる・フランス
アメリカも結局は国連決議にしたがうしかないさって、甘く見てたでしょ? 朝、7時半起床。寝床でこのあいだ、早川書房から寄贈された『試すな危険! 冒険野郎ハンドブック』(ハンター・S・フルガム)を読む。人喰いザメの生け捕り、時限爆弾の解除、樽に入ってのナイアガラの滝くだり、エリア51に忍び込んでの宇宙人との会見、さらには独立国家の建設の仕方など、無謀極まりない行動のノウハウを徹底してシミュレーションした笑える本。日本人には、その中に“大相撲に入門する”というのがあるのが可笑しい。エリア51で宇宙人にあったら、“クラトゥ・バラダ・ニクト”とか言ってみる、というのが笑える。この件り、この訳本では“映画『地球が静止する日』でエイリアンがしゃべっていたように……”と説明がついているが、原文にはなかったのじゃないか。アメリカ人にとっては説明の必要もないくらい有名 なセリフだし、説明しない方が粋である。
朝食、発芽玄米粥。果物はモンキーバナナ。最近は朝、まっさきにネットで副島隆彦氏のネットをのぞく習慣がついてしまっている。こないだのアポロ疑惑発言以降、あっちこっちで叩かれて副島先生は相当に憤慨されておられるようで、四方八方に当たり散らしまくっておられる。その罵倒文体が実にどうもユーモラスで、なにかおとぎ話の中の暴君のセリフでも聞いているようである。今日の書き込みから。
「日本のような、東アジアの一種族の国では、知性も教養も、たかが知れた貧乏な不勉強ばかりが、満ちているので、自分の馬鹿な原住民の頭で、何か、分かったようなことを言う。何も、何にも、勉強していないのだ」
「歴史学は、人文(じんぶん)学=下等学問に、過ぎなくて、文学の一種です。それを、ソシアル・サイエンス(社会学問)の一種だと思う、その、私、副島隆彦の本をほとんど読んでいない不勉強人間は、ここには来るな」
「ここは、2ちゃんねるのような、“名無し”の、闇討ちの、卑怯者たちが、集まる場所ではありません。実名で、堂々と、きちんと、礼儀正しく来なさい。そのまえに会員になりなさい。けちん坊めが」
やたら読点がたくさんふられているのも、怒った人間がハア、ハア、と呼吸を荒くしてしゃべっている感じがして、結構である。いばった人とか怒った人というのは、 えて、可愛いものだ。脚本や小説を書くときのヒントだな、これは。
母から電話。アメリカへ行くより東京へ出かける方が割合的に言えば高くつく、という状況らしい。札幌で家を売るのとこちらでマンションを買うののタイミングなどについて、K子と電話で話す。母は金についてはとことん甘い人間で、K子がそれをビシバシとたしなめるうちに、とうとう泣き出してしまう。“オマエ、よくああいう子とずっと一緒にいられるね”というから、“ああいう人にでないと金をまかせることは出来ないよ、お母さんみたいな人が管理しているとあっという間になくなるよ”というと、普通にもどって“そうよねえ、便利といえば便利な人よねえ”。ところで昼はまた、カレーライス。朝を粥腹にしておくと、昼の肉などがうまくて。
読売新聞読書欄、荻野アンナ今回も飛ばす飛ばす。“今や世界中の食材が揃う日本だが、肉食の歴史は浅い。初めての牛肉を、ステーキではなく鍋に仕立てたご先祖はエラかった。身近な調理法が、異質に見える素材の本質を突いて、脂身と一緒に文化の障壁も溶けた”という書き出しが、料理研究所ではなく、塩川徹也『パスカル考』(岩波書店)の書評の書き出しだ、というこの斬新さ。……もっとも、今回の書評はその斬新さが最後まで芸として活かしきれていない。工夫はいいが冒頭の比喩に37行中5行も使っては、後がやや駆け足になるのは否めない。どうせ牛鍋仕立てにしたのなら、内容の細部の紹介は犠牲にして、最後までそのレトリックで押し通して、興味をつなぐだけにしておいた方がよかったように思うが、6500円する本を、そういうシャレっ気の紹介だけで通すのは、さすがの評者も気後れがしたのだろう。ここらへんが軽業師の限界である。改行も惜しい、という感じで文字を詰め込んで、真っ向から今谷明『籤引き将軍足利義教』(講談社)の内容の面白さを紹介しつくした氏 家幹人の力相撲の方にやはり軍配があがる。
河出書房原稿。参考書籍として、『奇譚クラブ』を全冊ひっぱり出してきて片端から読み、付箋を貼る。時間が思ったよりかかる。これは仕事場が乱雑すぎるせい。外出して紀ノ国屋で買い物。甘味に対する欲求はなくなる。やれやれ。夕食は9時。冷蔵庫の中の野菜のあまりを使ってポトフ風鍋、キングサーモン塩焼き、マグロのジン ギスカン風ヅケのせご飯。カツオでやった方がよかった。
ビデオでアーウィン・アレン監督のTVM『海底都市』を観る。なんとなく、気のヌケたSFが見たいなあ、と思って見たが、期待に違わぬ気のヌケきったたSFだった。私はてっきり、この作品、60年代の『海底科学作戦(原子力潜水艦シービュー号)』(アレンのプロデュース)のパイロット版だとカンチガイしていたのだが、その後に作られて(71年)いたのであった。それでコレカイ、という出来。いや、これこそ記憶に残しておかないといけない60年代の(製作は70年代だがセンスはまるきり60年代である。たぶん、60年代に作って、長いことお蔵になっていたのであろう)未来像。2050年、とテロップに出た途端に思わず大拍手。キラキラ輝くオモチャのような未来都市、透明チューブの中を飛ぶ移動車、原色バリバリの未来服デザイン(特に女性の)、馬面の水中サイボーグ人間(人工エラを改造でつけているので水中で息が出来るという設定で、最初は顎の両脇に変なものがくっついているので、ああ、あれがエラかと思っていたらただの変なモミアゲだった)。
異常気象、地震などの頻発でフォートノックスが危機にさらされ、保管されている放射性エネルギーH−180が海底基地へと輸送されてくる。その輸送方法も打ち上げロケットでどーん、と送ってしまうという乱暴なものだが、これがバチバチ、と火花を散らす岩の固まり、というのが凄い。精製とかしないらしい。その恐ろしい、と言っても誰も防護服とか着ていないのだが、とにかく凄く恐ろしい放射能を防ぐ物質は金しかなく、海底基地では大量の金でH−180の周囲を囲っていた(金のブロックを積み重ねただけで上は丸あき。H−180の放射能というのは上には広がらないらしい)。主人公(スチュアート・ホイットマン)の弟(ロバート・ワグナー)は、この金を奪って“億万長者になる(字幕より)”野望を抱いており、わざと海底基地に事故を起こして住民を避難させ、ガラ空きになった隙に潜水艦でこの金を奪う計画を立てた。一方、地球の異変は小惑星が地球に接近した、その磁気のためだということがわかる(パナ研のみなさんに見せたいね)。その小惑星というのが真っ赤に焼けてケムを吹き、ゴウゴウと音を立てて地球に迫ってくるという、コレデナクテハイカン、という代物。主人公はミサイルでこの小惑星を破壊しようと決意(なんで研究施設のはずの基地にそんなミサイルが配備されているのか)。しかし金を奪う連中のことも阻止せねばならず、H−180保管所に乗り込んだ主人公は弟と拳固で殴り合いをして、金のブロック塀の上に逃げた弟は足を踏み外してH−180の上に落っこって爆死。ミサイルは小惑星に命中、爆破できなかったので失敗かと思ったが、軌道が 変わり、地球をそれることがわかって目出度し目出度し。
パッケージにはなぜか主人公のホイットマンでなく、悪役のワグナーの写真が掲載されているが、ビデオ会社の人間も内容を見なかったのではないかという、そんな気がした。科学者の役でジョゼフ・コットンがホンのチョイと顔を出しているが、この御仁、70年代のB級オールスターものにはしょっちゅう出ていて、ああ、この男が出ているのではつまらん映画だな、と判断できるという、そんな存在であった。私としては、ロバート・ワグナーの部下役で、まだ若々しい顔の(!)チャールズ・ディアコップ(『明日に向かって撃て!』、『スティング』などの名脇役。何故かその後パッとしないが)が出ているのを見つけた方がうれしかった。