9日
金曜日
オホーツク海サリー
魔法の言葉を唱えるとカニとホタテが飛び出すの。昨日の朝とはうって変わって寒い。毛布でくるまるようにして寝ていた。猫も寒かったのだろう、布団の中に入って寝て、起きがけに少しゲロしていきやがった。朝食、またオートミール粥と梅干し。朝のニュースショー、パナ研ももういいかげんいいよ、というところで、宜保愛子死去の報道あり、少し驚く。6日に死去していた、という話も。71歳というのは、何かいやに若いような気がする。古怪とも言うべきあの顔から年齢が読めなかったから かも知れない。
私は昔、テレビ出演用の占い師をプロデュースしていたのだが、私自身は占いというものを全くと言っていいほど信じていなかった。ある日、一時うちの顧問もやっていた業界ゴロのMという人がやってきて、なんとかうちで宜保愛子さんと連絡をとれないか、と依頼してきた。そのM氏の知り合いで、貿易関係で老舗の会社の女社長がおり、彼女は父親の後をついで社長業をやっているのだが、事業のことで、どうしても、亡き父のアドバイスを受けたいので、宜保さんなら信じられるから、宜保さんに顔をつないで、父の霊を呼び出してもらってほしい、ということだった。で、もしつないでくれたらそのお礼として、と示された額というのが、当時貧乏プロダクションの経営で頭をいためていた私にとっては、なかなか魅力的なものであったのを覚えている(世はバブルだったのである)。
実は、宜保さんとはつながりがないこともなかった。K子の友人のマンガ家のTさんというのが、当時宜保さんの伝記マンガを描いており(少女時代の宜保さんを大変な美少女に描いており、K子とよく笑い合っていたものだが)、そっちのルートから依頼すれば、どうにかなった、と思う。ただ、私の中に、占いを信じないものが占いをプロデュースするのは、それがお笑いとしての範疇のもの(トイレットペーパー占いであるとか、SM占いであるとか)だからなのだ、と、いうような、一種の矜持の線があったのだろう。そこで宜保さんを本物の心霊能力者として紹介し、信じている人からお金を貰ったら、自分はこのさき、彼女を批判したり笑ったりする権利がなくなってしまうのではないか、と思い(若かったねえ。今ならツラリとして貰ってしま うところだが)、未練を残しながら、丁重にお断りしたのであった。
宜保愛子の霊能力というものを私はカケラも信じないが、インチキだってこの世の中にあっていけないことはない。ただ、宜保愛子はインチキであっても、そんじょそこらのインチキ霊能力者とは比べものにならない、カンと頭のよさと、人を引き込む会話能力と自分を信じさせる親和力と、自らをどうマスコミに売り出していくか、という企画力に長けていた。自分自身の、どうみたって魁偉としか言いようのない容貌すら、武器にしていた。そういう頭のよさも持ち合わせない自称霊能力者のオバサンたちが、彼女の成功以来、二番を狙って何人もマスコミに売り込みをかけてきたようだし、私のところにもやってきたりした。彼女らは一様に、宜保愛子なんかインチキだ、私の方が霊能力では数等まさる、と豪語していたが、しょせん器が違っていた。なにより、彼女たちのほとんどには、背後に男の影があった。これは、宜保さん以前に霊能力とか占いで売り出した藤田小乙女や、細木数子もそうだった。宜保愛子にはそういう影がない(これも顔の御利益だろう)のがさわやかだった。後年、彼女を売り出した光文社と喧嘩別れして以降は人格も変わってしまったようで残念だったが、少なくとも売り出して数年間の彼女は、日本に登場した有数のタレントであったことは間違いないだろうと思うのである。
午前中、鶴岡から電話。パナ研報道で飯干景子が“なんであんなもの信じられるのか、わからない”発言をしていた件で、オマエが言うか、と二人で笑う。来週のCSの撮りの打ち合わせなどちょっと。電話終わった後、軽い鬱状態。昼飯は、朝、冷蔵庫にあった色のもう変わりかけたカツオの切り身を細かくほぐして、酒で割ったジンギスカンのたれにつけておき、ご飯の上にシソのみじん切り、松の実などとのっけて かきこむ『カツオのジンギスカン風丼』。案外うまい。
食後、出かけて、東急ハンズでSFマガジン原稿用のブツを買う。それから東急本店地下の紀ノ国屋。今朝、新聞を読んで、西武に行こうかなとも思ったのだが(西武デパートが、入っているビルの持ち主に払う家賃を“高すぎる”と勝手に値下げして支払い、持ち主から退去を言い渡されているとか)、近い方で。猛烈に甘いものが食べたくなったが、太るぞ太るぞ、と自分に言い聞かせて我慢。麻薬的に、あると食べてしまう柏餅(味噌餡)がもうなくなったので我慢できたようなもの。
帰宅、メール数通。このところ毎日、メール頻々。海拓舎からはこちらの示したタイトル案のうちのひとつを少し変えて、決定と通知がきた。編集会議で、ダントツに評判がよかったものの由。何とか自分で考えたタイトルがつけられて、著者としての面目を保つ。今まで自著に自分がつけたタイトルで、思いついた瞬間にコレダ! と膝を打ったのは『怪体新書』。編集さんがつけたので感心したのは『笑うクスリ指』 である。
ちくま文庫の色川武大/阿佐田哲也エッセイ集の解説、書く。400字詰め、7枚強。大体三〜四通りの論の進め方があり、どの線でいくか、と、しばらく考え、書き出しで二、三度やり直す。書き出してからはザクザクと。とみさわ昭仁氏から久しぶりにメール。三浦和義氏が万引した本の件。自分の裁判のことを書いた本も一緒に万引していたというのに笑う。ついでに、次回と学会例会に参加の意向。日付を伝え、予定を確認。6時半、原稿仕上がり、編集部にメール。原稿と共に、ゲラの初出一覧で不明となっていたものに心当たりがあるので、その点も書き添えて出す。
雑用ガタガタという感じでやる。9時、参宮橋、クリクリ。さすが金曜で満席の状況。事前に電話しておいたので一番奥の席をとっておいてくれる。近くの席に大柄な外人二人組がいたが、やはり外人というのは声がでかい。日本人女性もいて、流暢な英語でしゃべっていたが、彼女も、日本人相手ならこうは大きい声出さないでしょ、というような声でしゃべっている。スペインワインで、ルンピア、キノコサラダ、牛肉の串焼き、それとタルタルステーキ。キノコサラダが、酢の利いたチーズソース味で絶品。以前イタリアで食べたイデッシュ風サラダに似ていた。これだけでワイン一本空けられる。さらにタルタルステーキはK子が“天上の味”と評したほど。うまいものは無限に腹に入るK子が、最後にチーズリゾットまで頼み、こっちは腹がハチ切れそうになる。いろいろと雑談。室伏哲郎氏の作っている美術雑誌『プリンツ21』から、UA! ライブラリーがインタビュー以来受けたとか。この雑誌のバックナンバーを見る。過去に巻頭特集されているのが金子國義、楳図かずお、内藤ルネ……ううむ、何か偏りが見えてとれるが、気のせいか?