14日
水曜日
ビチゴン絶句
そりゃ、あんな怪獣が出てきたら絶句するよなあ。ちなみにビチゴンとは水木しげるの少年マガジン版『悪魔くん』に登場した、口からウンコを吐くという、世にも汚い怪獣である。水木マンガの魅力のひとつがそのスカトロジックなところで、『吸血鬼エリート』などでは、鬼太郎の親父が汲み取り式の便所に落とされて、上からねずみ男の小便をひっかけられるというシーンが、すさまじくリアルに描かれていた。水木の場合、そういう描写をしてもコプロフィリア、ウラフィリアといった性的倒錯性があまり感じられず、ガルガンチュワ物語などに通ずるプリミティブなユーモア性が にじみだしているのが凄い。
朝、7時半起床。寝床で、以前書評用にざっと読んだロルフ・デーゲン『フロイト先生のウソ』(文春文庫)をじっくり読み直す。いや、面白い。著者はドイツ心理学会の賞までとっている科学ジャーナリストだが、“心理学はもっともどうでもいい学問である”と言いきり、フロイトの精神分析学を単なるペテンとみなし、人間は幼児期の記憶をトラウマとして一生持ち続けるという説や、アダルトチルドレン、多重人格、心身症、サブリミナル、後催眠、臨死体験、右脳左脳といった考え方を全て、実証的なデータがないただのフィクションとしてけっ飛ばす。瞑想により思考力が向上するというのもウソ、ストレスで免疫力が弱まるというのも大げさな噂話、子供にクラシックを聞かせると頭がよくなるというのも神話、長男的性格・次男的性格というのも全く実質的には証明できないものであり、性衝動を昇華させることにより芸術作品が生まれるというのも駄ボラであると著者は言う。もっと凄いのは、マスメディアが大衆の考えや行動を大きく左右する、という考え方に、まったく実証されるデータがないと言い切っていることだ。人々がそれを過大に誤解しているのは、“自分より他人の方がずっと第三者の影響を受けやすい愚かな存在だ”、と思いこむ“第三者効果”によるものであり、それがメディアの影響力をもっともらしくみんなに信じ込ませるのだ、という。うーむ。マスコミや教育の影響をいとも簡単にない、と言い切ってしまうのは、訳者あとがきにもあるようにちと“納得しきれない”ものがあるし、逆のデータも見てみたい、と思ってしまうのだが、しかし、巻末に24頁にも及ぶ引用論文の文献を呈示してあることでもわかるように、著者が批判の基準にしているの はこれ全て、厳然たる統計結果としてでた数字なのだ。
鬱病の人間はネガティブな自意識を持っているのでなく、変な期待度を自分に課していないだけであり、自己評価に関してはむしろ正確である、という記述には笑う。伯父が鬱症状になったとき、励まそうと、あなたは立派な業績を残しているんですから、と声をかけると、“いや、オレはダメ人間で、いままでうぬぼれてばかりいて、自分の能力をいつも大げさに周囲に言いふらしていただけなんだよ”と答えて、ソンナコトナイデスヨと返事をしながらも、心の中で、“なんだ、わかっているのではないか”と可笑しく思ったのを思い出したのである。また、ポジティブな自尊意識(高いプライド)を持つことが人生をプラスに向ける、という考えを真っ向から否定しているのも、これまでつきあった困った連中の大半は、とにかく高すぎるプライドの権化みたいな奴ばかりであったことを思い合わせると、苦笑せずにはいられない。そう言えば多重人格と言えばいまだ必ずひきあいに出される『シビル』が、実は著者のフローラ・リータ・シュライバーのでっち上げだったことがこの本にははっきりと書いてある。日本でこのことはどれくらいポピュラーなのだろう。サイエンスチャンネルでこの事件を取り上げた番組をやったということだが、見てみたいと思いながら機会 がない。
朝食、発芽玄米粥と梅干し。イチゴ数粒、ミルクコーヒー。千乃裕子氏の現在の顔をやっと見られる。いや、気の強そうな美人のお婆さんであった。朝、母から電話。家の売却に関して。予想額をK子に言うとどうもまたいろいろ言われそうであたしは嫌だわ、と言う。ただ、思ったよりはいい値段になりそうだ。私たちは昔のあそこらが本当にどうしようもない場所であったイメージから脱していないのかも。太田出版H氏からMLに通知。『と学会年鑑BLUE』、めでたく増刷。もっとも、刷り部数は微々たるものだが、これは初刷りの数がこれだけ続いているシリーズの新刊としてはちと無謀なほどに多かったため。それもまた、近年のサブカル本としては異例。書店によっては旧作も棚に並べてコーナーを作っているところもあるとの由である。パナウェーブとか、アポロ陰謀説とか、そういうものが流行るご時世にはやはりと学会の本は解毒剤として必要とされるらしい。
午前中はゲラチェックに費やす。クルー『本の中のトンデモ職業』チェックし、マイクロフィッシュ『マンガの中の父親像』原稿チェック、双方ともFAXで編集部に返送。12時45分、家を出て、原宿ノリタアパート。今日は無事、第3号室に入れる。天井が高く、白壁に洋風の窓で、何か修道院の中、といった雰囲気。椅子や備品のみが妙に70年代モダンであるところが面白い。鶴岡法斎の司会で、岡田斗司夫さんと『謎の円盤UFO』対談。こないだやったものの延長版、といった感じ。
アシスタントの女の子が、エリス中尉のコスプレをしている。実際に番組の中で着ていたもの、というフレコミだが、そうなのか。しかし、あの格好を日本の女性がして、ピタッと決まっている、というのが凄い。岡田さんと、日本の初放映から33年たって、あの番組の中の世界がやっと実現してきたんじゃないかしらん、と語る。女の子が、この番組に出てくる家具や小道具がカッコいい、と言っていた。今、あらためて見るべきなのは、特撮やストーリィではなく、そういった日常のセンスなのでは ないかと思う。
岡田さんから、11月に二人で二週間ほどアメリカ・メキシコを講演して回りませんか、と誘われる。文化庁あたりの仕事で、日本のマンガ文化を世界に広めるという企画なのだそうだ。アトランタ、ヒューストン、メキシコシティなど四カ所で、一回から二回の講演を行うという。通訳は向こう在住の人で選べるというので、町山智浩さんあたりを指名したいと言う。このメンツなら面白い道中にはなりそうである。ただし、ギャランティが安い。そろそろ年末進行にかかるあたりの二週間をつぶすだけの値段ではない。そこで講演する内容を本にして出版して、やっとモトがとれるか、という感じ。出版したいというところが見つかるかどうか(見つかっても今日びマンガ論でどれだけの部数を刷ってくれるか)で、返事も変わってくるだろう。何か、終戦まぎわに志ん生と圓生が二人で満州を回ったという話を連想する。町山さんは向こ うで二人を世話した森繁久彌(当時NHK満州支局勤め)の役回りか。
終わって、OTCのNさんと、夏から新番組として再開される『平成オタク談義』の打ち合わせ。局ではあれに客を入れたい、と言っているという。さて、どうなることであるか。話している最中に女の子が、エリス中尉の紫のかつらを脱いで、ロングヘアー姿になった。若いころのわれわれであれば、教条的に“いかん! そんなのはエリス中尉でない!”と言うところだが、おじさんたちは許容度が高く、“うん、ソ レもまたよし!”と大喜び。馬鹿だねえ。
終わって原宿をぶらぶら冷やかしながら帰宅。肉体的には疲れていたが精神的にはテンション高く、すぐSFマガジン原稿にかかる。ガリガリという感じで書く。途中でロフト斎藤さん来、こないだのレトロエロ朗読会のビデオを手渡される。ネット販売開始のために、カットしないといけないセリフとかがないか、チェック。ビデオを見ながら執筆。まあ、こないだのくすぐリングスのようなヤバ発言もなく、大筋OKだろうと許諾メール。原稿そのものは8時ちょっと前に10枚、書き上げ。メール。
大竹こうすけさんに送る図版ブツを荷造りし、近くのローソンで宅配に出して、それから神山町『華暦』。こないだと同じく、今日もカウンターの客のほとんどが9時半にはそそくさと。もっとも、その後で団体が来た。何故かホッとするのは、客商売の家で育った者の癖か。これはやはり、子供時代に客が来ないと親の機嫌が悪くなったことのトラウマではないのか? マグロとキダイの刺身、ホウレンソウとジャコの炒め、野菜天ぷら、おでんなど。昨日の船山の半分のお値段だった。K子、アメリカ講演旅行には気乗り薄。加藤礼次朗が適任なんじゃないの、とか言う。