裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

5日

月曜日

「サモハン!」「脱破!」

 一不審もてまいる、格闘技をなすに肥満、これ如何。朝8時起床。朝食、アボカドの残り半分、種なしブドウ。テレビは相変わらずパナ研ストーキング。考えてみればまだこの白装束集団のやっていることというのは、普段ワイドショーが取り上げている母による子供殺人や、一家五人惨殺、愛人バラバラ事件などというものよりずっとオトナシイ微罪に過ぎないのだが、しかしこっちの方が追いかける価値が大きいとされているのは、要は彼らの存在が、われわれ一般人に、茶の間にいながら異世界を感じさせてくれるインパクトとしては最適のものだからであろう。

 島田裕巳は『オウム真理教はディズニーランドである』という文章を書き、『趣都の誕生』の森川嘉一郎も修士論文でサティアンとディズニーランドの共通点を挙げているが、これらはいずれも、修行する信者たちにとって、何かの役になりきれる疑似空間、または閉鎖空間にさまざまな意匠を詰め込んだ“修行用”テーマパークとしてディズニーランドという比喩を使ったものだった。実のところわれわれにとっても、カルト宗教というのはディズニーランド的なところがある。テレビを通じて見られるあの光景は、日常の中に異様な白装束を身にまとい、反射板や白ベールを掲げた連中が歩いているというのは、あたかもミッキーマウスやドナルドダックがいつもそこらを歩いているという、ディズニーランドと同様の異空間体験なのではないか。最近、仕事の必要性から占領時代のビデオをずっと見ているのであるが、あの時代の東京が今の目から見て、なんとも魅力的に見えるのが実に不思議な感じである。見慣れたお堀端などを、米兵が堂々闊歩しているという、異空間性がそこに現出しているからだろうと思われるのである。

 メール、仕事がらみ数通。トゥーンMLに、北朝鮮のアニメについての質問がありそれに答えようと書き込みを送ったが、さっぱりアップされない。確認を何度もしたが、ちゃんとMLサイトには送信されている。これまでも重いとか、時間がかかるとか言うことはあったが、今回はまったくアップされない。二回ほど重ねて送信してみ たがダメ。

 昼は外出。連休の渋谷を雑踏にまぎれて歩くのは嫌なのだが、しかし、どうしても足が外に向く陽気である。勤労福祉会館前の通りを歩き、通りにあるメガネショップに入る。このあいだから、自分の顔写真をずっと見ていて、そろそろメガネを新調しようと思ったのである。フレームでやや、気に入ったのがあったので、視力検査を係に頼む。オタッキー鈴木に似た、あまり私のような人間と相性がよくないような雰囲気の兄ちゃんが担当だったが、この人がまことに親切で、人当たりもよろしく、気持よく検眼できた。人は見かけによらない、というか、不景気になってどこの店も客あしらいの態度が向上したのじゃないかと思う。昔、六本木あたりのスカした眼鏡店でメガネを作ると、“なんだ本当に目が悪いのか、ウチはお洒落でメガネをかける人のための店だ”みたいな扱いを受けて、大フンガイしたものである。

 即日渡し、がウリの店だったが、私の目はさすがに年期の入った近視と、パソコンを四六時中眺めている仕事ということもあって、特注となり、一週間かかるという。オタッキー兄ちゃんがまことに申し訳なさそうな表情で謝ってきた。近視の度合は以前と変わらず、老眼もまだ入っていないが、乱視がなんと、いくぶん軽くなっているとのこと。“おめでとうございます!”などと言われる。どういうわけのものか。

 そこを出て、タワーレコード冷やかし、『ビザール』誌の新刊を買う。新刊紹介のコーナーに『ジャパニーズ・ムービー・ポスターズ』という本(サブタイトルが“ヤクザ、モンスター、ピンク、アンド・ホラー”)が出ており、そこで代表的な日本のビザールポスターとして紹介されているのが、若松孝二の『日本御禁制女人売買』、松方弘樹主演の『脱獄広島刑務所』、それから『空の大怪獣ラドン』。ポイントカードが期限切れと言われる。しょっちゅう来てつけていた気がしたのだが。

 昼飯は兆楽でひやしつけ麺。もっともカロリーが低そうだったから。その後、東急本店地下紀ノ国屋で夜の食材を買い、帰宅。ササキバラゴウ氏から、アスペクト日記本について少し連絡。それから、Web現代にかかる。こないだの無声映画鑑賞会。いろいろアンコを入れてふくらませないといけないか、と思っていたが、あにはからんやあっという間に字数オーバーとなり、二回分載となる。ネタにこちらの思い入れがあるものだからだろう。

 中野貴雄監督が、最近の70年代リメイクに苦言を呈していた。気持ちはよくわかる。私もそうだが、中野さんも、70年代作品の熱さや、スタッフ・俳優の充実度などと共に、時代の限界からくるあの安っぽさやダサさを、これまた“価値”として認めているのだ。これまでひッくるめないと、それを再現したことにはならず、現代の先端技術は、安っぽさ、ダサさを要因としてその作品が生み出したぶッ翔び具合を、より強調するためにこそ、用いられるべきなのだ。中野監督の名言“人類は『チャーリーズ・エンジェル』(映画版)を作るために進化してきた”は、ソコをついたセリフだと思う。ところが、現実はどうか。いま流行りのリメイクは、ただ、旧作品の知名度を利用するために企画されているだけで、中身は元のものとはまるで異なった作品に過ぎない。スカした美形俳優が並んで、ウザウザごたくを並べてみせるような仮面ライダーなど、ありゃ仮面ライダーではないのである。新しいことををやるな、というのではない。なら、仮面ライダーの名を借りず、オリジナルでやればいいではないか。旧作の名を借りなければ通らないような程度の企画で、旧作のイメージをぶちこわすような冒涜をやって、“これが新時代のライダーだ”などと生意気なことをヌ カさないでいただきたいのである。

 8時半、夕食。オコゼの蒸しもの、カツオの手こね寿司、豚のしゃぶしゃぶ風。オコゼはキンメダイが高かったので代わりに買ってきた(値段が半分)ものだが、やはり安いだけの味。手こね寿司は非常によく出来た。テレビで、スーパー霊能者下ヨシ子の番組をやっていた。新だ娘の霊がついたという母親の演技、というか、その表情が笑える。あれは金のとれる顔だ。DVDで世界のCM、最終巻。第一巻が一番面白かったような気がするのは何故か。やはり最初に見たインパクトなのだろう。とはいえ、刺激的なものはやはり多い。転職案内所の広告で、やたら横暴な盲人の飼い主にあきれはてた盲導犬が転職する、という内容のものがあったのに驚く。最後は犬がいなくなって途方にくれる盲人を、その犬がざまあみろ、という表情で橋の上から眺めている。日本ではどんなことがあっても盲人を悪役にした広告など作れまい。

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