裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

13日

火曜日

だるまさんがクローンだ

 うわあ、こんなにいっぱい、みんな壁を向いて。朝、7時半起床。朝食、おとついのポトフの残り。果物はブラッドオレンジ。もうブラッドオレンジの季節も終りか。昨日の肉の脂のせいか、午前中トイレと仕事場を往復。腹具合と言えば、猫がさかんにえずいて、食ったものや胃液をもどす。K子は年をとるとみなこうだ、と言うのだ が、どうも気になる。

 新聞に翻訳家・井上一夫氏死去の報。肝硬変、80歳。作家や学者の副業でない、プロの翻訳者として名前を記憶された、草分けの一人ではないかと思う。マクベインの『87分署シリーズ』やフレミングの『007シリーズ』は、この井上一夫という名と共に世に受け入れられた。“007で蔵を建てた男”とか言われて、“そんなに儲からないよ”と、どこだったかの対談で憮然と言っていたのを覚えている。とはいえ、蔵でなくとも家が建つくらいは儲かったのではないか。007の翻訳は最初いろんな訳者をたらい回しにされた末に、都筑道夫氏に強引に押しつけられたというが、と、いうことは乗り気のしない仕事だったのだろう。人間、何がどこで代表作になる かわからない。

 私はミステリでは、同じ井上でもクイーンやヴァン・ダインを訳していた井上勇氏の方によりなじみが深かったが、こちらは一夫氏より二十年以上も年齢が上ということもあり、文章はいささか古色蒼然としていた(そこがまあ、好きだったのだが)。それに比べると一夫の方の井上氏は、戦後のモダンなアメリカ会話が訳せる人、という感じで、かといって田中小実昌ほど軽くなく、田村隆一ほど日本語としてこなれすぎず(この人は何を訳しても田村隆一、だった)、原文をきちんと律儀に訳して、しかも日本語として成立させてしまう名人だった。言語感覚が優れていたのは、氏の訳した本はタイトルがいずれも実にしゃれていたことでもわかる。007翻訳の第一作となった『Live and Let Die』を『死ぬのは奴らだ』としたのは都筑氏のアイデアだそうだが、しかし『You Only Live Twice』を『007は二度死ぬ』とするのも、180度逆手からの発想で、なかなか出来るマネではない。87分署シリーズ『Like Love』の訳題『たとえば、愛』など、後にあちこちでパクられるほどの名訳だった。しかし、極めつけはフレドリック・ブラウンの『The Mind Thing』の邦題『73光年の妖怪』。理知的な感じのする、どちらかというとソッケない原題を無視し、怪談調のおどろおどろしいタイトル(しかし、“光年”という科学用語を入れることでSFであることを示す)にして、通俗娯楽作家としては最高の腕を見せるブラウンのこの作品の面白さを徹底し て表現した、その才覚に脱帽する。

 毎日新聞の五味記者は結局、日本に帰ってくるそうである。この人に悪意があったとは思えない。しかし、どの面下げて、という言葉が日本語にはある。毎日の社長もお詫び行脚で気の毒であるが、日本のためには彼に恩赦を願わず、同地の法律に照らして厳正なる処分をお願いします、と言った方がよかったような気がする。いや、マジに彼のためにも。人間が社会的動物として生きるためには尊厳というものが必要なのだ。以前、この日記で反戦論者への皮肉からブッシュ支持を述べたら、“安全な場所から何を言うか”と、批判していたウェブ日記があった。まあ、安全でない場所に出かけていった人間もまたどうしようもない場合がある、という好例がこの事件だろう。しかし考えてみれば、これでもし、日本政府が戦争前にブッシュを批判し、反戦を唱えてフランスやドイツのような態度をとっていたら、現在のアラブからこの記者は絶対に日本に帰ってなどこられなかったのではないか。毎日は反戦論が基調だったから、この記者も戦争前はさんざアメリカ支持の小泉首相の悪口を書いていたことと思うが、彼の命は結果的には小泉サンが救ったようなものである(ところで上記サイト日記の人、私に批判文を送る送ると書いてあったので楽しみにしていたのだがさっぱり送ってこない。その後の推移で考えを変えたのか)。

 河出原稿、資料調べばっかりで少しも進まず、頭を抱える。12時、風呂に入り、昨日と同じく明太子でご飯。それからすぐ外出、OTCで岡田斗司夫さんと対談。原宿のノリタ・ストリート・アパートメントというところで、距離的にはわが家から歩いて15分、のところなのだが、地図がどうにもわかりにくい。竹下通りを右に曲がり左に切れて、とちょっと迷う。しかし、修学旅行生だらけの竹下通りから、ちょいと路地へ入ると、驚くほど閑静で優雅な空間が現出するのだな、原宿というところは と、驚いた。いささか日本ばなれした雰囲気である。

 やっと住所だけを頼りにたどりついたビルの三階に行ってみたら、閉まっている。あれ、おかしいなと思ってFAXをよく見たら、14日(水)と対談の日取りが書いてある。あ、今日は火曜か、とそこでやっと気がついた。馬鹿なカンチガイをしたものだが、昨日K子がフィン語に行き、これまでずっとフィン語は火曜日だったので、その翌日だから水曜日だろう、と、朝から思いこんでいたのであった。これが家の近くだったからよかったものの、銀座だの湾岸だのでのものだったら、一日を棒に振る ところであった。

 せっかくここまで来たのだから、と、青山まで足を延ばし、買い物して帰宅。何かぐったりしてしまい、その後の仕事もすすまず。ゆまに書房から監修するシリーズのことで連絡。9月に3冊、12月に3冊というかなりハイピッチな出版になる。解説と、注釈をやらねばならないので、作業が忙しくなりそうである。それを含め、編集の人たちとの電話やメールやりとり、なんと8社。いかにあちこちの仕事を遅らせて いるか、ということである。逃げ出したくなる。

 8時半、温石料理船山でK子と。この間まで働いていた見習いのMくんがやめて、新たに若い子が二人、入った。総席数12のこの店で二人も人を入れるということに驚いたが、とにかく最近、ここの主人の船山さんは燃えているのである。占いも見ているらしく、『山本令菜の0学占い』という本を見せてくれた。私と船山さんは同じ水星で、21世紀は水星の時代だ、などと書いてある。K子は何星だったか忘れたが金融運が絶好調とかで、キャーキャー騒いでいた。令菜、などというから若い女性かと思ったらかなりのお婆ちゃんである。帰ってネットで調べたら驚異の的中率、などと騒がれ、かなり評判の占いであるらしい。もっとも、2002年は富士山が爆発、サッカーWカップはブラジルにかつての栄光はなく、野球はセ・リーグの優勝が中日でパ・リ ーグはダイエー、と、大はずししているけれど。

 今日は皐月の献立ということで、苦労したらしい。確かに、五月を代表する食べ物というと、カシワモチくらいしかちょっと思いつかない。焼き物はマスノスケ(キングサーモン)、蒸しものがイイダコ、天ぷらが桜エビ。K子は令により、新しい子にきびしく指導。人より優位に立つということをこれほど好む女性もちょっといない。0学ではどう出ているのか?

Copyright 2006 Shunichi Karasawa