裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

23日

金曜日

鶴と亀がすべた

 本当に鶴江も亀代も男癖が悪いんだから! 朝、8時起床。寝たのが10時ちょっと過ぎであったから、10時間近く寝ていた。もっとも、私の眠りというのは夜中に何度も目を覚まし、また眠り、夢を見て、布団を暑いとはねのけ、またかき寄せ、という繰り返しである。私も盛大にイビキをかいていたろうが、睦月さん、相変わらずの大イビキ。ただし、それは寝入りばなだけで、夜半にはピタリと止んで静かな寝息に変わっていた。治療器の効果か。睦月さんは寝るとき全裸になるらしく、ふと目が覚めたとき、向こうのフトンから、肌色をした卵形の物体(今、この人は坊主頭なので、メガネをとった目で裸の姿を見ると乳白色のカタマリに見える)がもぞもぞ這い出してきたのが見えて仰天した。タバコかなにかをのみに起きたらしい。

 おまけに、部屋に蚊が飛んでいて何カ所も刺される。手術の傷跡など、皮膚の柔らかいところを狙って刺す。そう言えば部屋にべープマットが置いてあり、このためかと後で膝を叩いたが、前以て言ってくれなければ何にもならない。8時、仲居さんが昨日の膳を下げに来た(こっちが遅くまで飲み食いしながらダベっていたので、明日の朝でいいです、と言った。確認に来た仲居のおばさんが、和装からいきなりTシャ ツ姿になっていたのが面白かった)声でフトンから起き出す。

 風呂は昨日と男女入れ替わり。こちらは狭い。おまけに湯の温度がぬるい。ぬる湯好きの睦月さんは喜んだが、熱つ湯でないと、という私や談之助さんにはどうも。しかし、奇岩怪石を並べてデザインされた湯船の作りには感心する。やはりこれは、浴場作り何十年という石職人がいるんでしょうねえ、などと話す。ここの湯は“うぐいすの湯”というのだそうだが、脱衣場にその湯を讃える詩のようなものが書き付けてある。それが箸にも棒にもかからぬもので、“昔この湯をうぐいすの湯と言い伝えし人あり……”というような感じで始まったかと思うと“湯、ゆ、YOU、うぐいすの湯”などアイドル歌謡っぽいものとなり、七五も五七もないアホらしい出来。こういうときには陳腐でもなんでも、白居易の温泉水滑洗凝脂か何かを掲げてくれないと気 分が出ない。

 風呂あがりに、家では御禁制のサイダーを飲みながら、NHK教育の『バケルノ小学校ヒュードロ組』などを見て過ごす。やがて朝食、鰯塩焼き、オムレツ、煮物、京風味噌汁、しらす干しなど。簡素だがなかなかおいしい。ここの宿の料理はK子も合格点を与えていた。ちなみに、ゆうべの献立は突き出しがマコガレイ昆布締め、鯛の白子豆腐あんかけ、前菜が地キンメダイのグリーンアスパラ巻、お椀がアイナメ、お造りがイサキとアオリイカ、蛸。焼き物として紅むつ、サザエのエスカルゴ風、ジンタ(小アジ)唐揚げ。炊き合わせは百合根と飛龍頭、揚げ物が芝エビ掻き揚げ。それに豆ご飯と、デザートにチーズケーキという、和洋折衷なものであった。今朝もオム レツがつく、というあたりがちょっと特長か。

 駅まで出て、ぶらぶらと歩く。駅前のまんじゅう屋の看板が、温泉まんじゅうの湯気の立っているやつに目鼻がついているもので、なをきの描くよしこさんの似顔絵にそっくり。みんな大喜びしながら写真を撮る。喫茶店に寄ったりみやげもの屋を冷やかしたり、旅先の無聊な午前中。これもまた楽し。熱海までワイドビュー列車で。みんなと離れて睦月さんと差し向かいの席に座り、やや真面目にモノカキ論などしばし闘わす。空間(書店の棚を占める作品数)と時間(作家としての寿命)の折り合いの話など、大きな参考になる。ポルノとバレ話の違いなど、睦月さんの専門分野のこと も面白い。

 熱海で睦月さんと別れ、四人、また土産物屋近辺をぶらつく。今年のクレしんで克明に描かれた熱海の街並みの、にぎやかなすたれ具合とでも言うべき奇妙な光景。談之助さんご贔屓のカツサンドを買ってきてもらい、さて、と小田原まで出て、そこからロマンスカーで帰京。なぜかしらないが、やたら小学校の一団が目につく。ロマンスカー車中は席がバラバラだったので、一人で冷凍みかん食い、週刊誌など読んで過ごす。K子はモバイルでチャットなどしていた。憂鬱は、明日の上野広小路のネタを この旅中に決めようと思っていて果たせなかったこと。

 新宿でみんなと別れ(とはいえ明日の落語会でまた顔を合わせる。家族ともこんな毎度合っていない)、4時、渋谷に帰宅。マンションの扉を開いたところで、“絶妙のタイミング!”と宅配便さんが声をかけてきて、北海道のアスパラ(じゃんくまうすさんからの手配)を受け取る。たまったメール処理などいくつか。5時半に再度家を出て、ユーロスペース一階アミューズピクチャー試写室にて映画『CANDY』試写。入口近くで、旧知の女性編集者のIさんに声をかけられた。映画欄担当になったそうである。受付に名刺渡して入る。ほぼ満杯、最終試写ということで補助椅子が出た。60年代ブームというのは本当なのだろうか。この映画は69年製作だが、68年説もある、ということで、この映画の撮影時、18歳か19歳のエヴァ・オーリンの元祖おしゃれヌードと、豪華キャスト、豪華スタッフ、豪華セットの60年代的予算無駄遣いを楽しむ映画。ストーリィやキャストはここらのサイトで見てくれればよろしい。
http://www.eiga-kawaraban.com/03/03040301.html

 まさにこのサイトの批評者が言うように、この作品、“これといって意味のない”“ヘナチョコ映画”なのだが、しかし、考えて見れば映画に意味をどうしても持たせようとしている現代の映画ファンの方が視野が狭いのであって、観ていて心地よい気分になれる映像ドラッグとして映画をとらえれば、これほどの作品は他にちょっとない。いや、これは今、ちょっとないということであって、60年代にはこういう映画がいくらもあったのである。同じテリー・サザーンの作になる『怪船マジック・クリスチャン』もそうだしストーリィが途中からどんどん現実離れしてきてファンタジーの世界に入ってしまうのは『地下鉄のザジ』もそうだった。豪華キャストで好き勝手に話を拡散させ、ラストで収拾がつかなくなって楽屋オチみたいにして無理矢理落とすのは『007/カジノ・ロワイヤル』もそうである。他に『何かいいことないか子猫チャン』『HELP! 四人はアイドル』など、まさに60年代の映画はオシャレであることを第一義にしてきた感がある。ジョン・レノンの『僕の戦争』も、痛烈な反戦映画でありながら見事なオシャレ映像、支離滅裂ファンタジーの映画であった。コムズカシイ理屈は映画評論家にまかせて、観客はスクリーン中のビックリ箱的な映像を楽しんでいればそれでよかったのだ。これは、このあいだ、岡田斗司夫さんと改めて『謎の円盤UFO』の60年代的オシャレさと、ストーリィ性の希薄さを語ったことと相通じる。これが60年代、なのだ。日本でもそれをそっくりコピーした作品を作ろうと試みた人々がいて、それが小林信彦(中原弓彦)・前田陽一コンビの『進め! ジャガーズ・敵前上陸』で、頑張ってはいたものの、やはり日本的情緒は色濃く残ってしまった。この映画を楽しめるか否か、日本に本当に60年代ブームが来るか否かは、ひたすら、そのヘナチョコ的映像の中にどれだけ身を浸せるか、にかかっ ている気がする。

 手渡された資料、キャストでマーロン・ブランドやジェームズ・コバーンなど大スターは詳しく解説しているが、キャンディのカタブツの父と、正反対に道楽者でニヒリストの叔父の二役を勤め、物語にオチをつける重要な役であるジョン・アスティンには触れていない。ネーム・バリューにはもちろん欠けるが、実はオリジナル版『アダムス・ファミリー』の『アダムスのお化け一家』で主役のお化け一家の当主を演じてアメリカでは知名度が高く、最近では『ロード・オブ・ザ・リング』のサム役で世界的人気者となったショーン・アスティンの父親である。『ロード・オブ・ザ・リング』のピーター・ジャクソン監督は、それを撮る前、1997年の作品『さまよう魂たち』で、親父の方のジョン・アスティンと一緒に仕事をしているのであった。

 観終わった後、東急ハンズに行って買い物をするというIさんと家の近くまで。残念ながらもう閉店していた。帰宅して荷物のみ置いて、すぐ出てタクシーで下北沢。虎の子でK子と待ち合わせ。席が四つ用意されているので不思議に思ったら、平塚くん夫妻をK子が呼んでいるとのこと。熱海のオミヤゲと、アスパラのおすそわけ分を渡す。雑談一束、非常に楽しく酒を飲めた。豚のハリハリ、黒酢煮、蛸とエシャロットの柚胡椒和え、カツオ刺身など。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa