裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

月曜日

稚児の世界は実在する!

 そこでは美少年たちが美を競って乱舞している……(うれしいかも)。朝、どうにも寝苦しくてぐだぐだ。別に大した意味のある言葉ではない(そもそも何だったか忘れた)のだが、頭の中でワンフレーズが管を巻いて繰り返されて、それが気になって眠りが浅い。7時には起き出して、朝食作り。レトルトのおかゆが切れたので、オートミールをお湯だけで戻して押し麦粥にする。それと梅干。果物はイチゴ。窓外は小雨蕭々。気分が鬱々なのは、この天候のせいと昨日のはしゃぎすぎの反動と、今日やらねばならん仕事のことなどと、いろいろ原因あり。MLで昨日の例会の反省点(発表時間のこと)とその解決試案をアドミン(運営委員専用ML)にアップ。あと、昨日の日記中で、原田実さんの発表を間違えて猫耳法会さんのもの、と記述してしまった(猫耳さんの発表はタキオンのど飴。一個もらって舐めたが、味はまあ、おいしい普通ののど飴だった)。本人も“よくキャラが原田さんとかぶっていると言われてますが、まさか唐沢先生にまで間違われるとは……”と苦笑気味だった。申し訳ない。

 仕事かりかり。講談社Iくんからメール、華倫変の追悼フェア、やっと池袋ジュンク堂で開催されることに決定したそうな。元・担当がこうまで駆け回ってくれるというのは、マンガ家にとり幸福なことかも知れない。ところでIくんの結婚ばなし、この日記に書いたら、なんと婚約者が読んでいたそうで、両親の反応のところで爆笑し ていたとのこと。シャレのわかる女性でよかった。

 河出原稿、遅れに遅れているので今日は何としても、と思いガリガリやるが、気圧の乱れと疲れで不捗甚だし。早めにメシでも食おう、と外出。兆楽で餃子と半炒飯。昼時のここの混雑の凄まじさに改めて驚く。カウンター席の隣りに座った、いかにも世間慣れしていなさそうなおばさんが、私の前に置かれたスープ(炒飯につく)を、自分のものだと思ってとってしまい、何も言わないでいたら、自分で気がついて、恐縮して何度もあやまってくる。イエ、またもらいますからおかまいなく、と答える。しばらくしてそのおばさん、バッグから本を取りだして読み始める。見たら、幸福の 科学の本だった。

 東急で買い物、帰宅。原稿に再度かかるが、猛烈な眠気に襲われる。これは今朝の眠りが足りなかったためであろう。ココデ寝テハイケナイ、と、ヒンズースクワットなどやって目を覚まし、書き次ぐ。明日、日暮里サニーホール下見、と思っていたら談之助さんから、明日は会場係がいないので、28日に日延べしてほしい、と電話。急いでその旨、MLに伝える。あと、某出版社の編集をやっている日記読者の人からこないだ“日記論書く人、いませんか”と書いたのに呼応して、ドラフト原稿一本、メール。ちと堅苦しい感じはあるが、こういう風にこの日記を読んでくれている人が いるのか、と、非常に新鮮な気分になった。

 4時半、なんとか一本、原稿完成してメール。一本目はとにかく、人目を驚かせるような内容の原稿にした。奇矯な主張だけに、それに理屈をつけるのが手間取ったのである。まあ、なんとかカタチにはなった、と思える。平塚くんの事務所に東京大会のポスターとチラシを受け取りに行く。新宿でその前に雑用。タクシーに乗って高島屋まで、と言ったら、“今日は紀伊國屋前じゃないんですね”とヒゲの運転手さん、話しかけてくる。この運転手さんの車に乗るのがこれで私は三度目で、これまでの二回は共に新宿紀伊國屋前だったので覚えているとのこと。二度目というのはたまにあるが、三度同じ人の車に当たるというのは珍しい。到着したとき、つい、“じゃあ、 また”と口に出る。

 雑用終えて西口まで歩き、丸の内線で新中野。パイデザでポスター受け取る。赤色バージョン、青色バージョンとあってなかなかの出来。チラシと共に受け取り、しばらく雑談。山咲トオル半生記などを話してきかせる。その最中K子から電話。食事の待ち合わせ場所を変更のこと。それからしばらくまた話して、パイデザを出て、地下 鉄で新宿三丁目へ。時間ぴったりに伊勢丹会館の三笠へ。

 本当は伊勢丹の天ぷら屋に、という予定だったのだが、銀宝が今日は入荷していない、ということなので変えたそうである。銀宝はいまの時期大人気で、銀座などの高級店にとられ、なかなかデパートの天ぷら屋などには回ってこないという。外道魚も地域と季節ではこの人気である。外道で思い出したが(例会で原田実さんに教えてもらったのだが)、6月号の『正論』で、大月隆寛がひろゆきと対談しており、その中で私や岡田斗司夫を外道と言っている。けなしているわけではなく、文化人とか評論家がネットにはまるとみんなおかしくなる、宮台真司や勝谷誠彦、吉本ばなななど、活字でだけやっていればそこそこご威光のあった人たちがネットをやりだすと、必ずおかしくなって、ファンたちにもなんかおかしいと気づかれはじめ、やがて自我崩壊を起こしだす、という話の中で、
「(おかしくならない連中ももちろんいるのだが)それは最初からある種外道っていうか、自意識がもうネットの外でちゃんと出来上がっちゃっているやつだよね。唐沢俊一とか小田嶋隆とか岡田斗司夫とか、そういうサブカル系は案外変わらない」
 と、一応は褒めている、らしい、のだが。しかし、私のサイトなどのぞいているのなら、以前この日記で指摘した、あきらかな間違い(2001年8月8日)にはきち んと訂正を表明してきてもいいんではないのか。

 三笠会館、K子のパソ環境を整備してくれた(ついでに私のモバイルも設定などでいろいろやってくれた)Dさん。今日はK子がそのお礼のおごり。オマール海老のサラダ、エスカルゴ、ホウボウのグリルにニンニクと赤唐辛子のパスタ、ティーボーンステーキなどをめいめいで分けて。Dさんは地方大学の先生であり、いろいろと内部事情とか聞く。セクハラ防止対策(セクハラを受けないためでなく、セクハラをこちらがしないようにするための防止策)であるとか、みんな、経済学はツブしがきくと思って入ってくるけど、実はあまりツブしのきく学問でなく、商売を始めるにしても法学部出の方がよほど実用にはなるという話。彼は昨日の例会も見学に来ており、会員O氏の発表物件、やおい文化研究同人誌(著者は東大の院生で、論文製本の体裁をとっている。参考文献に私の名もあり)は、博論としても通用する、と絶賛。

 時間が早かったので、二丁目に行き、いれーぬへ。今日はカウンター満席の盛況であった。なかなかイケメンの若い男の子を、初老の男性と、30代女性の二人が連れてきている。どこかで見た顔だなと思っていたら、その女性が周囲に“彼、いま、テレビで主役やっているの。『アバレンジャー』って番組で、アバレブラック役”と宣伝。うひゃあ、阿部薫だったか。そのまま二丁目をブラつけば、オタク系ホモたちが狂喜するのではないかしらん。Dさんの深夜バスの時間が迫ってきたので、も少し観察していたかったが、10時半ころ辞去。店に一枚、東京大会のポスターを貼ってもらった。帰宅、河出のSくんから留守電&メール。一応気に入ってもらえた様子。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa