25日
月曜日
君は小五郎の妻だから
木戸孝允夫人松子こと、芸者幾松。朝、7時45分起床。豆のスープと、温泉卵で朝食。ブラックコーヒー(ミルク切らした)、ポンカン。母から電話。病院からだと思うが、コラボレーションのスペルを教えて、との内容。病院でナニをしているのだろうか。飯がまずいので、これを機会にとダイエットしているという。
急いで日記つけ、風呂等入り、『キッチュワールド案内(案内と書いてガイド、と読む)』の校正チェック、編集部からの指示でメールでチェック部分のみ送ることにする。事実関係などの訂正部分。気をつけているつもりでも、連載原稿をまとめたものというのは“今年二○○○年は……”とかいう文章がポコッと入ったりして(また、そこは校正者さんも見過ごしてしまっている)アブない。1時ころなんとか済ませて、さてメール、という段になってパソコントラブルで、打った文章全部消えた。青くなるが、幸いというか偶然というか、プリントアウトが残っていたので、それをFAXしてことなきを得る。
昨日の日記でのつけ忘れ事項など。1.5次会で、K子がフィンランドみやげのアメを配っていた。包装に黒ん坊の顔が書いてあるやつで、剥いてみたら、なにやら柔らかい黒褐色のものが一本。手でちぎって食べるらしいが、その柔らかさといい、色といい、どう見ても猫のウンコ。食ってみると薬草の香りが強く、北欧は薬草の好きな国だなあ、という感じ。Hさんが、仙草ゼリーの風味だ、と言う。なるほど、あれである。あと、同じく1.5次会で植木さん皆神さん相手に、“川端康成の骨は加藤唐九郎の骨壺に収められたが壷泥棒に持ってかれた”と話したが、後で思い出したがこれは志賀直哉のエピソードで、壷は益子焼であった。どうもいい加減でいかん。
昼は青山に出て、舌郎で牛たん塩焼き。紀ノ国屋で買い物。氷雨といっていいくらい、寒々しい雨空である。『SFマガジン』1月号が届いたのでパラパラと読む。翻訳家小川隆氏が、昨年9・11以降も一向に政治的にならぬアメリカのSFピープルの動きに疑問を抱いている、というような文章を書き、“SFが得意としているマクロな視点で語ろうという動きもなく”といらだっている。で、それにちょっと関連した作品の紹介があった後、“最近になってようやく戦争に反対する作家・芸術家の署名活動にSF作家も参加を始めたようです”と末尾に書いているのだが、“SFが得意としているマクロな視点”というのは、戦争反対の署名運動に加わることなのか?ちと、首を傾げざるを得ない。文春文庫から電話、岡田斗司夫さんの文庫で解説替わりの対談の依頼。
今日は5時半に蒲田駅で睦月さん、開田あやさんと待ち合わせて、盲腸で入院した二見書房のYさんの見舞いに行くつもりであった、が、フィギュア王の原稿11枚がそっくり手つかずであったことを思い出した。催促メールも来ている。4時からこれにかかるとなると、完成はどう急いでも7時過ぎである。いやはや。明日はWeb現代もやらねばならず、これはどうしても無理となる。日を改めようと、睦月さん、あやさん双方に電話するが、どちらも携帯通じず。待ち合わせ時間になってあやさんから開田さん、開田さんから私、と伝言ゲームのように連絡があり、欠席を伝える。
7時に花園神社で酉の市に行く予定なので、それまでにと馬力をかけ、なんとかギリギリに11枚、プラスBANDAIのガシャポン『ぼくの小学校』シリーズへのコメント200文字、書き上げてメール。急いでタクシーで新宿へ。紀伊國屋書店前で植木さんと待ち合わせ。あやさんと開田さんを待って、二人が花園神社に、去年の熊手を返しに行くのにつきあう。今年は見世物は月蝕歌劇団の公演になっている。雨の中とはいえ、凄まじい人出。日本人はこんなにも信心が好きか、と思う。植木さんと熊手のデザインのキッチュさ、現世利益的な即物性は道教の影響なのではないか、などと話し合う。
そこから小田急で下北沢。『虎の子』で、あのつさんの野菜を料理してもらって食する会。雨もあって店は空いており、われわれの貸し切り状態。突き出しがカブの煮たやつ、それから二十日大根のエビ餡詰め、里芋のたらこ和え、キャベツとアサリの炒め物。キャベツは甘く、生姜が利いていて大変おいしかった。あと、キンキのガーリックバタ焼きと、鴨鍋。酒は生のあと、樽ボジョレー、黒龍と開運、さらにまたワイン。みんな多少ハイになって、しゃべるわしゃべるわ。酒より野菜に酔った。