裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

木曜日

いざ尋常に、娼婦々々

 金だけとってやらせないとは卑怯なり。朝7時起床。この数日ではかなり早起きな方だが、これはK子が今日からアシが入るので早めに仕事場に行くため。朝食、胡麻のスープ、肉だんごサンド。胃薬(パンクM)、リナグリーン、小青龍湯、ビール酵母。ネット注文していた本がいろいろ届く。パラパラ読んでみると、こないだ早川の原稿に書いたことに関して、かなり詳しく記載されている記述がみつかり、ギョッとなる。読んでみると、こっちの原稿の方がつっこんだ内容だったのでやや、安心。た だし、これに記載がある旨は注釈を入れといた方がいいだろう。

 原稿用の資料を揃える。なんだかんだでまたすぐ机回りが乱雑な本の山になるな。ちなみに今年の年賀状はその乱雑な仕事場の光景。母から家の売却の手続きに関しての電話、世界文化社Dさんから原稿進捗状況問い合わせの電話、など。トゥーンMLに“アニドウって何ですか”の書き込み。さて、いざ説明するとなると、と苦笑。

 12時、ササキバラゴウ氏から電話。ちょっとあぐねていた某一件のことで協力してくれるとのことで、大助かり。ササキバラ氏、私の薦めでいま、『ローティーンブルース』『あいつとオレ』など、70年代の恋愛モノ少年・青年マンガを読み込んでいるのだそうで、“ツライっすねー”と言う。氏のやろうとしているのはギャルゲーの位地づけらしいが、その根本であるところの“若者の情欲の精神史”をたどっていくと、ここらへんまでさかのぼらねばならんのだそうである。私、それを聞いて
「マンガ、映画、テレビ等の分野において、70年代初期に、受け手である大衆と、 送り手である作家の、立場の逆転が起こった」
 と言う持論を話す。これは、大衆消費財としての娯楽作品を生産し、送り出すシステムが完成したことによる。作品は作者の個性や創造性と固く結びついたものであることをやめ、大衆のニーズというものが何より重要視されることになった。73年に象徴的に、最後の作家側主体作品である『あしたのジョー』が終了し、それ以降は、個々の作品をひとつひとつ論ずるという作業が無意味になってしまった。それ以降の作品を分析するのに必要なのは、受け手側の方がどうであったか、ということなのである。その作品が受け入れられた時代背景に関する知識であり、大衆文化の流れがどうなっていたかの情報であり、他分野との相互関係である。要は、総合的な“時代”の中のどこにこれらの作品が位地づけられ、享受されてきたかというところに視野を 広げなければ、作品理解は不可能になっている。

 そこから話が『アタックNO.1』にまで及ぶ。原作・アニメともに、まさに60年代末期を飾る大作であるこの作品が、単なるスポ根ものでなく、当時の少女文化の総合カタログ的な内容を持っているということに驚いたとササキバラ氏は言い、私はかつての日活アクションや、東宝怪獣映画も、そのような“時代のカタログ”で見返してみると全く新鮮な発見がある、と語る。日本人が現在アイデンティティ基盤を失いつつあるのは、時代々々の風俗を軽視していたインテリたちの怠慢にあり、それはディケンズ、菊池寛などといった作家の不当なまでの低い評価に現れている。これからは、そういう作品こそが評価されるべきであろう。などと考えつつ、やれポストモダンとは、だの、永瀬唯はどれくらいコワイ人なのか、などと、2時近くまで雑談。

 こんな話になったのは、先日から清水勲のサザエさん研究本『サザエさんの正体』(平凡社)を読んでいたことも大きい。この本はかつて大流行した『磯野家の秘密』の亜流的な内容(作品中の年齢に関する言及から、サザエがフネの連れ子であって波平との血のつながりはないことを推量するなど)で、マンガの中の設定をそういちいち細かくつついてもなあ、という感想を抱かせる内容であるが、一方でサザエさんは新聞連載時には社会・時事風刺マンガ的側面が強く、単行本掲載時にそれらの部分が削られた結果、風俗マンガという評価になったという事実を指摘したりという、重要なポイントをつく指摘も多い。もっとも、私は、サザエさんは明らかな風俗マンガであると思っているし(削除された部分との分量の比較を見ればどちらが主体であったかは明確である)、著者の言う“「サザエさんは」は戦後の風俗資料としてよりも、近代社会が生み出した風俗の終焉を記録した価値の方がより大きい”という主張に対しては、“それって結局同じことではないか?”としか言えない。また、“「サザエさん」が面白いのは、その作品の80%が「ギャグ漫画」だからだ”ということを著者は“発見”と言っているが、サザエさんをギャグ漫画だと思っていない人がどれだけいるのか? という感じで、どうもこの著者が何を言わんとしているのかがよくわからない本であった。

 2時、SFマガジン図版用ブツを井の頭こうすけ氏に宅急便で出す。そこから新宿へ出て銀行でやっとビジネスキングに、振込の過剰分を返却。なかなか手間取ることであった。それから万世でザルパイコー啜って、中村屋でパンなど買って帰宅。アスペクトから、今後の著作の部数について、ちょいと問い合わせ。返事してメールやりとり。肩が岩みたいに重くなり、少し横になったらストンと寝てしまう。電話、トー ハン編集部T氏から、今年の三冊、早くアゲてくださいとの催促。

 それからモノマガ原稿など書きかけるが、時間が中途半端になってしまい、仕方なく半チクなまま放擲。8時、タクシーで四谷荒木町『まさ吉』。最近言ってないのでお母さんを励ましに行こう、と井上くんとこないだ話したので。乗ったタクシーの運転手がいかにも神経質そうな線の細い人で、走行中ずっと“……いや、この道は…… だがしかし……”とかつぶやいていて怖かった。

 荒木町の飲食店街の通り(ドン詰まり近くに『まさ吉』がある)は、実にいい雰囲気のロケーションで、テレビや映画にもよく使われているというが、今日はまさに、撮影の最中だった。お母さんはおかげで全然人が入ってこない、と怒っている。井上くんと、社員のアケボノさん。K子は井上くんが昨日、小学館の単行本の打ち上げで一人一万一千円といううなぎを食ったと言うのに憤慨している。“いや、でも二冊同時進行でしたから、二冊分ですよう”と井上くんが言うのに、“でも一人一万円以上のうなぎよ!”とかこだわる。いいじゃねえか、人が何食おうとと言ったが、K子はずっと“うなぎうなぎ”と言い続けていた。井上くん、そこで飲んだ“うざけ(白焼きに熱くした酒をかけて飲むもの)”がやたらうまかったそうである。体調不安定のところに酒が入って、私はかなり酔った。

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