裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

1日

金曜日

朝日ダウジング

 ここの家を買えばよいと、枝が教えてくれてます! 朝、8時15分起床。夢の中で国立劇場内をさまよっていた。貰った券で入場したのだが(ここらへん、『ザ・リング』試写の記憶か)、古い劇場なもので(歌舞伎座と混同?)席が非常に複雑な配置になっていて、その券に記載されている席がいっかな見つからず、広くて暗い会場の中を何度も右往左往する。客の中にはひえだオンまゆらさんや裏モノ会議室の面々など、知り合いも多々おり、それどころか知らない人までが私の顔を知っていていろいろ声をかけてきて、しまいに係員の女性までが“ああ、カラサワさんですね、席にご案内しましょう”と言ってくれる。喜んでその後についていくが、しかし、これまたその席にたどりつくまでが延々と長く……というもの。舞台の上ではなぜか前座でギター漫談などをやっていた。

 雨が降って窓外は寒々しい。朝食、K子には青トマト炒め、私は昨日のキャベツ煮の残り。スープが美味だった。果物はオレンジ。メールで、旧知の人間の、少し気になる噂。いや、一生懸命やっているという話で結構なことであるが。あと、竹内文書で有名な高坂和導氏死去の報がと学会MLにあり。“色が濃いのがイロコイインディアン”“ああ、ぱっちし(バッチリ)見事なのがアパッチインディアン”(『[竹内文書]超古代アメリカを行く』)の人である。まあ、はっきり言えば芳しくない噂ばかりの人で、ニフティのパソ通時代に、詐欺師として騒がれたりもしていた。別の視点から見ればいかにもアヤシゲなオカルト業界人種の典型として(顔もヒゲも極めてアヤシくてよかった)興味深い人であった。バイオ・メディカル・サイエンスの博士号をアメリカの何とか言う聞いたことのない大学から取得したと言っていたし、その前は宇宙人から高エネルギーの凝縮された杖を貰って、これにふれれば全ての病気が治るとか称していたにもかかわらず、脳溢血で55歳の若死に。あまり世間的には悼まれない人であろうとは思うので、裏モノ的にここで追悼の意を表しておく。

 パソコンの前に座り、日記をつける前に、昨日の『男の部屋』原稿、字数を調整してメール。昨日の『刑務所の中』、だいぶ前に週刊ポストから“観たら批評、書いてね”と頼まれていたので、“書きますか?”と書いたら、いま、映画評コーナーを一時お休みしているところなので、年末に再開すると思うからそのときに、という返答がFAXできた。まあ、映画会社の人も“かなりロングランでいこうと思っていますので、公開合わせというより、半ばでまた少し調子を上げたいので、そのあたりで”と言っていたしな(どこかで書いてくれという注文、あったら引き受けます)。

 日記で夢のことを記しながら。今朝、歌舞伎の夢を見たのは、先日の新聞で河原崎権十郎の名跡を板東正之助が継ぐという記事を読んだせいかもしれない。板東正之助は映画『九月の空』で石野真子と共演したりして、一時はスターになりかけたこともあるが、線が細すぎて、結局モノにならなかった。チラと聞いた話では人気をねたんだ歌舞伎界の人間につぶされた、ということだが、まあ、本人の技量の問題だろうと思う。先代権十郎も、若いうちは器用さにまかせ、映画やテレビ、小劇場など、新進のメディアにいろいろ出てあれやこれや言われたらしいが、結局、そういうもの全てを芸のこやしにして、万能俳優として一目置かれる存在になるに至った。私はどっちかというと、コレ一筋、という人物よりそういう人の方が好きなので、頑張って欲しいと思う。

“業界”というかたまりになると、何でもそうだが、名人上手、天才鬼才ばかりではなりたたない。彼らがその頂点に座る、その基座部分を構成する、凡手二流の集団が必要なのである。彼らの存在が、業界ならではの雰囲気を作り、味を構成する。そこを対比点として、名人とか天才とかいう存在が際だつのである。そこの価値をきちんと見定めている者を、昔は見巧者と言った。世間はとかく、この天才未満の人たちの存在を否定したがるが、そういう了見の狭さが、天才を育てる土壌を否定することに なるのである。

 雨降り続き、テンション的には最悪。昼は昨日炊いた飯を冷やのままやるが、これがンまい。新米は炊き立てもいいが、冷や飯になって、水分を含んだところがすこしこごったようになっている、そのところもまたうまい。お菜は大根の味噌汁に梅干、それとサンマの蒲焼き缶をあけて。大したおかずでない方が、米のうまみがひきたつように思う。噛みしめるたびにうまい。愛国心を涵養しようと思うなら、国旗だ国家だと騒がず、新米を国民全員に食わせる行事を催したらいいのではないか、と思う。『軍旗はためく下に』で南方の前線で上官を殺害した丹波哲郎や夏八木薫たちが“処刑前に米の飯をくわせてくれ!”と叫んだシーンをまざまざと思い出した。

 外へも出ず、さればとて仕事も出来ず、ただタラタラ。これではいかんとパソコンの前に座って、少しキーを打つが、妙に眠くなって、ダウンしてしまう。ふと目覚めたらもう7時。一日が何か、4時間くらいしかないように感じた。資料の整理などをやる。googleのキャッシュ画面が、検索語句を色違いで指示していたのが、何故かされないようになっている。これは極めて不便であり、検索の能率を落とす。なんであの設定を廃したのか。

 9時、外出。今日はじめてである。雨はやんでいるが、極めて寒々しい。金曜の夜なので、さすがに人出はしている。新楽飯店でK子とメシ。K子は新連載をパズル誌で取ったので、もらったパズル本を解いている。腸詰、水ギョウザ、イカとセロリの炒めもの、鶏と銀杏の炒め物、ビーフンなど。紹興酒飲んで、今日はとにかくダメ、と、早めに寝る。寝床で『刑務所の中』の原作の方をまた読んでみる。映画が原作に比べ、ほのぼの感あふれるものとなったのは、作者花輪和一の絵、というよりペンによる細密画という表現形式が、リアルを超える幻想味を持ってしまう性質のものだか らだろう。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa