3日
日曜日
神田ブルボン祭
もう、日本全国から年期の入ったブルボンマニアたちが集まって、やれアンリ四世だとかフェリペ五世だとか騒いでます。朝、5時に目が覚めてしまい、仕方なく昨日書きかけだったトゥーンMLの書き込みを仕上げてメールする。面白くなって関連サイトをたどっているうちに7時過ぎになり、また寝て9時まで。朝食、K子にはキャベツ炒め、私は豆スープにキュウリ一本。朝食を抑えるようになって、体重がこのひと月で一キロ近く減った。昼や夜も抑えればもっと減るのだろうが、あれはストレス解消薬でもあるので、なかなか。
マッサージはやはり、私の肉体には大いに効果があるようである。左肩の痛みも消え、テンションもあがる。何より、シャレ(しかもくだらないの)がどんどん浮かぶのに苦笑。どういう仕組みなのだか。10時半ころ、母から電話。神戸旅行から帰ってきたところだが、初めてあの街に行って、街並みも食べ物も大変に気に入ったそうで、移住、アメリカじゃなくて神戸にしとけばよかったわね、などと言う。しかし、関西は関東圏の人間にはなかなかわからないことが多くてね、と言うと、そうそう、神戸の人たちは四って言えないのよ、三の次、とか言うんだって、とアヤシゲな知識を披露。どこで聞いた。家を売る話も少し。今のところ、わが家の土地の公定価格、こちらで思っていたよりいささか高いらしい。この値段で売れれば、まずまずというところだが。
昼はセンター街に出る。ばったりと、福原鉄平くんに出くわす。朝、彼のサイト、『むらさきさくら団BBS』をのぞいたばかりだったので、西手新九郎に驚く。ケーキ屋編ちゃんの話などして別れた。駅前の江戸一で回転寿司。日曜ということもあって、大にぎわい。ネタも豊富でよし。……は結構であるが、ふと見ると、お茶用のお湯の注ぎ口が、緑青をふいて、真っ青になっている。ここから湯を注ぐのは、いささか躊躇せざるを得ず。緑青がどれだけ毒か、というのではなく、単に場末の銭湯や温泉の蛇口を連想して気味がよくない。ウーロン茶を注文して、これで食べる。
その後、書店数軒回り、最後に西武デパ地下で食料品買い込んで帰宅。冬コミ同人誌用ネタ作り。海外アホ漫画傑作選。書庫にもぐっていろいろ物色。中田雅喜さんから書庫の中のビデオを整理させてくれ、と言ってきているが、ダビングビデオ類はほとんど実家の方に送ってしまっていることを発見。あと、眠田さんがトゥーンMLで言っていた『ディズニー・パレード』のEP、これはすぐ見つかった。
アスペクトから村崎さんとの対談原稿、いつもそうだが実地の最中は自分のしゃべりのつまらなさに頭を抱えるのだが、文字になるとちゃんと言うべきことは言っている。まあ、まとめる編集さんが手を加えてくれてもいるのだと思うが。6時半、クロネコヤマトが荷物を取りに来る。昼間、依頼の電話をかけたとき、向こうの係のお姉ちゃんが、見事なプロしゃべりで応対してくれたが、“では、7時に配集に……あ、違うわ、これ。……6時半になります”と、一瞬、フツーのしゃべりに戻っちゃったのが微笑ましかった。あのつさんからいただいた新米があまりうまいので、半分を、安達Oさんが引っ越しするというので、その引っ越し祝い代わりに進呈というわけ。
8時まで仕事して、半、夕食の準備。今日は“食べくらべ”で、以前の米を炊く。ただし、『刑務所の中』に影響されて、麦を混ぜたもの。麦飯は水分の加減が難しいが、まずうまく炊けた。オカズは、これも影響で、ハルサメのスープ(ただし、ナルトはゾッとしないので省略)、野菜の煮付け。野菜はゴボウ、ジャガイモ、干しシイタケ、ニンジン、それに凍り豆腐。冬は野菜がうまくなるが、根菜類からこんなに甘味がでるのかと驚いた。ただし、これではあまりに健康的にすぎるので、長野で買った豚モツをキャベツ(これもあのつさんから)とミソ仕立てで鍋風に。麦飯はやはり新米の味を舌が覚えているうちはダメ。しかしK子はうまいうまいと食べていた。
ビデオで1943年の映画『ブードゥリアン』。ブードゥリアンてのはビデオ発売のとき、エイリアンだのバタリアンだのというそのテのタイトルにあわせて、ゾンビものだからとつけたものだろう。原題は『私はゾンビと歩いた』といういささかどうかと思われるもので、日本公開時のタイトルは『生と死の間で』。こっちのタイトルにむしろぴったりの、ゾンビものとはちょっと思えぬ文芸調映画。1940年代に流行した南方もの映画のひとつなのだろうが、これが噂にたがわぬ傑作。原作がなんと『ジェーン・エア』というのがオドロキである。それをゾンビものにしてしまうのである。ただし、ゾンビと言ってもスプラッタ以降のあの人肉を食らうゾンビではなく原義通りの、生きる屍である。これが文芸映画でなくホラー映画であることを思い出させてくれるのは、よくホラー映画図鑑とかで見る、目玉剥き出した黒人ゾンビのメイク(なんだろうな?)だけ。しかも、ブードゥーを単なる邪教として描くのではなく、キリスト教文化圏を離れた南の島で、理性を麻痺させていく文明人の不安の象徴として、怪しくも魅力的に描いている。主人公のベッツィーが、ゾンビとなったジェシカ(ベッツィーが思いを寄せる雇い主の妻)とブードゥー寺院へ向かう道は、セットであるが、月明かりの中の森、白と黒の対照的な二人の衣装と、計算し尽くされた画面。『狩人の夜』を連想させた。木に吊された犬の腐乱死体までが奇妙に美しい。ベッツィーを演じるフランシス・ディーがまた、美しいのに驚いた。『若草物語』などに出ていた戦前からの人気女優だが、クラシカルな目鼻立ちは、どことなく藤原紀香を連想させる(顔の大きさか?)。ラストに主人公の危機がからまないのがちと、脚本(カート・シオドマク!)の不備ではないかと思えるが、しかしこんな優れた映画とは、見るまで知らなかった。買ってから見る気になるまで一年以上たっているのだ。ビデオ版タイトルのせいである。