裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

5日

火曜日

ああビンテージ涙あり

 今度の水戸黄門はさすが里見浩太郎、熟成された味わいのある番組に。朝、8時起床。朝食、コンソメスープにモヤシとタモギタケ入れて。K子にはスパゲッティと野菜の炒め物。オレンジ一個に砂糖抜きのミルクコーヒー。窓外の日光がいかにも遠いところから射している、という感じ。

 10時、日記つけていたら、電話。白山先生から。“ちょっと聞くんだけど、オノクンに、あれから会ったかな?”と。あれからというのは芸術祭からこっちである。“いえ、会ってません。二日後に電話が来ましたが、電話もそれからは”と答える。すると“ああ、やっぱり……実は、今朝8時にオノクンから電話があったんだよ。なんだか酔っぱらっているようでね”と、そこで“ア゛ア゛ー、オ゛ノ゛です……”と酔って声を枯らした伯父の声帯模写、これはさすがに物真似芸人だけあって見事なのに笑ったが、内容がいけません。“「いや、先生の舞台をカラサワが見たそうで、大変に褒めていました。僕ぁ先輩の活躍がうれしくて……」と、前にかけてきた内容と同じことを繰り返すんだよ”と。母に相手にされなくなって、今度は白山先生のところにかけるようになったか、と呆れる。ひょっとして、あれからまた私が伯父と会って、そのときにもそういう話が出たのか、確認に電話した、とのこと。
「まあ、彼ほどの男が褒めてくれるのは俺ぁうれしいんだよ。だけどね、芸人てのは大体宵っ張りだよ。俺もね、今日はまあ、病院行くんで早く起きたけど、いつもは午後にならんと起きないんだ。それを朝の8時に、酔って電話かけてくんのはね、まあ歳とると人間、どうしても早起きになっちまうもんだけど……」
 白山先生78歳、伯父は72歳である。自分より年上の人間に、歳より扱いされてどうする。迷惑をあやまり、まあ、彼も病気ですんで……と言い訳。なんで俺が言い訳しなければならん、と思いながら。いろいろ他の話も出たが、これはオフレコ。

 その電話が終わって(一回切って十分後にまたかかってきて、“オノクンに電話して、“芸人は朝が遅いんだ、8時なんかにかけてくんな”と、まあ冗談めかして注意しといたよ”とのこと)、一時間後くらいに、今度は小野ひとみちゃんから電話がある。てっきりその件かと思ったら、まったく別で、知り合いの社長さんが志ん生をこの間ラジオで聞いて、ちょっとハマって、落語をこれから生で聞いてみたいと言うんだけど、今の落語家さんで誰を聞かせたらいいかな? という件。しかし志ん生でハマった人に、今の落語家を聞かせるのもちょっとなあ、という気がするが、“本当に落語そのものが好きになったんなら、まず基本的な演題をテープやCDで聞くといいよ。志ん生のものは今、たくさん出ているし。現役の人で、噺が初心者にもわかりやすいというなら小朝さんが適当。いかにも落語家らしいという雰囲気が好きなんであれば、その社長さんの年齢なら、文治さんあたりがいいんじゃないか”と答える。あまり自信のある推薦ではないが。二人が奇しくも電話口で声を重ねたのは、“談志さんじゃ、ちょっと危険だからねえ”。

 早川書房用原稿、書き直し作業。連載時に読者サービスで入れた時事ネタを外し、記事の内容のチェックを行い……という作業はさまで大変でもないが、単行本にまとめるに当たってコンセプトを新たに設けたために、それに合った結論部分を一編々々に考えるのがめんどくさい。星新一は連載の際に、単行本にまとめることを考慮しながら書いたというが、私もそれを遵守しているつもりが、つい、リアルタイム読者の方を向いてしまっている。

 昼は昨日の残りご飯。オカズを作るのがめんどくさいので、長野のニンニクミソをなすって食べる。damさんから、googleのハイライト消失の件に関してアドバイスメールいただく。要はgoogleのツールバーをインストールして、ハイライトのアイコンを選択しっぱなしにするといい、ということ。有り難し、と早速インストールしようとするが、残念ながらこれはウィンドウズ向け仕様らしく、マックでは出来ず。

 早川書房用原稿、サクサク進んでいたら、2時40分、電話、時間割の二見書房Fくんから、“お約束、2時でしたよね?”と。うわぁぁぁ、原稿にかまけてテープ吹き込みを忘れていた。しかし、原稿も何としても二本くらいは送らねばならぬ。もうちょっと、待っててください、と頼んで、3時までに二本完成させてメールし、それから大慌てで時間割へ。申し訳ない、と平謝り。それからとりあえず、と『怪獣論』基調原稿のテープ吹き込み。十分な準備をしていないままに始めるものだから、今回はまず、サワリのところを三十分ほど……と前置きして語り始めたが、まあ下調べはかなりやっていたということもあって、下地は好きなり御意はよし、で、話しているうちに調子がどんどんアガってきて、和辻哲郎まで引用しながら、なんと“……とりあえず今日はこんなところで”と〆たときには、一時間三十分たっていた。これには我ながら驚く。

 終わって出て5時、帰宅してまた早川原稿。もう一本何とか、と思って頑張ったが時間切れ。6時半に家を出て、新宿。そこから埼京線で池袋。駅東口から歩いて7、8分、シアターグリーンにてうわの空藤志郎一座公演『中年ジャンプ』最終日。阿部能丸さんが招待券とっておいてくれたのは感謝。開演前阿部さんと少し雑談。ベギラマはくすぐリングスのキティ・はるかと3日に行ったらしいし、昨日は声ちゃんが来てくれたとのこと。

 満員御礼の状態の中、開演までをチラシ読んでつぶす。日本中にどれだけ小劇団というものがあるのか、毎度いろんな公演のたびに感心というか呆然というか。今回も二十以上の公演のチラシが配られている。ほとんどが知らない劇団、知らない人たちばかりだが、覚えのある名前もチラホラ。『おキモチ大図鑑』の高山広というのは、ビデオ『オールカラー第三帝国史』のナレーションをやっている人と同一人物か? 劇団ピンクアメーバなるところの公演に参加している京本千恵美というのは、吉澤忠サンと同じ事務所にいた人だな。非常にユニークなパントマイムをやる女性で、好きだった。あと、このシアターグリーンで行われている演劇フェスティバルの、12月6日からの公演をやる『農民』という劇団の、芝居の題名が私的に非常に気になるものだった。曰く『古本SF』。ピクン、と神経に来た人も多いのではないか。

 さて、『中年ジャンプ』。私はまだこのうわの空藤志郎一座の舞台を二回しか見ていない。が、その二回とも面白さに仰天し、オソレイリマシタ、という気にさせられている。脚本の元アイデアの面白さに加え、アドリブで毎回やりとりがどんどん変化するという緊張感。だいたいアドリブ芝居を目指すところというのはストーリィがどうにも困ったもの(変にゲイジュツした抽象に走ったりしがちだし、そもそもお笑いの人たちとつきあっていると、演劇人のアドリブの下手糞さにはつきあいきれない)なのだが、ここはアドリブギャグと芝居がうまくかみ合っており、ダレそうになるところを座長の村木藤志郎が抜群のセンスと存在感で引っ張っていく。そして、だからと言って先鋭を目指さず、日本人的に適度にクサい。大衆演劇の泣かせと、現代的なギャグセンスがちょうどいい案配にブレンドされているという感じなのだ。

 ベギちゃんからのメールでは、“(コントでないお芝居で)あれほど笑えるとは思いませんでした”とベタ褒めだったが、すでに見ている身としては、前二作、ことに前作『サヨナラ』があまりにいい出来だったので、期待しすぎまいぞ、と気を落ち着けて見る。最初からユニークなキャラクターの人物がぞろぞろと登場、テンポよく舞台は進行するが、観客の反応がイマイチなのが少し気になる。ギャグの密度が非常に高い分、ついていけないのかとも思う。小さい笑いはひっきりなしだが、大きなギャグでこっちが思ったほど客の反応がよくないと、アレ? と思ってしまう。

 芝居そのものは今回も実によく出来ている。今日で廃線になる北海道の田舎駅を舞台に、昔、スキーのジャンプ競技選手だった男たちの、人生の経過点のストーリィ。構成に前作ほどのヒネリはないが、キャラ立ちは前二作よりはるかに進歩していて、『ラストシーン』で感じた座長芝居の不満も、ほぼ解消されていた。地でいっていると思える尾針恵(声優さんだそうな)、川久保にゃんこ、お待たせ役の岩崎サチヨらはともかく、どのキャラクターも描き方に不足なく、芝居のしどころが与えられている。昭三役の小林三十郎の朴訥さを出したキャラは好感度が高いし、森品役の白川眞一郎は、セリフ、表情とも見事に中年の挫折を表現しているし、お気に入りの島優子は『ラストシーン』でも見せた、“みんなが想定している状況を一人だけ把握できないキャラ”できちんと笑いを取っている。こういう演技が出来る女優さんは貴重だ。高橋奈緒美のボケはよく考えるとストーリィの整合性を壊しているんだが、この人ならこれでないと、という、癒し系ボケで許されてしまっているし、前作では“まあまあ”ばかりの抑え役だった山形明人も、今回は主役グループの“元”ジャンパーたちと対比される現役ジャンパー役で、存在が要に置かれており、ただ一人の“まとも”な人物、というキャラが生きている。おまわりさん役の渡辺岳宏はコメディに必要な“顔”の持ち主……と、褒めていけばキリがないのだが、ただ、非常にゼイタクな不満なのだが、そうやって全員がいい役を与えられている分、スターである村木さんの活躍部分が小さくなってしまった感がある。とにかくサディスティックに周囲のキャラにつっこみまくる部分は健在なのだが、前二作で見せていた“こいつがこの舞台全部の中心!”という迫力に乏しいように思える。『ラストシーン』で、彼一人があまりに中心すぎる、と不満を書いたのと矛盾するようだが、周囲のキャラが立って、それらが話をまとめようとがんばっているところを、主役の村木さんが片端からぶちこわしていく、という、往事の植木等なみのパワーある存在感を、彼なら演じられると思うのである。

 とはいえ、それは望蜀の嘆で、二時間、十分に楽しみ、満足し、かつ自分の仕事にもいろいろ刺激を受けた。来春の公演が四月、というのが、どうにも遠く感じられて仕方ない。……忘れていた。阿部能丸さんはもっと暴れてほしい。この人は本人そのものの存在感がある分、キャラにあわせると返ってそれが薄まってしまうのではないか、という気がいつもする。そして、出口に並ぶ出演者に挨拶して、駅まで歩く途中で、興奮気味に話している男女の会話が、耳に飛び込んできた。
「……あの、ハスキーな声の女優さんいたじゃない。あれ、見てて、あれ、俺、この子と昔、会ったことあるぞ、とずっと考えていたんだよ。そんな筈ないのに」
「あ、あたしもそう思った」
「……いるんだよ。ああいう子って、必ず、昔の同級生とかの中に」
「そう、いるよね、絶対」
「たぶん日本中の人間の記憶の中に、ああいう子っているんじゃないか、ってキャラクターだよなあ」
 これは小栗由加に対する、現在における最高の褒め言葉なんじゃないかと思う。私のマルCでないのが残念であるが。

 K子に電話、クリクリに行こうと打ち合わせたが、電話に応答しないというので、変更して下北沢虎の子。キミコさん、今日は商売する気ないのか、テーブル席で一緒に飲む。常連のお客さんも交えて、『開運』のみながら、いろんなことダベり。神職と坊さんはどっちがなるのが大変か、とか、最近の焼酎は臭くなくてつまらない、とか、あのつさんの野菜がおいしかったとか、そんな話。“ホントに、よく毎日、あんな長い日記が書けるわねえ”と呆れられたが、今日も長くなってしまった。つぶし大豆のお粥風なクラムチャウダーがおいしい。この店、店内装飾を風土社の『チルチンびと』という雑誌(どこだかのインディアン語らしい。“びと”まで含めて)に紹介されたが、店名も住所も一切入れないで、と頼んだとか。12時半帰宅。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa