裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

10日

日曜日

笑ってブルーシティ

 いや、バトルブルーは許し難い(引き続きマイナー漫画ネタだが、昨日のよりは知られているだろう)。朝、5時半に起き出して、前書き原稿11枚強を書き上げる。暗い窓外が次第に明るくなっていく中サクサク書いて、7時半、完成。予定枚数より幾分増えたがまあ、よかろうとメール。もう一回横になって、8時半、再度起きて朝食の支度。菜の花とヒラタケのコンソメスープ煮。果物はポンカン。K子には野菜のカレー風味炒め。

 10時、母から電話。サイトを見ることが出来るようになって、このホームページも読んでいるそうだ。K子の会社設立のエッセイを読んで大笑いしているそうな。しかしまあ、彼女のはウチの一族にはかつてなかった才能だねえ、などとご感想。母もニューヨークに行ったら、公開日記をはじめるという。そのうち2ちゃんねるあたりで“唐沢俊一の母親ってどうよ?”スレなど立つと面白い。

 11時半、早川書房A氏が自宅から電話。送った前書きの中に、以前の原稿との文章の重複があるとの指摘。あれ、しまった、一部を引いてきて書き換えて、元文章へのツナギにするはずを、寝ぼけたかそのままにしてしまった。あわてて書き換え。ただし10分もかからずにメールは出来た。とはいえ、昨日の午後1時に全部出すはずだったのが、今朝の正午。23時間〆切に遅れた。尤も、本来は先月末に出来てないといけなかったわけだからそれどころではないが。送った後再度かかってきた電話におけるA氏の“これで全部入りました”という声は安堵と疲労のカクテル声。

 昼飯は昨日の残りの冷やご飯の上に、卵と冷凍庫にあった鶏肉とで作った親子丼。この鶏は西武のザ・ガーデンで買った赤鶏というやつだが、不思議に濃い味わいがある。食い終わって、サテという感じで、この一ヶ月この原稿にかかっていたおかげで整理整頓がまったく出来なかった仕事場の整理をはじめる。資料用に抜き出した本をもとの棚に収めるだけでも、えらい労働になる。

 片付けという作業は面白すぎて捗らない。あっと言う間に4時になる。明日の原稿の資料も買わないといけないし、夕食の材料も仕込まねばならない。マッサージの予約もある。急いで支度して外に出て、駅前へ。ここらへんにあるだろうとアテをつけていた店ですぐ、望んでいたものがそこにある。買って、西武地下で夕食の材料買い込む。これも、こういうものを作ろうと頭に思い描いていたものが全部、そこで仕入れられる。郊外に住んでいたら、どちらか一方で半日仕事になるはず。こういうときには、都心に住まいしている便利さがつくづく身に染みてありがたい。

 帰宅して、米を研いで炊飯器にかけ、予約してから再度外出、新宿でサウナ&マッサージ。忘れずに、オロナミンCを持っていく。サウナで一時間、無念無想で汗を流す。広げたタオルの上に、顔からポタンポタンと垂れる汗を、一つ、二つ……と、一千滴まで数えて出て水風呂に飛び込んでほてった体を冷やし、またサウナに戻って、一千滴数える。出て、ほてった体を横たえながら、サービスのオロナミンCを飲むのが快楽だったのだが、これはこないだで終了してしまった。仕方なく自分で買ってきたものを出してもらって飲むのだが、やはりあまりうまくない。サービスだったときにはあんなにうまく感じたんだがなあ、と不思議に思う。これは、サービスのときには特別な飲料だったオロナミンCが、自分で買って持ってくるようになったとたん、コンビニの棚にいくつも並んでいる選択肢のうちのひとつ、に過ぎなくなってしまったからだろう。

 マッサージはいつもの大柄なK先生。きつめに、と頼んだが、左肩あたりを揉まれて悲鳴をあげる。朝から、氷のように冷たくなっているのである。別の揉み方に変えて一時間、何とか血行が戻ってきたような感じ。

 帰宅して、また仕事場の整理。十分の一も出来なかったが、しかし、それでも、冬コミ用同人誌のネタなどだいぶ探し出せる。本命のものがまだ見つからないが。8時半、夕食の支度。鶏とキノコのスープ鍋、生麩炒め、メザシの焼いたの。DVDで、『サインはV!』。第一話、范文雀追悼上映だが、ジュン・サンダースはかなり後にならないと出てこないので、追悼にならない。岡田可愛のほっぺたの凄さに改めて驚く。当時21歳、昨今のアイドルの低年齢層化に慣れていると、へえ、そんな年だったのか、と感じてしまう。彼女の母親役に三宅邦子。K子が、あ、浪花千栄子、と言うので、浪花千栄子はオロナイン、三宅邦子はサラリン、と教育的指導。

 その後、小沢昭一『日本の放浪芸』のDVDを飛ばし見。古怪な芸を好むという嗜好は自分にもあるだけに、この小沢昭一の気持ちは痛いほどよくわかり、よくぞこのような形で残しておいてくれた、と、涙の出る思い。青森の梓巫女(弓の弦を叩きながら口寄せを行うイタコ)の文句の迫力にしびれる。と、言ってもディープな訛りでほとんどナニを言っているか聞き取れない。聞き取れるところだけメモしてみたが、
「……世の中ひらけてもまだ本当におらたちの時代のときと今の時代と、ママ大変の違いだけれども、現在死んだ父上と、ゲンチ(元気)でおるカタナ(?)と手を握りあうチモチ(気持ち)で何ども言(ゆ)えないことじゃある、たどえ恐山サ行ごうとも、ゼンコジ(善光寺)さまにおまいりしようとも、京都まいりしる(する)ともこんなにわが宝を二度と金で売り買い出来ねえ金でことしること(?)の出来ねえじゃず(?)と手でかかるとは夢にも知らず何とゆ(言う)ことであるか本当に夢のような気持ちじゃ、でも天国にのぼた(上った)よな、のぼってる天国から下ってくる、下がってくるよな気持ちじゃ、かたぁく膝を折り曲げてこんにちまでの、長い長い長い人生、ママ十八九、二十七八ママ三十くらいまででありましたが……」
 と、エンエン続く。“天国”なんて単語が入っているあたりのキッチュさがたまらない。小沢昭一曰く、聞いていて感にたえたような顔はしていたものの実はさっぱりわからない、青森出身の人に頼んで標準語に翻訳してもらったテロップを下に入れようとしたが、やってみると、
「また一人で歩んで世を渡る人になるだろうかと思ったら、私の体内から出たのと違う明るい気持ち……」
 というような具合で、これでも全然わからない。
「どうも神様の言葉ですから、よくわからないのが当たり前と言うか、わからないのがありがたいことなんで、神様はありがたい方がありがたいのですから……」
 と、彼の言葉までイタコのようになってしまっていて笑い、かつ泣けてくる。いい気分で缶ビール小二本、焼酎ソーダ割2ハイ。12時まで。一行知識掲示板にちょっと書き込みしてから就寝。

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