裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

31日

水曜日

細胞腫009

 褐色の腫瘍がよくにあう 五年の余命と人の言う だが我々は愛の為 生き方忘れた人の為 涙で耐える死の手術 夢見てためる血の小水 細胞腫戦士誰がために戦う(まあ、なんとかこんなもんで)。7月いっぱい、病名ダジャレシリーズへのおつきあい、感謝々々。朝7時半起床。夜中に一度、寝ぼけ眼でふとベッドの脇を見たら、宇宙人みたいな顔があってギョッとする。むこうを向いて寝ていたK子の、耳の穴を目と間違えて、宇宙人の顔に認識したらしい。錯視の実例によく出てくる、むこう向きの貴婦人像が老婆の顔に見えるという絵があるが、同じことを現実に体験したわけだ。朝食、まずい“おいしい”青汁、トウモロコシにサツマイモ二切れ、ゴマのスー プ、水蜜桃。

 日記つけ、ネット。青山正明氏のSF大会に関する情熱に正直、感服する。よく、あれだけの理想論を語り続けられる(夢見がちな少年のように)ものだ。よほどピュアな心の持ち主なのだろう。ただし、ピュアは一方で世間知を持たぬ馬鹿、の意も持つ形容でもある。“ゲストの参加費は大学生スタッフの好意……電車賃を圧迫しているのだ”という一文があって、心底脱力する。SF業界はよくベクトルが内輪向きだと言われるが、それを象徴する言であろう。こういう言の裏には、学生もプロも差別をしない平等な大会というような理想があるのだろうが、そんなことを言っていながら、前に小松左京は別格だとか、京本政樹から金を取るわけにもいくまいとか書いている。SF関係者を差別してランクづけしているわけである。無意識なのだろうが、無意識だけにタチが悪いとも言える。毎回ゲスト選定の際に、さぞ興味深い差別作業が見られることだろう。……参加者の好意というものに対しても、少し純情がすぎるように思えるのだが、これは青山氏が善人に過ぎるのか、私が悪人に過ぎるのか。ボランティアというものは、こう言ってはなんだが個人の自己満足感を支えに成り立っていて、裏のドロドロを押し隠している。それは、あくまで自発的なもの故に、“押さえ”たり得ている。強制されたとたんにそれは無効化し、汚いウミのようなものがどっと噴出してくる。そのときに、善意とか好意なる代物は、最も危険な両刃の剣となって多くの人を傷つける。小なりといえ芸能プロダクション経営者だった経験から言わせてもらうと、ギャラの支払(参加費免除、という消極的なものであっても)というのは、クレーム発生をおさえる、最も効果的にして経済的な手段なのである。

 まあ、もっとも私のようにSF大会に向後参加しないと表明している人間に、大会の正しいあり様は、などという偉そうなことを言う権利はない。上記の言も、あくまでお節介な脇からの差し出口の範囲を出るものではない。青山氏にはまことに申し訳ないが、今朝は朝から誰かにからまないといられない気分で、心底鬱々としていたのである。個人的なことで人には説明してもわかってもらえないことなのだが、ホトホト呆れ、次に怒り、最後は何もかも馬鹿馬鹿しくなって、放り出したくなる。率先して何かのために働こうなどとするものではない、と自分のオッチョコチョイさが心底嫌になる。人間不信である(それほどお前は人間を信用していたのか、と問い返され ると返答に窮するが)。

 こういう日は何やってもダメで、捜し物は見つからず、原稿は書けず、昼飯にしようと思って買っておいた鰺寿司は冷蔵庫の中でカチカチになっており、じゃアと作ったカップヌードルには湯を入れすぎてマヌケな味になり、コピー機のインクを交換に来るというので予定を変更して家にいたら明日になると電話がかかり、某社からは金を間違って多く振り込んだから振り込み返してくれと言ってくる。さんざんである。二見書房に移ったFくんからは、来年あたりと考えていた企画を、いきなり11月に出したい、と言われてひえーとなる。昨日、『妄想通』も11月、と予定立てたところ。かなりいろんな予定を前後させねばなるまい。……しかしまあ、年内に出る本が一冊でも多い方が家計としては助かるので、これはイイ報せであろう。

 ロフト斎藤さんから電話、10月の立川流トークのこと。談生には出演確認とってあるし、快楽亭と談之助は問題ないとして、志加吾・キウイは先行き未定だし、私とのからみよりは鶴岡あたりと自由に上のワルクチとか言わせた方がいいんじゃないですか、と言っておく。とりあえず、チラシは作りたいとのこと。チラシと言えば、千葉のどどいつ文庫さんがコミケ用の目録を持参してくれる。もうひとつ別のチラシもあるが、それは当日会場持ってくるとのこと。いつぞやの淫祠研究家のチンチン先生の話になる。彼、尿道結石になり、昨日手術だったとか。チンチン像の研究家が尿道結石とは、出来過ぎ。“バチが当たったのかねえ”と笑う。

 4時、時間割で幻冬舎Sくんと。Sくん、むじゃむじゃのひげ面で現れる。出版の件でスケジュール確認。幻冬舎からはとりあえず12月、2月、8月と、一年先までに三冊の出版予定を決める。その他、ちょっとコラムの話、連載の話などの打診。まだ打診どまりであるが。コラム内容に関連してやたら饒舌になり、漫談に走ってSくんを笑わせる。それから発展して、文壇の人物月旦。作家は儲かると丸くなる人が多いが、マンガ家は儲かると嫌なヤツになる人が多いとか。マンガが、描くときにより高いテンションを必要とするものだからなのではないかと思う。高テンションを維持しようと思うとどうしても攻撃的になるのである。

 Sくんが少し遅れて来たので、待つ間、店内にあった雑誌を読む。月刊penの、2001年2月号(ずいぶんと古い雑誌を置いておく店だ)。書評コーナーで、花崎真也という評論家さんが文章を書いているのだが、冒頭いきなり“知らなかった!”という書き出しで、豊田有恒氏の『日本SFアニメ創世記』の書評をしている。冒頭の一文で読者を釣れ、というのは豊田氏が常々書いている文章技術のひとつで(実話モノは「あっ、あれはなんだ!」で始める)、ほう、この花崎という人、それを実践しているよ、とちょっと微笑んでしまったが、後がいけない。
「豊田さんは、根っからのSF作家だとばかり思っていた。ところが、本書を読んでビックリ。意外な過去があったのだ。『鉄腕アトム』『スーパージェッター』『エイトマン』など、黎明期の日本アニメ界にあって、数少ない専門脚本家として活躍していたのがこの人なのだ」
 とある。花崎真也という人についてはまったく知らないが、“少年のころ、『SFジュブナイル』という分野がはやり”と書いてあるところからみて、私とそんなに年齢は違うまい。しかもSF作家としての豊田有恒ファンのようなことを書いてある。ならば、豊田氏がアニメに深く関わっていたという経歴(銀背のころから著者紹介に明記してあるし、ご本人もあちこちにしょっちゅう書いている)をいまさら“知らなかった!”はマズいだろう。で、その後の手塚治虫の天才を示すエピソードを“おもしろい”と引用するのだが、それは手塚がブレーンストーミングで機関銃のようにアイデアを出し、そのうちの半分は箸にも棒にもかからないものなのだが、“こんな馬鹿なことを言ったら軽く見られるのではないか、あるいは沽券にかかわるのではないか、などといったてらいがまったくない”というところで、『あなたもSF作家になれるわけではない』などで紹介されていたものとまったく同じ、何十回も聞いたエピソードである(実際、私はこの本が出たときに立ち読みしたのだが、内容に『あなたも……』とのダブリがやたら多かったので結局、買わなかった)。そして、この書評の〆メの部分は
「エピローグでは豊田さんが『宇宙戦艦ヤマト』にも一枚噛んでいることを明かしているが」
 と、明かすもなにもスタッフロールに堂々と名前の出ていることに大感心している有様。ここまで何も知らないで純情に驚いてくれるのも、著者としてはハタ迷惑なのではあるまいか。アニメやSF業界に知識がないのはオタクじゃないから仕方がないと言え、それならそもそも書評担当者の人選に問題があるだろう。もっともこの本、書評掲載紙と同じTBSブリタニカ出版の本だから、義理で取り上げざるを得ず、急 遽手近の人間に書かせたのかもしれない。そこのところはわからない。

 鬱を払うためか、ついつい話し込んでしまい、6時になる。新宿へ行き、サウナは省略してマッサージのみ受ける。何も仕事らしい仕事をしていないのに、M先生肩にさわって“うわあ、イカッてますねえ”という。ストレスだろう。全身揉み込んでもらうが、足の指先と顔面が一番気持ちがいい。“全身を徹底して揉むと、どれくらい時間のかかるものなの?”と訊くと、しばらく考えて“6時間”と言う。その後、揉み返しがこないように同じくらいの時間、静かに寝ていないといけないそうだが、全身の筋肉や内臓が生まれ変わったように賦活するという。今日はイラついている、と言うと、鼻の先にアロマオイルを染ませたガーゼを当ててくれる。精神安定に効果のある、イランイランという花の香りで、“他者に対する厳しさを和らげる”のだそうである。私みたいなモノカキがあまり常用すると、商売に差し障りがあるかもしれない。私はアロマテラピーというのは(ついでに言うとマッサージ自体)トンデモみたいなものとしか認識していないが、逆らわず、言われたままにハイ、と嗅いでみる。この、主体性の欠如がリラックスに通じるような気がする。人生もこうだと、ストレスには無縁だろう。そうはいかんのである。

 8時、渋谷に戻って温石料理『船山』。今日の昼にご主人から電話で、“やっとサイトを立ち上げました”と報せがあったのだ(サイト内の毛ガニの写真はソルボンヌK子撮影)。じゃあ、近いうち行きます、と答えて、サイトのURLをK子に送ってやったら、すぐ行きたくなったらしく、“今夜行こう”となったもの。今日はアリモノで作ってもらうが、突き出しのシッタカ貝の煮物と、シャコの茹でたのを岩海苔の一種と合わせ、桂剥きにした大根で巻いたもの(と、書くとなかなか大がかりな料理のように思えるが、小指の先ほどの大きさのものである)の黄身酢がけ、それとハモの煮こごり(これもマイクロチップくらいの大きさ)がどれも舌が嬉しがってはずむような味付け、その後に刺身が甘鯛、石垣鯛、太刀魚、シメ鯖、イカの盛り合わせ、さらにカツオのたたき、甘鯛の塩焼き。最後はかき揚げでご飯。ここのご飯はまず、だまされたと思って食べてみるといい。米が主食の国に生まれた幸せを、心の底から感じることが出来るから。今日一日続いたウサもなんとかこのメシで晴れたが、しか しやはり酒、かなりいった。http://www9.plala.or.jp/funayama/

Copyright 2006 Shunichi Karasawa