9日
火曜日
レッドシューズ・乳癌
人物選択がマニアックすぎたか? 朝8時起き。夜中にノドが乾いて何度も台所に立ったため。朝食、トウモロコシにホウレンソウの蒸したの。やはり蒸して食べるにはホウレンソウよりクレソンの方がおいしい(別にドレッシングとかはかけず、塩だけで食べている)。あと冷コンソメ、佐藤錦。『とくダネ!』でウルトラマンコスモスの杉浦太陽、釈放会見。文字通り『帰ってきたウルトラマン』。番組内より美少年ぽい顔になっていたのはやつれてアゴの線が細くなったからか。ただし、釈放と言っても暴力行為自体はあったと認めているわけで、原告が起訴猶予、ということによる灰色釈放。現場取材にいった開田さんによると、マスコミからの厳しいツッコミは全てプロダクション側がシャットアウトしていたとのことで、イメージ的には悪い印象だったよう。番組でも小倉智昭がかなり厳しくツッコンでいた。さて、結果的にどうなるか。
昨日の日記で書き忘れていたが、映画監督ジョン・フランケンハイマー死去。何と言っても『フレンチ・コネクション2』(75)。あのラストの大追跡は映画史上に不滅の輝きを残す。安達Oさんの日記にもある通り、『大列車作戦』のようなスケールの大きいアクションの名人であったが、個人的には『終身犯』(61)の、刑務所の独房の中に限定されたドラマをじっくり見せた手際が感服ものだった。テレビ東京でやってたコメディ番組『ソープ』で、刑務所に入れられたチェスター(ロバート・マンダン)が“この独房はひどい。小鳥も飛んでこない”とボヤいていたのはこの映画のことを踏まえたギャグである。……しかし、基本的には70年代までの人だったかと思う。79年に撮った“カイジュウ”映画『プロフェシー/恐怖の予言』はお笑い草だったし、マーロン・ブランドがモロー博士を文字通り怪演した『D・N・A』(96)も、やる気のなさアリアリのダメ演出で、逆にそのためにカルト映画になってしまった作品だった。ケレンのない硬派な人に、SFとかホラーの演出はむかんのである。遅まきながら本人もそれに気がついて、正統派アクションにロバート・デ・ニーロ主演の『RONIN』(98)で復帰したときにはすでに往年の才気も失せ、まったく見どころのない映画になっていたのは無惨だった。報道によれば、70年代のフランケンハイマーはアルコール依存症に苦しんでいたが、80年代にそれを克服したんだそうな。依存症時代の方がいい映画を撮れていたというのは皮肉である。酒はやはり飲んだ方がよろしい。
午前中に、〆切をすっかりど忘れしていた『クルー』誌原稿。ネタ探しから書き上げ(400字詰め3枚)まで1時間弱。で、かなりまとまった、内容も満足できるものが書ける。これが不思議。それからK子に渡されたUA!ライブラリー新刊、中川秀幸『エンゼルの翼』に目を通して一人でバカ笑い。なお、新刊タイトルは『わたしは貧しいニコヨンの』。大丈夫かと言ったら、“いまどきニコヨンなんて言葉、ダレも知らないわよ”と。ちなみに、ニコヨンの語源は一日の賃金が二四○円、つまり百円玉二枚と十円玉四枚であったことからと言われている。バブル期には日当が一万二千円にまでハネ上がって、“ワンツー”などと改称されたらしいが。
昼は青山まで散歩がてら歩くが、暑気と湿気りはなはだしく、体力を消耗したのみに終わる。エネルギー補給をしなければならぬ、と思い、明治通交差点あたりのビルにあった焼肉屋『カルビ館』でカルビ定食。肉はまあまあだったが飯がまずい。青山ナチュラルハウスで買い物。私がここで買い物をするのはひたすら“紀ノ国屋より安い”という理由のみなのだが、店内には“私は無農薬のものしか体に入れないピュアガールなの”という雰囲気を周囲に芬々とアピールしているようなスカした女どもがおり、こういうのを見ると押し倒して口の中にコンビニ弁当だとかジャンクフードをぎゅうぎゅう詰め込んでやりたい気がむらむらと。東京に住んでて自然派を気取るんじゃない。
帰宅して少し休み、3時、東武ホテル。『ダ・ヴィンチ』インタビュー。サブカル本の魅力・歴史・役立て方等について駄言を並べる。そのあと写真撮影。ライター氏と最近若手でコレハというのがいない、という話をする。私の日記も読んでくれているようで、現代思想関係の尻っ腰のなさでもちょっと盛り上がる。散歩で火照っていた体が、冷房の効いた個室でのインタビュー一時間半で、すっかり冷えた。
帰って電話数件。おおいとしのぶ君から久しぶり。恒例の十条の和田屋での飲み会は、今年はコミケ前日にあたっており、ちと参加は難しいと伝えてあったのだが、今回は『ネクロマンティック』のジョルグ・ブートゴレット監督が来日していて、是非参加したいと言っており、彼と『ゴジラ対ヘドラ』の坂野義光監督が酒酌み交わしつつ歓談する、というスゴいものが見られるという。うう、その情景だけでも見てみたい気がする。あと、ベギちゃんからメール。朝、こないだのお礼メールが届いていたので、27日の上野広小路でのオトナのオモチャトークに、アシスタントとして一緒に高座に上がってくれと頼んでおいたやつ、了承の返事。これで、紹介するブツと、それをどう披露するかという算段が絵になってカチッと固まる。よしよし。続いて、ロフトの斎藤さんからもメール。29日のロフトの見世物小屋特集、出演を依頼されたのだがオトナのオモチャトークが29日と思いこんでいて、一旦断った。それがカン違いと判明したので、改めて出演OKの返事を出しておいたのである。これで7月末は27の広小路亭、28のBOX東中野、29日のロフトプラスワンと、三日連続トーク祭となる。夏だ夏だ。
なお、昨日の日記の記述について斎藤さんから一部訂正。まろんちゃんは確かにウンコを投げつけたが、さすがに客席にではなく、壇上のメンバーに、だったそうな。だとしたら、あのとき壇上にいた筈の私はもっとアブなかったことになる。つくづく虎口を脱したという感がある。あと電話、青林工藝舎から。三本義治くんの単行本のオビ文の依頼。引き受けてからしばらく、大恐慌劇団の事務員としてやってきた、彼に初めて会ったときのことを思い出す。もう何年前になるか。
立川流座談会、ビデオを起こすのにひと苦労。座談会と違ってこういうトークは、一人のしゃべりが長いので、テンポをはかるのが非常に難しい。内容はすさまじく面白いんだが……。途中までで一旦放棄して、頭を冷やし、その合間に『父は貧しいニコヨンの』の解説400字詰め5枚半を45分で書き上げる。これまた、文章のリズムが我ながらスイスイと行き、内容はともかく文章的には非常に満足できるものになる。どうしちゃったのか。亜鉛効果か? 平塚くんから電話、同人誌の印刷代見積もり。入稿が遅れたこともあり、かなり高くつくことを覚悟していたのだが、思いがけず安くあがることがわかり一安心。同時に予約しておいたと学会の同人誌をSF大会向けに早めに入れておいたことと、官能倶楽部時代に睦月さんをその印刷所利用者の会の会員にしておいたのがよかったらしい。
9時、K子と夕食。ゆうべの残りのニガウリを厚揚げと煮たもの、ホタテとワカメの酢の物、茄子とカニの中華風炒め、それにお中元でもらったイル・マイヨのタリアテーレを茹でて、アナゴの和風パスタ。パスタ好評でまずよかった。他のものもおいしく出来たが、ニガウリのみは煮込んだら苦みが倍増して、ちょっと箸をつけられずに終わってしまった。ビデオで東映昭和40年代テレビドラマ主題歌集(2)。やたらマニアックで、知っているのが『非情のライセンス』『あひるヶ丘77』『白い巨塔』『キイハンター』『プレイガール』くらい。『刑事くん』ならぬ『刑事さん』とか、高城丈二版『七つの顔の男』だとか、三遊亭円楽、三遊亭小円遊主演の下町ドラマ『笑ってヨイショ』だとか、いろんなのがあったんだねえと感心。あの、ヤクザものが大嫌いな平山亨さんが、任侠もの『花と狼』なんてものをプロデュースしている(まあ、共同でではあるが)のも意外や意外。そして、どれもこれも、今見ると実につまらなさそうな、ヒットしなかったのも当然というような感じのOP。ただし、それらのバックに映る、高度経済成長期まっただなかの東京の町並みにはちょっとこちらのノスタルジックスイッチを刺激されてしまった。