裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

6日

土曜日

オタクアミーゴスの胃酸過多においでいただきました

 病名ダジャレシリーズ、突発的に始めたが案外苦戦。昔の笑点でまだ司会じゃない円楽が言っていた“なに、そこひですか、そこひお座りなさい”くらいのものがポコポコ出てこないといけないのだが。朝、また長い夢。今度は覚えていた。古いデパート(これは私の夢によく出てくる、巨大だがひなびたデパート)の最上階が昭和40年代にはストリップ劇場になっていたという思い出話の夢。当時の記録フィルムで夢は進行し、ダンサーたちがレトロな衣装でラインダンスを踊っている。なぜかその司会を中野貴雄がやっていて、60代くらいの私がそのフィルムを見ながら、当時の思い出を語るという趣向。中野貴雄については一昨日みた『レスリング・ウィズ・シャドウ』にワンシーン出てきたポール・ベアラー(ゾンビメイクをした、アンダーテイカーのデブのマネージャー)を見て、K子と“日本でこういう役が出来るのはやはり中野監督をおいて他になかろう”と話したことが元になっている、のかも知れない。なかなか趣味にあった面白い夢で大変満足。そのせいか、8時まで寝過ごし、立川流前座の番組を見逃してしまった。

 朝食、私は相変わらず。K子にはモヤシとオクラの炒め物。仕事場の窓から公会堂の車寄せあたりでウロついている追っかけの子が見える。昨日も打ち合わせにいくとき、そういうのがゾロッといるのを見かけたが、何かいつもと感じが違った。集まって写真撮ったりしているんだが、どうも様子が変である。近づいてみてわかったが、平均年齢がいつもの追っかけより二十歳、上である。表の方へ回ったら、その日は氷川きよしのワンマンショーなのであった。着飾ったおばさんたちで公園通りがいっぱいだったが、行動は二十年下の子たちとほとんど変わっていなかった。

 河出書房より『文藝』秋の号届く。まだ梅雨もあけぬうちに秋の号とはまた気の早いことである。Dちゃん特集。対談は私の他に嶽本野ばら、kiyoshi(彼女のCDデビューのプロデューサー)の三組。私のだけ如実に浮いている、というか、いわば『文藝』文化人に対する徹底した嫌味の様相を呈している。はさまっていた編集Yくんの手紙によれば大変面白いページになった、と喜んでくれているようだが。八百屋前で二人で撮った写真は大傑作になった。

 ところでこの『文藝』のブックレビュー、佐藤善木、恩田皓充、篠原一、野田努らレビュアーたちの筆力はさすがに読売や朝日の書評子たちよりはるかに上(いずれも読ませる工夫が満載である)だが、ここの書評には本の値段が記されていない。いやしくも『文藝』の読者なら、値段などに躊躇することなく良書を買うであろう、という自信に満ちているかのようであるが、やはり感心しない。値段もまた、本の大きな価値判断材料のひとつなのだ。まったく最近の本は高くて参る。早めに六本木に出て青山ブックセンターで資料本冷やかし。昼は何にしようかとちと迷った(日産ビルの地下は土曜は全休)が、明治屋で鶏の味噌焼弁当を買って、家で食べることにする。梅雨あけかと疑われるばかりの日差し。ただ風はあるのでさわやかである。ヘソピアスに胸が透けまくりの白Tシャツ姿のキャンペーンガールのお嬢さんにチラシもらったあと、同じくヘソ出し、胸ぐりを大きくあけた服装の、どう見ても50代のおばさんにカチ会う。印象はこのおばさんの圧倒的勝利である。服装以外はまったく、そこらのタバコ屋のおばちゃんなのである。なにゆえに彼女はこういう格好でいるのか、しばしその理由の推測に悩む。帰宅、さっさと弁当食って部屋を取り片付ける。テレビクルー、3時にくる予定だったが30分遅れる、との電話。

 机の上の本を取り片付けるとき、講談社文庫『夢声自伝(下)』が出てきたので、何気なしにパラパラ読む。夢声が癌の疑いで入院した(結局癌ではなかった)ときの随筆で、文中“肺病だの胃病だのでは、問題にならないが、ガンとくると、ガーンとくる”という一文があった。衝撃を受けたときの“ガーン”という効果音は梶原一騎が発明した、というような不正確な一行知識が頭にあったので、昭和二十七年(このエッセイの発表された時期)にこの表現がすでにあったと知って、やや感慨あり。

 3時40分、クルー来宅。仕事部屋の本の山の中にカメラを据えるのにかなり苦労していた。ディレクターさんの質問に答えるという感じで録画開始。階下の部屋で何か改装をやっているらしく、時折電動ネジ回しの音がギュウイーンと間歇的に響く。そのたびに話を中断し、音が止むとそこからまた話し続ける。ややめんどくさい。明治・大正の文学と怪談、なるお題で、トータルで30分ほど話す。別段支障も何もなく、私としてはテンションもあげる必要もなく、ラクな仕事だった。8月9日(金)の夜10時放送予定。“スタジオゲストは誰なんですか”と訊いたら、いとうせいこう、森雪之丞の両氏といったところらしい。やはりこの辺が世間的知名度でメインゲストをはれる人というわけだろう。終わってギャラ交渉。普通一般の文化人値段よりいくぶん、イロをつけてくれるとのこと。ただし、こちらから“普通は文化人値段ということで×万円くらい……”と言ったのを聞いてディレクターM氏、ややホッとした表情になる。シマッタ、もう少しふっかければよかった、と内心舌打ちをしたことであった。

 一人になって、ふうと息をつき、少し昼寝。以前のような嫌な意識の失い方ではない。体力、徐々にではあるが回復の模様。亜鉛のせいだとしたら、あんな安いもので健康を取り戻せるんだから大したものだ。もっとも、プラシーボがだいぶあるような気がする。

 8時、夕食の準備にかかる。冷蔵庫の中の余り物を総ざらえして、鶏肉四片残っていたのとゆうべの豆腐の残りでスキヤキ風煮物、刺身サーモンのシッポのところをほぐして鮭チャーハン、それにお中元のカニ缶で蟹玉。LDで他のトクサツものも画質確認。食べ終わって9時半、今日は12時からロフトプラスワンでプリンセスみゆきの誕生パーティなので、1時間ほど休んで、11時半に出かける。土曜日で歌舞伎町は混雑を極める。バカが“なんでこんなに人がいるの”とか言っていた。わかりきっているではないか。で、ロフトの入り口で今夜のミッドナイト企画の看板がちょうど入るところだったので確認してみたら、なんとかいうスゥイングバンドのステージであった。私は“7日の深夜零時”というから、日が変わった土曜の零時にやるんだとばかり思っていたら、ここ(ロフト)の深夜というのは、その日の深夜のことであるらしい。呆れてそのまま帰宅。テンション無理矢理あげたので再度寝付くのに大努力 を要す。

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