裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

11日

木曜日

今日は帝劇、明日は兎唇

 だんだん洒落が非人道的になってくるな。ちなみに兎唇はミツクチと読むが、医学用語では“としん”らしい。兎唇環状線。朝7時半起床。4時ころ一度目を覚ましたときには凄まじい風と雨の音が響いていたが、7時台にはすでに台風一過のまぶしいまでの陽の光。朝食、トウモロコシとニンジンの蒸したの、冷コンソメ。K子にはパスタ炒め。ロッド・スタイガーが9日に死去とかや。巨体にどこか幼児的ダアダアな顔が乗っかっている俳優、という印象である。そのタイプの役の代表作は『ラブド・ワン』における、マザコンのエンバーマーの神経症的演技だろう。ハリウッド嫌いであまり映画に出ない俳優、というイメージだったが、出演歴を見るとそれどころか、つい最近まで、ほぼ一年一〜三作の割で出続けていたのであった。大スターにしちゃ仕事好きの方であろう。
http://www.fmstar.com/movie/r/r0035.html

 メールチェック。意外な人から。いや、その人からくること自体は意外ではないのであるが、現在、メールを出せる状況ではないはずと聞いていたので。で、その文面で、この日記をこれまた意外な人が読んでくださっていることを知る。このひろがりが実に面白い。テリー・天野氏からはSF大会で行く出雲あたりの観光名所情報が送 られる。

 風呂浴びて、今日じゅうには何としても立川流同人誌の原稿を片付けねばならぬ、と居間のビデオの前に座り、モバイルのワープロをパシャパシャ叩く。これで一時間半か、というくらい内容がギッシリ詰まっている。自分で司会していたものなのに、何度聞いても面白い。しかし、ああいう席の会話というのはとにかく話がアッチに飛びコッチに跳ねという具合であり、それを整理再構成するのが難しい。重要なポイントになる話題が複数平行で進んでいくようなこともあり、こういうのはまず、各エレメントに話を分解して、その上でひとつひとつを流れに沿って組み立て直さねばならない。

 実家の母からカレーと鯖の味噌煮が届く。それと、裏庭に生えてたというフキの煮物。一時はこのフキ、前庭にまで進出して、わが家の庭がとんとフキ畑のような様相を呈したこともあった。婆さんがせっせとこれを刈っちゃツクダニにして、弁当のおかずに入れてくれた。目の悪い婆さんのことで、よく見ると小さなカタツムリなどが一緒にツクダニになっていたが、まあ貝類だしいいだろう、と、中学生当時の私はそれもムシャムシャ食べてしまったものだった。・・・・・・わが家のフキが食べられるのもあとわずかである。昼はそのカレーをレトルトのご飯にかけて。家庭のカレーというもの、別に何の特徴もない黄色いドロリに過ぎないのだが、しみじみうまい。特に、冷えたルーをホカホカのご飯にかけて、ぐっちゃぐっちゃにかき混ぜて食べると、これがこの世で一番うまい食い物ではないかと思えるほど。不思議なもので、家にいたときにはカレーなんて食い物、バカにしていたのだが、年をとってくると、真っ先に思い出すのがカレーなのである。

 12時までに終わらせる予定であったが延びて、2時ギリギリにやっとラスト、キウイ(元)のお客さんへの弁明のところまで行く。なんと総字数2万7千200余字となる。400字詰め原稿用紙にして70枚近い。途中、談之助さんから安達Oさん(編集担当)と打ち合わせをしている、という連絡もあり、早く両者のところにメールしたいのだが、2時15分から時間割でササキバラゴウ、氷川竜介氏と待ち合わせており、その前、2時には東武ホテルで飯面雅子さんを拾わねばならない。飯面さんには“ちょっと”遅れる旨、電話して、とりあえずメールのみしてしまおうとしたのだが、モバイルワープロの通信機能が、なにしろ古いものなのでうまく動作しない。何回かフリーズして、キーッとヒステリーを起こす。モウどうにも仕方なくなって、放棄し、東武へ。飯面さん拾って時間割。氷川、ササキバラ両人に彼女を紹介。

 ササキバラさんのオタク史座談会本制作打ち合わせ。ササキバラさんらしく、オタク史をSF・少女まんがなど、いくつかの要素に分けて、それぞれのからみや反発などの部分、それに関わった人々のいた位地、というようなものを通してオタクの成り立ちを考証しようという企画書を出してくる。私の方からは、それにプラスして、技術革新史を入れた方がいいという意見を出す。ガリ版からボールペン原紙に“進化”しただけで、70年代の同人誌作りにとっては大きな革新だったのだ。やがてあのジアゾ液の臭いも懐かしい青焼きコピー機を経て、ヤマトブームのとき、東京では神田のグランデ、札幌では大通駅前のリーブルなにわに十円コピー機が出現、この出現によりヤマトのあの膨大な設定書を個人がコピーして所有することが可能になった。あのオタク原型像の必須アイテムであった肩掛けカバンの中には、この設定書のコピーと、スケッチブック(中には自作のヤマト改良案図など)が入っていた。今のオタク像定着には、ビデオデッキ、コピー機、パソコンなど、こういう周囲のツールの発展 という要素が必須としてあったのである。

 飯面さんはそもそもこの企画の詳しい内容を(私がめんどくさくてよく説明しないでしまったため)よく把握していなく、かなりとまどっていたようで、また彼女の暴走的思い出話にササキバラさんがあぐねていた気味もあったが、なにしろ氷川・ササキバラ・唐沢の三人でよってたかって本を作ると、アッタアッタ、ソウダソウダ、ソレハイイソレハイイという仲間内のノリで全部仕上がってしまうような気がする。今回、ちょっといたずらで彼女を入れてみたのは、少なくとも私にとってはいい刺激になった。次回はも少し具体的な打ち合わせをしよう。

 話はともかくトメドなく、アニドウ時代のこと、上映会文化(これもビデオ以前のオタク前史展望にかかせない)、ぴあ文化、そしてアートアニメと娯楽アニメが分離してきた時代、萩尾望都出現の衝撃(男オタクがヤマトの模写をスケッチブックに描いて持ち歩いていたのと同じ状況が女の子の間で萩尾もどきマンガであったとか)などなどが出てくる。飯面さん頭を抱えて、“ああ、私自分がオタクだなんて今の今まで思ってもいなかったのに、ハッキリオタクだとわかったわ”と言う。5時まで3時間ほぼノンストップでしゃべり、店を出るとすでに夕刻。

 家に帰り、いま一度ワープロ通信にかかる。これがダメだと、パソコンでもう一度一から原稿用紙70枚を打ち直す、という悪夢も頭に浮かんだが、なんとかいろいろ調整して送信に成功。とにもかくにも責めを果たした、とホッとする。後で安達O、談之助両氏から“面白かった”“切るのは惜しいから多少字を小さくしてもこのまま載せよう”と好評のレスが帰ってきて、ひと安心である。

 8時、夕食の用意。K子が“今日は何一つ買い物をせず、冷蔵庫の中の余り物だけで作れ”と厳命。のぞいて見ると、野菜はタマネギにナスが一ヶ、ピメント、長ネギにひねたようなダイコン少し。クレソン半把にジャガイモ(メイクイーン)。肉はこないだのツクネ鍋に使った鶏挽肉と豚ロース切り落としが半パック。それに切りアナゴ三分の一パックである。まずジャガイモを千六本にして水に浸し、同じく千六本にした茄子と、ざざっと一瞬炒めて濃縮中華スープをチャッとかけ、ややしんなりした段階で冷蔵庫に入れて冷やす。ジャガなますである。それからダイコンはネギのブツ切り、鶏挽肉と一緒に薄口醤油で煮て、最後に片栗粉でトロミをつける。タマネギは薄切りにして流水にさらしオニオンスライス、豚肉はピメントと一緒にニンニク塩でざっと炒めて。そしてクレソンのみじん切りをまぜ込んだパックご飯をわっぱに入れて、アナゴの切り身を乗せて蒸して、アナゴわっぱ。品数が多いがこれはどれも量が少量故である。ジャガなますとわっぱ飯は会心の出来。LDでウルトラセブン『勇気ある戦い』『セブン暗殺計画』。クレージーゴンの馬鹿馬鹿しさには本放映時から弟と二人、ひッくり返って大喜びしてしまったものであった。子供にもその設定の無理さがわかるからイイのである。スコッチウイスキー、ポーランドウォツカなどをチャ ンポンで三杯。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa