14日
日曜日
嘔吐三輪
初めて乗ったときに酔ってもどしちゃったなあ。朝、朝食のアナウンスで目を覚ます。声がかなりイカレているのはやはり、昨夜9時から朝の3時までひっきりなしにマイク握っていたせいか。しかしまあ、いい気分である。朝食の部屋は昨日の夕食と同じ広間だが、さすがに出てくる人は少なく、ガランとした感じ。偶然睦月さんの隣になれた。固形燃料のコンロで焼く目玉焼きとハム、がんもどきの煮付け、味付け海苔に冷や奴、シジミの味噌汁というシンプルな朝食。一回おかわり。
荷造りして、ロビーでドリンク剤など飲みながらおしゃべり。あやさんとK子は、昨夜の夕食がどうも、玉泉と松の湯でかなりの格差があったらしい、ということで、イキドオッているというか盛り上がっている。Oさんによると、玉泉という旅館は出雲では別格の高級宿で、本来SF大会ゴトキでオタクがウロチョロするような場所ではないらしい。そこが会場になってくれたというのも不況の時代なればこそ、であるが、やはりそこは高級旅館の底力で、夕食なども、肉料理がしゃぶしゃぶとステーキの二つがつくという豪華版(こちらはしゃぶしゃぶのみ)であり、デザートはメロンであったらしい(こちらはスイカ)。いや、たとえステーキやメロンがついたとはいえ、団体客の料理の味など知れたものではあろうが、問題は、そっちとこっちの値段が同じ、ということなのである。見方を変えれば、松の湯参加客が、玉泉のメシ代の幾ばくかを持った、ということになるわけである。
K子は玉泉の企画に出たメンツをとっつかまえてはメニューの確認をし、あやさんは“これはSFの陰謀よッ!”と声をあげている。“そうだよォ、そう言えばこっち(松の湯)の企画は怪獣だとかアニメ、トンデモ、悪趣味と、傍流のものばかりじゃない! SF本流とか言ってる連中が傍流を下に見て、サクシュしたんだよッ!”と女闘志ぶりを発揮。だんだんこっちもソウダソウダという気になってくる。“各階の廊下に修学旅行の引率みたいに、夜っぴてスタッフがハリついていたのも、傍流が本流の方に夜這いをかけて、エスエフの純血を汚さないためだったのかもね”と言うと“ゼッタイそうだよ! エスエフ女のマンコを怪獣やトンデモのチンコに陵辱させないための見張りなんだわッ!”とエスカレート。K子と声を合わせて糾弾を叫ぶ。
私自身はまさかそんな陰謀ごとがあったとは思わないが、しかし去年の千葉大会でもアニメ・怪獣系の企画(“トゥーン大好き!”や怪獣酒場)は会議室を使わせてもらえず、大広間への入れ込みであったり、唯一ホールを使ったトンデモ本大賞(しかも第十回記念の回)の時間が大幅に短縮されたり、いわゆるエンタテインメント系の企画が、どうも軽く扱われている感はあった。“客を楽しませる企画”より“学術的ぽい企画”、もしくは“問題意識を持っている(ように見える)企画”の方が優遇されている、というイメージは、エンタメ系ゲストの誰にも薄々はあったのではあるまいか。ちょうどこれは、今のSF出版業界において、ライトノベル系の作家が、売り上げでSF出版社を支えているにも関わらず、位地において本格SF作家の下に置かれる、という関係とパラレルである。私は梅原克文氏のように、ブンガク的SFよりエンタテインメントSFの方が上だ、と主張はしない。ただ、どちらもジャンルの隆盛には不可欠なものであり、昨今のSFがまだ“これは本当のSFではない”などという愚劣な定義を敷いて作品評価をしている傾向にあることには大いなる不満、というよりはそういう言を弄する連中への軽蔑を常に持っていた。
私はもちろん、当初からそういう扱いは承知の上である。むしろ、かなり閉鎖性に富んだ(こういう言い方があるかどうか知らないが)イベントであるSF大会で、そういう扱いを受けることは逆に名誉だろう、と思っている。変なプライドにこだわらず、徹底して客にサービスをつくすことこそプロの楽しみであるべきで、扱いがどうのこうの、などとは口にすべきことではない、と、若い連中にも話してきた。とはいえ、それは参加費その他基本的なことでは、本流も傍流も同じ扱い、という基本線に立った上でのことである。もし、本当に同じ料金で食事などのサービスに差別があったというなら、これは別問題だ。ちょっとこの件に関しては主催者に糺してみたいと思う。
とまれ、現実問題として、私のSF大会への参加は、基本的には今回の出雲大会が最後になりそうである。後は、行き帰りに便利な都市型大会で、トンデモ本大賞などの企画に飛び込みで参加(皆神龍太郎氏がよくやっているやり方)する、というだけになるだろう。これは、今回の大会がどうのこうの、ということとは関係ない。むしろ、昨日の日記にも記した通り、仲間との飲み会も、ぶっ続けのトークも非常に楽しく行えたし、美人女将(企画中、ずっとカーテンの後ろからトンデモ本大賞を観ていてくれたそうな)とも話せたし、所期の目的に関しては(いや、別に女将は目的じゃないが)まず、満足のいく結果を出せたと思っている。これを花道に、この十年間のSF大会“唐沢縛り”(毎回の実行委員会で言われていたという言葉で、企画のタイムテーブルを作るとき、私の企画同士がカチ合わないように時間配置をするのが大苦労であるということらしい)状態から卒業したいと思うわけである。
もともと、私が初めてSF大会にゲストとして招かれたのは、1991年の金沢大会(i−con)であった。オールタイムのモノカキになって4年目のことで、やっと自分も文筆業として認められる存在になった、と、非常にうれしかったのを覚えている。ただ、やはり新米ゲストで、誰もまだ私の顔を知る人とてなく、少々肩身の狭い思いをした。これではせっかくゲストになっても面白くない。もともと芸能プロダクション出身のイベント野郎である。よし、ではこっちのプロとしての腕を使って、SF大会を乗っ取ってやるべし、と密かに決意した。で、その翌年の横浜大会から、立川談之助、快楽亭ブラック、大恐慌劇団という連中を集めてSF寄席をやり、潮健児さんに地獄大使ショーをやってもらい、徹底して企画をぶっつけた。もちろん、自分でもトークをどんどんやったが、基本的には“SFにあまり関係のない”企画ばかりであったのは、SFを楽しんでいるのじゃない、SFを楽しませてやってるんだ、という傍流なりの皮肉をこめて、という意味があったろう。この企画のアバランチ状態は1997年の広島大会(あきこん)あたりがピークで、悪趣味映画の部屋に来た観客に“そう言えば今回のSF大会、カラサワさんの企画ばかりを追っていて、とうとうまっとうなエスエフの企画にはひとつも出ませんでした”と言われたところで、私の中の思いは達成された気になった。いつしか私の中で、“十年間はSF大会に出続けよう、大会の裏の顔としてひっかき回してやろう”という、漠然とした目標が立てられていたようだ。本格的参加の92年から、唯一不参加だった94年の沖縄大会(RYUCON)を除けば、今年のゆ〜こんがちょうど十年目のSF大会になる。ここらで、私のSF大会に込めた青春(ずいぶんトウのたった青春だったが)の思い出には、一回、ケリをつけておいた方がいいようである。
タクシーを呼んでもらって、玉造温泉駅にK子、睦月さんと。昨日の雨が嘘のように晴れ上がり、あちこちでセミが鳴き、山の緑は映え、はるかに海は光り、睦月さんがいみじくも“夏休みの旅行みたいだ”と表現した通りの雰囲気。先にOくんの車で出た開田さんたち夫婦は道に迷ったとかで遅れてくる。Oくんはそこで開田さんたちを下ろし、電車で出雲市に行く我々に現地で落ち合うべく、また車中の人となる。K子は糾弾は一時タナあげにして、と学会やおい本の第二弾の計画を立てている。藤倉珊さんの部屋に会誌の件で訪ねていったとき、ドアホンを鳴らしたらしばしの間があり、藤倉さんが出てきた後ろで浴衣姿の山本会長がその前をパタパタあわせていたそうで、“スゴいものを目撃しちゃったのよ〜!”とキャーキャー言っている。こっちも“ツッコミは本にだけかと思ったら”と悪ノリ。冬コミの目玉か。
電車の中での会話もはずんで、何か自分でも妙にウキウキしているのがわかる。出雲に到着、Oくんとも無事落ち合って、出雲大社へ。睦月さんは念願かなっての参詣でうれしそう。年輩のタクシー運転手が“東京からですか、こんな田舎へようこそ”と言う。これはホテルから乗った運転手さんも言った。住人承認の大田舎であるらしい。しかし出雲大社はさすがに荘厳で神さびて、なかなかのものであった。あちこちにある巨大な神像は、なんか雪祭りみたいだったが。日曜なので人出も多い。暑いのでTシャツの裾をまくりあげ、腹を出して参拝しているおっさんもいる。タンクトップ姿の若い女性たちも、わけのわからぬまま賽銭を上げて拝んでいる。バチカンは肩出しが禁止だったが、それくらいは出雲大社もしていいと思う。彰古館というのがあり、これは出雲大社関係の資料展示館だが、一階は小樽のコレクターから寄贈されたという、恵比須さまの像の展示がされている。運慶だの左甚五郎だのの作、とかいうのがあって、開田さんたちと笑うが、“昭和左甚五郎”という人の作のものがあり、これがまことにもってキッチュでフリーキーな恵比須像であり、ちょっと忘れられない印象を残す。あと、絵馬の文句をあやさんが読んではゲラゲラ笑っていた。出雲だけに縁結びのものが多いが、中に“ベストセラー祈願”というのがあり、オヤ、作家さんが来てるよ、と思って名前を観たらと学会仲間の横山信義さんだった。開田さんが大喜びして写真を撮っていた。
その後、腹が減ったとブーたれるK子をOくんがなだめつつ、出雲そばの店へ。ここは次点の店だそうで、それまでOくんは“いや、ここだったらという自信の店があります。あそこなら、いくらK子先生がうるさい人でも、ぜったい満足してもらえる筈です”と自信まんまんだったのが、なんと、ホンの数日前に、主人が老齢になったという理由でその店が看板を下ろしてしまったという。Oくん、ハタで見てもおかしいほどうろたえて、次点の店でどうかなあどうかなあ、と、不安を持って案内してくれたらしい。しかし、割子そばはいかにも出雲らしく黒く、のどごしがよく、香りも芳醇で、これは流石に松平不昧公の賞味したソバ、という出来。アゴの蒲鉾も魚の身がミッチリ詰まっている、という感じでビールにあい、K子の額の筋がスーッと消えて、Oくん、マジにホウッ、と息をついていた。お礼にコミケで上京の際は幸永の焼肉食べさせてあげるからね、と約す。店のおばさんから出雲ぶどうの差し入れ。懐かしいデラウェア(子供のとき、毎年山ほど食べていた)に満腹。
それからまた出雲市に戻り、喫茶店で雑談、そこで太田出版のHさんとバッタリ。空港までのバスの中で来年の大賞授賞式のことをまた話し、いろんな人物月旦。大笑いの連続。Hさん、やはりと学会年鑑では授賞式の採録の評判がいいので、あれはベストメンバーでやりたい、という。鶴岡は原稿はダメだが、トークの席にあれを入れてカラサワさんとからませると、そこに不思議なケミカルリアクションが生まれて、一気に座談会のパースペクティブが広がるので、彼は是非、入れたいとのこと。そう言えば去年の授賞式、壇上で志水さんのシリアリちゃんの話からダッチワイフばなしになり、鶴岡が日本で唯一という輸入もののデブダッチワイフを買う、とか言うので私が“それをゆ〜こんの浴場に浮かべておこう”と提案した。今回、来てくれた観客が鶴岡さんは今年どうしたんですか、来てないんですか、と言うのでドタキャンらしい、と教えると、“え〜、あのダッチワイフを唯一の楽しみに今回参加したのに!”と天を仰いで嘆いていた。ここまでいくと少し、私のSF大会悪趣味感化も行き過ぎのケがある。空港でも授賞式話続き。大会参加者で私に挨拶してくる人にK子、片っ端から
「どっちの宿泊まったの? 食事は?」
と尋問している。
帰りの飛行機の中でやっと疲れが出て、ガックリと落ちる。K子はUA!新刊の原稿チェックをしている。目が覚めると羽田。モノレールでさらにHさんと授賞式の話ツメ。浜松町でKさん、Hさんなどみんなと別れて、タクシーで帰宅。溜まったメールなどチェック。8時に名前も出たし、早くコミケ打ち上げを予約しておこうと幸永へ。時間が時間だったのでズラリ並んでおり、ちょっとヘキエキしたが、案外サクサク進み、30分ほどで座れる。奥の座敷にGHOSTさん一行がいた。鶴岡がSF大会連絡ナシのドタキャンだったことを伝え、注意しておくように、と言う。師匠から言ってくださいよ、と言われたが、最近あいつは志加吾と完全にツルんでいて、こっちにはハナもひっかけない。弟子に師匠が破門されたみたいな状態である。例によってのメニュー。いつも私たちによくしてくれる韓国風美人のお姉さん、教は鼻と頬、それに腕に青アザ。自転車で転びでもしたか、カレシに殴られたか。少し疲れた胃に極ホルモンの脂がこたえたが、別に胃もたれもせず、ホッピー3バイやって10時半帰宅、バッタリ。