5日
金曜日
メニエールても痛くない
ちょっと苦しい(いや、病気がじゃなくてシャレが)。朝8時起床。長い々々夢を見たが忘れた。寝床で資料に用いている昭和45年(1970年)発行の本を読んでいたら、マイナスイオンに関しての記述があり、“プラス・イオンを多く呼吸すると不快感が強くなり、扁桃痛や呼吸困難が起こることもあります。人混みの中でのこういう状態はマイナス・イオンの多いためです。反対にマイナス・イオンが多いと、快適な気分になります。このイオンも作用がどうして起こるかはよくわかりませんが、プラス・イオンは、身体の組織の中に刺激的なセロトニンという物質の生成をうながし、マイナス・イオンはそれを酸化消滅させるから、快・不快を生ずるとされています”とあった。文章がヘタで意味がよく取れないところがあるが、マイナスイオンについては最近出始めたトンデモだと思い込んでいたので、もう三十年も前からこういうことが言われていたのか、と、ちょっと驚いた。
朝食、私はいつもの。K子にはニラとほうれん草入りのかき卵。果物はスイカ。冷たさが歯に染み通る。パンチョ伊東氏死去の報。棺の中をのぞきこんで髪の毛を引っ張ってみたい、という裏モノは多かろうなあ。パンチョという名は当然パンチョ・ビラから来ていると思われるが、あのメキシコ革命の英雄は本当にデブだったんだろうかな。デブでヒゲのパンチョはウォレス・ビアリーの『奇傑パンチョ』(1937)が定着させたイメージだが、古すぎてこれがストレートに日本人のパンチョイメージだとは考えにくい。ペキンパー脚本の『戦うパンチョ・ビラ』ではユル・ブリンナーが痩せたパンチョを演じていたし。だいたい、メキシコではパンチョというと口ヒゲがシンボルらしいが、伊東氏にはヒゲがなかった。ヒゲ+デブで日本で有名だったのは、『ピンキーとキラーズ』のパンチョ加賀美氏か? そう言えば、日活無国籍アクションの極致とも言うべき宍戸錠主演『メキシコ無宿』では藤村有弘がデブ・ヒゲ完備で中国系メキシコ人(凄い設定)の殺し屋を演じていたが、この役名がもう、当然という感じでパンチョ・サンチェスであった。
メールチェック、“バセドウ病患者です”というタイトルのが来ていたのでちょっとビクつく。一昨日のタイトルがバセドウネタで、ひとの苦しんでいる病気を茶化すとは何事だ! という糾弾メールかと思い、読んでみたら“私も自分の病気に関してはいろいろダジャレを考えたんですが、全然面白くないのであきらめていました。あの日記タイトルは流石です”というシャレのわかるメールだったのでホッとする。自分の病気のダジャレを作りたい、という気持ちはよくわかる。私も自分のポリオではポリオ由美とか、ポリオご覧と指さす方に、とか、いろいろ作ってみたものだ。と、言うか、作りたくならない方がおかしいと思うが。
7月になったのでそろそろ歯石取りに歯医者へ行かねばならぬ、のだが、どうも来週は予定がほぼ全日入っていて行けそうにない。歯の関係のサイトをいくつか見てたら、歯周病の新治療法として“エムドゲイン”なるもの(歯周組織再生誘導剤)が紹介されていた。つい、“エドゲイン”と読んで、なるほど、殺した人間から健康な歯を抜きとって……とか想像してしまう。
ポツポツと抜き書きをしていた『紫扇まくあいばなし』『秀十郎夜話』『舞台観察手引草』等、歌舞伎関連本、どこかで時間作ってまとめて読みすることにする。どれも読んで極めて面白いのは、こういう芸談の受け継がれ方及び発展のパターンが、歌舞伎を知らない人には意外なことだろうが、実は伝統というレールに沿って、いかに現代のセンスにそれを無理せず沿わせるか、が主眼だということだ。そして、どの芸談も、無茶苦茶に具体的で観念論に陥っていない(当たり前で、観念で芝居は出来ない)。『紫扇……』で権十郎が浪人の歩き方を映画出身の丹波哲郎に伝授するあたりがその骨頂だろう。骨頂すぎてよくわからないかもしれないがわかる奴にはわかる。江戸時代から綿々と受けつがれてきたこれらの“芸”の伝承の本質は、基本的なところで“型”を主眼としつつ、どう時代(と、大衆の嗜好)の変遷にあわせていくのかということ、つまり伝統芸というものがいかに常時現代にあわせ活性化していないとダメなものか、ということに関わってくる。これらは歌舞伎よりむしろ落語の芸談の方にわかりやすいものが揃っているかもしれない。コジェーヴあたりの、ロクに知りもせずにこういう伝統芸能を形式第一主義と見て、歴史の終わりの日本的スノッブ、と言い切った半可通をウのみにし、それを下敷に動物化論を唱えている東浩紀氏に、 一度落語とかについてみっちり語ってやりたい気がする。
だいたい、どんなエラい学者だろうと外国人が日本を論ずると(もちろん、日本人が外国を論じても)トンデモに近いコジツケになりがちなことは、ロラン・バルトの『表徴の帝国』などの頓珍漢ぶりを読めばよくわかる。著者曰く、“スキヤキは出てきたときには一幅の絵画であり、肉を食べたり、葱を食べたり、白滝を食べたり、人はそれを自由な順序で食べる。いわば日本人は同じ鍋からスキヤキを食べながら、各人が別個の料理を創造しているのだ”……んなわけはない、みんなフツー肉から食べるよ! と誰かバルト先生に教えてやらなかったのか。牛肉はあまり煮すぎない方がうまいから先に食べる。しかし葱や白滝はよく煮て、味が染みないと食ってもうまくもなんともない(味のついてない白滝が好き、とかいう特殊嗜好の人を除く)。肉から食うのは中心性文化の表れでも何でもない、合理的帰結だ。スキヤキ(に限らず日本文化)に対し、何か俯瞰した立場から評論してやろうという傲慢態度でなく、色眼鏡をかけないきちんとした知識をまず謙虚に吸収しようという態度さえあれば、こういうバカを書かないですむのだが。いや、もっとバカなのはこういう記述をありがたがって読んでいる学問オタクの方か。ことはアニメでもゲームでも同じなのである。
昼は青山まで出る。昨日以上にアツい。トンカツ専門店・志味津でカツ重。植木不等式氏がベトナムでネズミとネコの肉をご飯に乗っけて“トムとジェリー丼”とやった、という話があるが、ネコ肉のカツを“トムカツ”と名付けて売ればそれほど抵抗なく受け入れられるのではないか、とかいろいろ考える。つくづく大したことを考えぬ男である。それからナチュラルハウスとazumaで買い物。荷物増えたのでタクシーで帰るが、運転手さんのプロフィールが車内に貼りだしてあり、“趣味・楽器、 推理小説”などとある。雑談の接ぎ穂にしなさい、と言うことか。
帰宅して、講談社との打ち合わせに使う資料を書いていたら、テレビ東京から電話あり、明日土曜の取材撮りだが、日を月曜に変えてもらいたいという。今日の撮影に何かアクシデントがあったらしい。月曜は打ち合わせが二つもつまっており、これに撮影が入ると原稿が書けなくなる。日曜か火曜ならいいですがと答えるが、日曜はスタッフがおらず、火曜では編集が間に合わないらしい。電話で応対した子では手におえず、こないだのディレクター氏が出てくるが、月曜はダメ、というこちらの口調にかなりの不機嫌を察知したらしい。では十分後にご連絡します、というが、もうこちらは出かけなくてはいけない時間である。“もう出てしまいます!”とさらに不機嫌な口調で言うと、“……わかりました、明日、時間通りにうかがいます”と返事。来られるんならハナから来い、と毒づくが、結局、このしわ寄せは誰か別の、気の弱い奴におっかぶせられるのだろう。つくづく、テレビとの仕事は神経をスリ減らす。それでも引き受けざるを得ないのが情けない。
5時、時間割にて講談社Yくん。ドタバタで企画書を持ってこられなかったので、だいたいのところを口で説明。大筋OKを取る。品田冬樹さんのフィギュアの件の了承もとったので、それを新連載開始の予告編みたいにしよう、と話し合う。東中野近辺の変なペットショップの話とかをYくん、熱を入れて。ホントウにこの人、動物が好きなんだな。帰宅すると今度はダ・ヴィンチから電話。インタビュー、最初は時間割で、と言ったのだが、写真撮影のこともあるので、東武ホテルの会議室を予約しておきましたから、とのこと。さすがリクルート、金を自在に使うことである。
夕食の準備にかかり、9時、K子と食事。今週は家で食べるというのがテーマなのである。つくね鍋、キュウリの酢の物、イワシのパン粉焼き。つくね鍋は鶏挽肉に卵と薄力粉、ネギみじん切り、それと隠し味にミソを少々混ぜ、練って昆布だしをとった鍋の中にスプーンですくって落とす。他に具は干し椎茸、ニラ、豆もやし、クズキリ。カストリ焼酎飲みながらLDでウルトラマンとウルトラセブン。画質チェックのために見たのだが、やはり不満のあるレベル。DVD買うことになるのか。