13日
土曜日
タイ人恐怖症
怖いよう、あいつらがウルトラマンを持ってっちゃうよう。朝6時に起床、朝食はこういうときには通例サンドイッチなどですますのだが、朝もそもそと食す冷えたサンドイッチくらいむなしいものはないので、きちんと朝食。私はスモークトへリングの缶詰を開けて、それとトースト、クレソンの温サラダ(ノードレッシング)。風呂入って、用意したビデオ、着替え類をカバンに詰め、生ゴミ類を出し、タクシーで羽田まで。高速を使わず下を通っていく。下目黒のあたりを通って四方を眺めると、私の中の、銀座とか青山だとか以外の、いわゆる一般的な東京の街、というイメージの原型はここらへんか、と思う。モダンなるドロ臭さというか、金沢や京都の町並みのような歴史的重みを、一切持たない故の効率性というか。
待ち合わせの噴水前に行くとすでに同行の睦月さん、開田さん夫妻が揃っている。出発までかなり時間があるので、喫茶店でも、と思ったが土曜で、どこもかなりの混み様。もう入ってしまおうと待合室に通る。K子が小腹が空いたというので、立ち食いのキツネうどんを一杯、二人で分けて啜る。何故かここに来るとキツネうどんを啜りたくなる。雑談盛り上がるうち、三々五々、知った顔が見えはじめる。藤倉珊、K藤氏、K林氏などのと学会関係、夢枕獏、大森望、米沢嘉博など著名人、あと毎年のSF大会で必ず見かける顔、というか体型と服装の人々。コミケにもそういうタイプの人がいるが、SF大会は年齢層が高いぶん、集まると何とも言えない停滞感が漂いはじめる。負のオーラというかなんというか。これは外部からはよく指摘されることであり、それをいわゆる閉鎖的オタクの問題点とする紋切り型兼短絡的な視点はとるに足らぬとはいえ、内部の人間がそれにまったく問題意識を持たないのも考えものである。そろそろSF大会に、35越えたオタクのためのファッション講座を開いてもいい頃合いだ。一人、黒いノースリーブにサングラス姿の、スレンダーな女性(非・関係者)がやってきたのを見て、私とあやさんが同時に“あ、美女!”と叫ぶ。別段取り立てて美人というわけではないが、この集団にまじるとまるでトレンディ女優に見えちまうのである。鳥なき里のコウモリ、盲の国のメッカチ。
飛行機は定時(10時55分)発。出雲行きの飛行機というのはそんなに多くないので、果然、機はSF大会御用機の様相を呈する。ここでこの機が落ちたら日本SF界の勢力分布はかなり変化するであろう。機内で少し寝る。目が覚めたら外はかなり荒れている。なんでも出雲空港が着陸できないほどの大雨に見舞われ、現在上空で待機中という。メンドクサイ、このまま引っ返すのもよし、という気になる。しかし数分後、無事着陸。窓から見ると、まるきり田んぼの真ん中にある飛行場である。農家の建物など、敷地内にあるんじゃないかというくらいである。“あそこの農家の人たちがアルバイトで整備とか管制とかやってるんじゃないか”と開田さんが言う。“半農半航空官ですか”と私。空港には開田さんのお弟子さんのOさんが出迎え。口ひげを生やして陽に焼けていたので、アラブからの出稼ぎ労働者のように見える。スコール一過のまぶしい日差しがギラリと照りつけ、暑い! とエクスクラメーションマークをつけたくなる気温。湿度もまるで海水浴場なみである。開田さんたちはOさんの車で先に会場へと向かい、我々は旅館の送迎バスで玉造温泉の旅館玉泉まで。バス内で恒例の時間新聞が回ってくる。“機内で見かけた有名人”というリストの末席に私もいた。
玉泉でゲスト受付をすませる。われわれはここから歩いて五分ほど(と、聞いたが実際はもっとかかる)の松の湯というところが宿泊所&企画場所であるらしい。先行販売のためにここに搬送されている『と学会会誌10周年記念号』をそこで合流したS氏、H氏、K谷氏など、と学会メンバーと眺める。例年のほぼ倍のページ数と初のカラー表紙、装丁もプロの平塚くんなら校正もプロの編集(扶桑社のOくん)をK子がオドしてやらせたもの、なかなかの出来に一同感心。早速そこで近辺の人たちにこっそり即売を開始する。物販はディーラーズルーム以外では禁止なんだろうが、みんな“燗がつく間のちっとが待てねえ”という感じで争って買ってくれ、段ボール二箱のうち、ひと箱が半分くらいになった。さてあるべきでもないとはいえ、まだチェックイン時刻前なので、しばらくぼんやりと待っていたが、いいかげん待ちあぐね、携帯で先に行っている開田さんを呼び出し、みんなで荷物かついで、雨でかなり濁った川の流れる温泉街を松の湯に行く。この決断は成功だった。ついたとたん、という感じでドーッという大雨、おまけに雷。雨足が一メートルもハネ上がろうかという豪雨になった。
チェックインして、部屋を確認。最初は二人部屋を頼んだがなにしろ人数がいっぱいで、開田夫妻と同室をお願いするFAXが来た。ところが飛行場で確認してみると予約の部屋が異なっている。われわれの部屋は6人部屋だという。K子が玉泉の受付で“どうなっているのか”と談判、それは松の湯のフロントで訊いてくださいと言われてこっちに来て訊いたら玉泉での受付でないとわからない、と言われ、K子の額にジュンサイほどの青筋がビッ、と立つ。あやさんやと学会のメンバー(もちろん、私も)がそれを目にしたとたん、全員サッ、と一歩後ろに退いたのが、逸れ弾防止、という感じでやたら可笑しかった。こういう場合、普通の人間なら声の調子が一段上がるところを、彼女の場合、スッと下がるのがなお恐ろしく、あやさんが開田さんにすがって“怖いよー”と言っていた。ゲスト担当の実行委員も青くなって携帯に電話。なんとかこの6人部屋はわれわれ二人のみ、ということがわかってアラミタマさまのお怒りも静まり、めでたしめでたし。どうやら直前のキャンセルなども重なり、部屋には余裕が出来たらしい。藤倉珊さんは鶴岡法斎と同室の予定だったが、変更になって山本会長と同室になる。窓口で藤倉さんが聞いたところによると、鶴岡はゲスト参加を表明していながら、キャンセルとも不参加とも何にも連絡がなく(彼のサイトの掲示板に確かちょっと前“行けない”という書き込みがあったが)、実行委員会の方で心配していたとか。常識のない奴である。
チェックインにはまだ間があるが、外の雨足、多少弱まったもののまだ凄まじい。ホテル内の食堂でメシを食おうと思ったらなんと6時まで休み。腹も減り、エエイと傘をさして、ホテルむかいの健康ランド『ゆ〜ゆ』なるところまでみんなで行く。そこの飲食店で、ビールと食事。四人掛けの席にK子、睦月さん、太田出版Hさんと一緒になって、とりあえず乾杯。K子が出雲なんだから、と割子そばを取ったがこれは失敗。干しソバをもどした後で三日ほど流しのすみにうっちゃっておきました、というようなものが出て、K子、見ただけですぐ、“おいしいオソバよ”と別のテーブルのみんなのところに持っていってしまった。ひどい。睦月さんと生ジョッキのあと、いかにも土地の酒という感じのヤマタノオロチなる地酒、これがちょっと甘口というので、辛口の七冠馬というのもとり、そのとき間違えてまたヤマタノオロチも持ってきてしまったのでこれも回りにおすそわけして、かなり飲む。肴は枝豆にマグロの味噌たたき、ゲソフライなどという下世話なものだが、こういう場所で昼間からのむ酒というのは何となく楽しく、ちょっとウキウキしてくるのは、我ながら飲んべえの証拠である。
太田のHさんはと学会年鑑の巻末恒例の大賞授賞式レポート作成のために、わざわざ大会参加して今回出張である。都市型ならばプレスでスッと入って取材して帰ることが出来るが、こういうリゾート型の場合は不便きわまりない。おまけに今回は遠隔地開催のため、と学会のレギュラーも欠席が多く、壇上にあがれるのが私と会長、藤倉さんの三人しかいない。それだと採録が寂しくなりますねえ、というので、急遽、開田さんにお願いして登壇してもらうことに。開田さんの怪獣酒場とは企画時間がカブっているのだが、どうせ前半はビデオ上映だけだから、と引き受けてくれる。
それはそれでなんとかカタチがついたが、来年もSF大会は合宿型、それも栃木のニュー塩原である。7月はお盆進行もあり、コミケ進行も重なり、モノカキにとっては修羅場なので、K子と、来年は悪いがパスしようと話し合っていた。Hさんもあぐねていたようなので、ちょっと前から考えていた件を提案してみると、“あ、カラサワさんもそう考えていらっしゃったんですか?”と身を乗り出してきた。K子はすぐその気になっていろいろ具体的なことを話し出す。まあ、会長と藤倉さんの意向次第だけど、とちょっと秘密の相談をコソコソ。こういう相談で気分が高揚してくるのはイベント人種のサガのようなもの。
時間になったし、雨も止んだようなので松の湯に帰り、部屋に入ってしばらく寝転がって休息。6時半、夕食。社員旅行を規模を十倍くらいにした数のお膳が大広間四つをブチ抜きにした超大広間に並び、その膳の上せましと料理が並べられている。固形燃料使った鍋でしゃぶしゃぶ、それからナスと魚のなんだかわからぬべとっとした揚げ物、茶碗蒸し、煮物、ズワイガニ、焼き魚など。SF大会屈指の美食を用意したというフレコミであって、なるほど、あちこちで“凄い”“うまい”という声があがる。これで感服するという一事でSFという人種の舌の程度がわかるが(或いはこれまでの合宿型大会の料理の質がわかるが)、それにしてもよく、これだけの人数分を揃えたものだと、そこに驚愕。日本高度経済成長期の集団旅行システムのノウハウはまだ生きているな、という感じ。ただし、仲居さん、これは出雲地方の気質なのかも知れないが、やたらなれなれしく“そこのお皿、どかして頂戴”などとタメ口聞かれるのに驚いた。しかも酒(ビールは一人一本宛つくが)が追加の場合一合650円、ウーロン茶小カン一本350円という値段には腰を抜かした。旧知のIくんから彼が編集したムックを恵贈される。山本会長や藤倉さんも回りに集まってきて、いろいろ企画の相談、また雑談。ここは旅館形式の気安さ。会長に“今回は奥さんや娘さんは連れてこなかったんですか?”と訊くと、“さすがに山陰には連れてこられない”。別に危険なワケじゃないんだから。“いえ、実は肩を脱臼したんです”“そりゃ危ないですね、交通事故かなんかですか?”“電車に乗って吊革につかまってたら肩がはずれたんです”・・・・・・安っぽいガシャポンのフィギュアみたいな壊れ安さだ。
8時半ころ、トンデモ本大賞授賞式会場に出向く。すでに物販始まっており、と学会会誌、扇子、マグカップ等のグッズが飛ぶように売れている。開田さんのところの同人誌、睦月さんの官能倶楽部も同時販売。永瀬さんから依頼のあったデジモン同人誌も無事、見本誌を委託されて閲覧する。Hさん、会長と藤倉さんに来年のトンデモ本大賞について、さっきの話を持ちかける。案外簡単に、というか、むしろ積極的に会長と元・副会長の賛同を得られた。会長も“栃木は関西から遠い!”と困っていたようである。これに力を得て、Hさんと企画をちょっとツメる。
第十一回トンデモ本大賞授賞式、会場は満員で例年の如し、であったが、やはりなにぶん壇上のメンバーが少なかったので、盛り上がりにはイマイチ欠けた。会長の説明に、藤倉さん開田さんと共にコメント入れるのだが録音されていることもあって、トークの部分では引っ張っていかねば、とガンバリを入れる。会場の参加者さんからスコッチウイスキーの絶品の差し入れがあり、それを壇上でチビチビやりながら(まるでディーン・マーチンみたいだ)、酒の勢いも借りて、日木流奈ばなしや空想科学読本ばなしもやり、
「Jリーグがらみでもっとトンデモ本が出てほしかった」
と談之助さんのサッカー陰謀論を紹介する。これは大ウケ。終わってややバテた。詳細は『と学会年鑑2003』を参照していただきたいが、結果のみ記すとトンデモ本大賞は天野仁『忍者のラビリンス』(創土社)。内容といい文章といい、近年のトンデモ本大賞中、最もトンデモ本らしい受賞作と言えるだろう。日向さんからは“盛り上げてくださって”と感謝された。サインを求めてきた女性あり、見るとこの旅館の制服を着ている。“従業員の方ですか?”と訊いたら、なんとこの松の湯の若女将なのだそうだ。美人女将で、テレビに出れば人気者になれそうだ。私のファンで、本はほとんど揃えているとのこと、大恐縮。
せっかく美人女将と知り合えたのだからゆっくりお話もしたかったのだがそうもいかぬゲストの悲しさ。すぐ、会場を移して『怪獣酒場』。開田さんがと学会に出演してくれたお礼も兼ねて飛び入りする。開田さんの“杉浦太陽釈放記者会見”取材ビデオ上映。ウラばなしいろいろ。私が続いて、“円谷プロケチのつきはじめ記念作品”『ジャンボーグA対ジャイアント』のビデオ上映&トーク。それを終えてすぐ、またまた会場を移動して、『悪趣味の部屋』。30人ほどの観客相手に睦月さんK子の三人で、奇形児ビデオ、佐川くんビデオなどを上映しながらトークする。睦月さんSFファンの純真な青少年(のトウのたったの)たちに、“だいたい、女のホールすら見たこともないくせにブラックホールがどうこうと騒ぐんじゃない!”とケンペモードで説教。テンションが上がっていたので疲れはそんなに感じなかったが、明日がつらいだろう。3時に終了、このままだと眠れないので缶ビール買って部屋で飲み、『と学会誌』読みながら4時近くに就寝。