裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

3日

水曜日

バセドウとは死ぬこととみつけたり

 それほどの病気じゃない。“バセドウ氏理作”というのも考えた。そういえば切通氏は入院したとこないだ聞いたが、何の病気だろうか。朝からじめじめ。梅雨はまだ折り返し点くらいなのだそうだ。昨日、テレビでもラジオでも言っていた。7月20日くらいが平均的梅雨あけだそうである。6月が梅雨、というイメージがあるために毎年梅雨を体験しながらつい、7月に入ればすぐにでも梅雨あけするもんだと思いこんでいた。ところで、今日は中休みか雨は降ってないが、そのせいか久しぶりに長い夢を見た。オーストリアで煙突のことを(煙突掃除人とかでなく、煙突そのものである)ドラマ仕立てにした番組を作って、その主人公の俳優が自殺してしまうのだが、それで逆にそのドラマが話題になって大ヒットするというもの。夢の中ではずっと、オーストリアはオーストラリアの属国となっている。そのことを私も疑いもしないのである。夢とはいえ自分の脳内にある知識とか情報で構成されているわけで、それが通用しなくなるというのはどういうわけなのだろう。

 朝食、トウモロコシにサツマイモ、黄ニラスープと変わり映えなし。K子にはまたYくん家のパン。モーニングショーは杉浦太陽釈放と和泉元彌ダブルブッキングという、どちらも狂言のお話。杉浦太陽に関しては裏情報が凄まじい流れ方であったために、今回の釈放で素直に解決してよかったとはちょっと思えないというのが正直なところ。太陽くんは無実です、とあちこちに書き散らしていた太陽デンパ母さんたちの行動はたとえ杉浦太陽が無実だとしても困ったものであったことには変わりない。しかし、私はこの母親たちが、周囲の白い眼もかまわず暴走し、熱狂し、たぶん彼女たちの人生における最大のイベントを必死で闘い、しかも劇的な逆転勝利で飾れたことが、W杯以上にアドレナリンを放出させたであろうことを思う。これは一種の宗教体験だろう。宗教活動である以上、そこに日常的な常識が入り込む余地はない。非難したところで彼女たちには屁でもあるまい。すでに感覚のスタンダードが尋常のものとは異なってしまっているのだから、異教徒であるわれわれのバッシングは、彼女たちには殉教の快楽をもたらすだけのものでしかない。そして、彼女たちにとっての奇跡は起こったのである。いったんこういう宗教体験をしてしまった末に、彼女たちは日常にもどれるのだろうか、案外、キツネが落ちたようにけろりといつもの状態を取り戻すのかもしれない。しかし、彼女たちの脳は、すでにあの快楽を知ってしまっているのだ。栗本慎一郎が『パンツをはいたサル』で唱えていた快感進化論を、読んだ当時はトンデモなものと笑っていたが、なにやら最近の若者の動向を見ていたら案外、当たっているんじゃないかと思えてきた。

 朝、アスペクトの村崎さんとの対談の起こしにチェック入れて返送。ここで刊行予定の日記本はまだ、企画が宙ぶらりんの模様。まあ、そのまま出すとなると一年分で原稿用紙1500枚近い超大作になってしまう。なかなか、刊行形式が決まらないのも無理はないが、一年以上企画が宙ぶらりんというのもあまり気持ちのいいものではない。その後は一日、扶桑社文庫版『トンデモ創世記2000』の校正についやす。本文部分の校正は大方すんでいるのだが、語りおろし対談部分、読み直してみるに、やはりテープ起こしの文章には満足できず。アスペクトのはただ即物的にしゃべっているだけだが、こっちの方の対談はヨタのように思えても、話しながら“テーマ”に収斂していかねばならず、それにはテープ起こしの次の段階での“構成”が必要不可欠となる。いろいろヒネクッてみたが、結局、『文藝』と同様に、自分の発言部分のみ全般的に書き直すことになる。それが原稿用紙にして30枚以上。つまり30枚の書きおろしに等しいわけである。対談相手の便宜も考えなければならないため、書き直しとは言っても相手の言葉には手を加えられないので、内容を明確にして比喩や引用なども正確にし、かつ元の相手の言葉に対応させなければならない。パズルみたいなもんである。これに熱中。

 昼はシオカラ、シャケ粕漬け、自衛隊糧食のタクアン(Y氏からもらった貴重品)でお茶漬け。そのあとも仕事々々。曇天だが蒸し暑い。仕事のはかどり方は大したことないが、仕事する気になるだけでもありがたいと思わねばならぬ。セブンシーズのM氏から土曜日のワシントンオペラのお誘いが来るが、無念、土曜日の3時はちょうどテレビクルーが撮りにやってくる。クラシック関係のお仕事ができる芸人さんは誰かいませんか、とのおたずねも貰ったがうーむ、誰かいるだろうか。心当たりなく、談之助さんに回す。

 結局書き直し、夕方6時に完成、データを扶桑社Nくん宛にメール。赤入れした元原稿の方は5時半にバイク便が来て受け取っていった。体がカチカチに固まっている感じなので、散歩兼用で外に出て、HMVを冷やかし、それから西武地下食品館で、夕食の素材を買う。缶詰など、仕事に追われているときの緊急用食材などもちょっと物色。

 帰宅して資料整理など少しやる。ネットで1日のアフガニスタンのアメリカ軍誤爆のニュースを見る。結婚式を行っていて、祝砲を打ったらそれがタリバンの攻撃と間違えられたらしい。……誤爆の被害者にはまことにお気の毒と思うし、アメリカ軍の行為は大いに責められてしかるべきだとは思うが、どうもヘンな話ではないか。その結婚式の現場というのはタリバンの本拠、カンダハルから170キロ北東の地で、その日は大規模な掃討爆撃が行われていたという。……こういうときに大々的な結婚式を挙げるか、普通。戦時中の日本を考えてみるといい。目立つ服装で歩いていただけで、空からの機銃掃射の目標になる、と憲兵から大目玉を食ったのである。いま、アメリカが血眼になって自国でタリバン狩りを行っているさなかに、ノンキに結婚式を挙げることをなんとも思わないのは、これは非常識の範疇であろう。結婚式がいけないと言うのではない。事態が事態なのだ。まして、祝砲をぶっ放すとは何を考えているのか、という感じである。これは、アフガニスタンという国が、結局は部族と部族の寄せ集め的国家だということの結果ではないか思う。もともと、『アラビアのロレンス』みたいな、あっちこっちに点在する部族をただ集めて国と名乗っただけのような連合国家なのだ。タリバンの連中がアメリカ相手に戦争していても、ウチの一族には関係ない、というような他人事気分が蔓延しているのではないか。

 それから夕食の支度。今日は冷凍庫の中のものを整理しなさい、とK子に命令されているので、豚肉薄切りを使って中華風鍋、それから冷凍の刺身用サーモンを使ってチャンチャン焼き。わっぱ飯はウナギがあったのでそれを使って、と思ったら、これは冷凍庫に入れていなかったためにパックの中でもう完全に腐っていて、袋をあけたらすさまじい腐敗臭がした。あわててビニール袋に入れて口を何重にもしっかり閉じて捨てたが、まな板や指に臭いがしばらく移って、嫌な感じだった。テレビで『そのとき歴史は動いた』、平民宰相原敬。原を藩閥政治に対抗し、平民として自分に誇りを持ちながら政治の改革に私を捨てて邁進した信念の人として描いていて、それはそれで間違ってはいないのだが、その裏で彼が藩閥政治に食い込むため、徹底して権謀術策を用いた、煮ても焼いても食えない政治家だったことも描かないと面白くない。番組では藩閥政治に徹底抗戦したようにだけ描かれているが、藩閥の親玉の長州の桂太郎に取り入り、桂内閣を実現する黒子として暗躍したのも彼なのである。彼が自分の平民という身分にこだわったのも、国民への人気を常に視野に入れた一種の宣伝であり(ヒトラーが一介の伍長という自分の階級を強調したのと同じだ)、必要ないところでまで“平民原敬”と書名してアピールしていた、いわば小泉流パフォーマンスの人だったのである。暗殺後、伯爵授与の話を妻の浅は辞退し、墓には遺言により原敬墓の三文字以外彫っていない。しかし、一方で国民に見えないところでの大勲位の位階はこれを受けている。“正二位大勲位平民”というのが死後の原の何とも奇妙な肩書なのである。カストリ焼酎三杯。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa