裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

25日

土曜日

ヒジョーに刺身ーッ!

 魚屋一角。朝3時半起床。眠い目をこすりながらパソコンの前に向かい、Web現代原稿。材料を並べて、こっちをこうあっちをこうと、がちゃがちゃとまとめていくうちに、雑然たる情報の寄せ集めが、ある一時点から突如“原稿”という形に変化する。この商売の醍醐味である。もちろんその完成度には高低があるが、しかし、売り物として通用するレベルになった、という手応えはしっかりと受け止められる。この“売り物”に対する目が、私のような職業的モノカキには大事である。1000円の値で売られる商品の製造に3000円、4000円かけていては店はつぶれる。かといって原価100円のものを1000円で売れば暴利だと文句がくる。1000円で売ってきちんとペイされる、その値踏みが自分の原稿に対して出来るかどうかが、モノカキを職業に出来るかどうかの境界線だろう。士族の商法が最近、増えてきているような気がする。原価を考えずにものを売るのだから客は喜ぶだろうが、すぐ店をたたまねばならない仕儀になりそうな商売をやっているところがやたら多い。

 6時にメールして、日記をつけ、7時半朝食。冷蔵庫の中にあったものをざっと片付ける。それからメール類に返事をしたりなんだり。案外サクサク片付き、30分ほど時間ができたので、先日原稿依頼のあったサイト紹介、どこらへんをやろうかとメモ変わりにちょこちょこワープロを叩いていたら、なんと5ツ、それぞれ150文字で原稿が完成してしまった。これにやはり150文字の自己プロフィールを加え、Sさんに送信。6月7日〆切の原稿がもう届いて、向こうも驚くことだろう。

 昨日、清川虹子死去。86歳。晩年は『ねじ式』『ガメラ3』『平成たぬき合戦ぽんぽこ』とすっかりカルト女優になっていた感あり。もっともガメラ関係の掲示板で“あのお婆さん誰?”みたいなことを言っているもの知らずもいたが。サザエさんのフネ母さんを今のファンはアニメの麻生美代子の上品な声でイメージしているだろうが、私らにとってはフネは江利チエミのサザエさんにおける、波平を尻に敷いているガラッパチな下町のお母さん、清川虹子であった。潮健児とは肝臓病仲間であって、東映の極道シリーズなどでさんざ共演した大先輩。潮さんの出版記念パーティでも発起人代表、また葬儀のときも委員長を務めていただいた。天下の清川虹子に“あら、あなたが潮ちゃんの社長さん? いい男だわねえ”と感心されたのは自分の容貌に関する、私の数少ない勲章のひとつかも知れない。もっとも伴淳を亭主にしていた人ではあるが。とにかく、本当にいい人だった。ただ、潮さんが清川さんを敬愛するあまり、私にも自分と同じ尊敬と親愛の情を彼女に抱くよう強要してきたのが、当時の私にはちょっと煙たかった記憶がある。潮さん一人で手一杯状態だった若輩者の私に、清川虹子は大物すぎた。結局、その気分を引きずったことで、清川さんと私の関係は潮さんの死で途切れてしまった。それがなければ私のような昔好きにとって、ロッパ一座などを肌で知っている彼女との付き合いは宝の山であったろうが。

 旅支度をして10時過ぎ、出掛ける。まだ午前中だがすでにして日差しは汗ばむほどで、空はあくまで青く、赤坂離宮近辺の緑はくっきりと濃くなっている。ああ、この季節の東京はいいな、と思う。今回はまだ北海道に帰るのは“帰省”だが、あと一年半ほどして、札幌の家が始末されれば(現在はまだ裏の土地を人に貸しているので売れない。その期間が切れるのが一年半後)母も東京に出てくることになり、札幌は私にとって幻の故郷になる。そうすると、こういう東京の緑が第二の故郷の光景になるのだろうか。

 羽田に11時過ぎ、到着。立ち食いできつねうどん一杯すすって、予定通り11時45分発札幌行きの111便。ところが乗って10分くらいしたとき、機長からのアナウンスがあり、エンジン部分に不具合があり、これを再点検する必要があるので一旦降りていただく、再出発は1時間後になる予定である、とのこと。本来、こういう場合はこの飛行機を整備場に返してたの飛行機を使用するのだが、当社にはそれだけの飛行機の余裕がないので、と正直なところを言う。これだからマイナーな航空会社は、と舌打ち。本来そこまで説明しないでいいところをこんな説明した故に無用の舌打ちを受ける。ぞろぞろと降りる際、スチュワーデスがニコニコ顔なのもいささか気にくわない。会社は笑顔ばかりでなく、こういう際の“申し訳ない”という表情も、 彼女たちに訓練させるべきであろう。

 出口でお詫びのしるしと、待ち時間の間の食事券1000円相当を手渡される。おみやげでもOKとのことで、K子は私の分も使って2000円の化粧品入れのポーチを買っていた。点検は1時間ほど、ということだったが、案外に早く40分ほどで再搭乗が開始された。ところが、こういうときには必ず、フラフラとその報せのアナウンスも聞こえないところに行っちまう奴がいる。“まだお戻りでないお客様をお待ちしておりますので”と、結局再搭乗してからさらに30分近く待たされた。日本人というのはとにかくこういうところがダメな国民である、と、別に海外での事情をよく知っている訳でもないのに、こういうときはいきなり国民論をふりかざしたくなる。

 フライトは別に支障もなく、1時間15分ほどで札幌千歳空港着。札幌行き列車も満席で指定席売り切れの状態だったが運よく自由席に並んで腰掛けられた。薬局へ向かう。母も豪貴も変わりなし。漢方薬などを買い込む。5時過ぎ、母の運転する車で自宅へ。なをき夫婦が先に着いていた。なをき、例により仕事を徹夜で片付けてきたらしくくたびれた表情。私も似たようなもんであったろう。母はさっそく料理にかかる。このタフさの源はどこにあるのか。

 夜7時、豪貴夫婦、千賀子さんが来て親族水入らずの食事。母が腕に縒りをかけて 作ったのは
・キノコのオリーブオイル和えハーブ風味
・コールドビーフクレソン添え
・ホワイトアスパラガスとキウイの生ハム巻き
・ライスコロッケ
・エビのホワイトソース自家製クレープ巻き
・ポテトのオーブン焼き
・海鮮おこげ料理
 まあ、一般家庭の料理だから見ばは悪いが味は最高。なかんずくライスコロッケは佳品、自家製クレープは絶品。逆に、これだけメシ作りのうまい母親の元で、私は自分も料理の好きな男だったが、その芽をつまれてしまったように思う。

 談論風発、なをきとウェイン町山の話になり、26億の借金、すごいねえと話していたら母、
「あら、そんなの大したことないわよ。うちの××××は147億だもの」
 そうだったそうだった、私の従兄弟(血はつながっていないが)である彼はバブル最盛期に、神戸サンテレビの支社長の職を投げ捨てて脱サラし、すすきのにサウナ、雀荘、フランス料理屋などを入れた娯楽ビルディングを建設し、見事に崩壊。147億の借金を抱えて、妻と三人の子供を残して行方不明となった。ビクビクしている義母(私の伯母)と奥さんに私が“いや、ヤクザだって金が欲しいんですから、逆に向 こうとビジネスの取引をしたらどうですか”と言ったら
「いえね、それがそのお金が元でヤクザの組同士の抗争が始まってしまって、取引とかするどころでないのよ」
 という話で、呆れて引き下がったことがあった。やはりバブル最盛期と今の差というのが147億と26億の差になって出ているような気がする。ちなみにその従兄弟は現在、某所のバーのママのヒモになってノウノウと(かどうかわからないが)暮らしているとか。山師的性格というか、そういうダイナミックさを持っている人物であり、私は案外彼を面白い人物だったと(今でも)思っている。親父もよく、“オレはあいつ、嫌いじゃないよ”と言っていた。147億の借金でヤクザの組同士に抗争を引き起こすなんてのは、また男子の本懐というイメージではないか。

 11時近くになって、急に目がカユくなる。まぶたの裏がゴリゴリしてきて、いかん、結膜炎が出た、とあせる。豪貴の指示に従って、親父の葬儀のときと同じく、サメの肝油の軟カプセルに穴をあけて、その油を目にさす。豪貴にも“なんで効くのかよくわからない”そうだが、これでこないだはドラスティックに(死んだ深海魚の目みたいなありさまだったのが一時間でもとに戻った)効果が出た。今度はどうか? ともかくも、疲れが限界点ということである。あわてて寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa