3日
金曜日
かもめの水平社、並んだ水平社
鳥の世に熱あれ、海鳥に光あれ。朝7時半起床。やっとサイクルが戻ったか。朝食はカニサラダサンド。風呂場で新しい柄でヒゲを剃り、その剃りやすいことに感動。なにもそんなことで感動しなくてもいい。しかし、1000円でこれだけの快適さが買えるのだから、もっと早くに取り替えればよかった、とは思わない。以前の柄にかけた1000円を、これだけの長期間使って十二分にモトはとった、という満足感もあるのである。
某掲示板で昨日のドームの評判を見る。チャイナの評判がむちゃくちゃにいいのに大笑い。総合的に及第点という私の見方が大してズレていないことを確認。しかし、思うにやはりプロレスは猪木まで、ではないか。プロレスというのは力道山、馬場、そして猪木と引き続いてきたカリスマあってのものではないのか、と思うのである。ジャンボ鶴田はついにこのカリスマを持ち得ず、長州力は一瞬、その輝きを見せたものの結局、それは個人を照らすに止まってしまった。時代そのものを照らすカリスマが、現代では出にくいとは必ずしも思わないが、小成でなんとなく満足できてしまうところが現代の難儀なところである。
『クルー』原稿書こうとするが書けず、昼に新宿へ買い物に出る。天候はまさに五月晴れ、歩行者天国で凄い混雑。歩いているだけでバテそうになるので、『アカシア』でいつものロールキャベツ、オイル焼きで昼食。それからさくらや、紀伊国屋、伊勢丹と回って買い物。3時から道出版のNくん(エンターブレインから変わった)と打ち合わせなので早めに帰ろうと思ったが、携帯に電話、30分遅れるというので、のんびりと渋谷へ戻る。東武ホテルロビーで待つが、いっかな来ない。Nくんと言えば遅刻、とほとんど代名詞になっているので、新聞など読みながら待つ。遅れるといった時間からさらに30分遅れてきた。社は変われど人は変わらずである。
道出版と言えば『チーズはどこへ消えた?』の便乗本で、本家より出来がいいんではないかとも言われた『バターはどこへ溶けた?』の出版社である。話ではこの便乗本で儲けて、一時は自社ビルを持つか、とまで勢いづいたそうである(都心に適当な物件がないので諦めたそうだが)。この出版氷河期のご時世にまあ、景気いい話である。Nくん、その景気のいいところでどんどん企画を出していきたいと言う。アリ原が使えそうなものについて、いくつかサジェスチョンする。個人的には、今度『チーズは・・・・・・』の扶桑社から本を出すことが決まっているが、チーズとバターの両方で本を出すというのがなかなかウケた。
あと、雑談しばし。個人的に大変尊敬している人が、奥さんの病気で、精神的にも経済的にも大変な状況にある、と聞いて胸を痛める。その人がまた、昔もので男らしく、外に出るときは一切、そんな様子を見せないでいる、というところがかえって涙を誘う。何か力になってあげたいと思うが、微力の身でどうしようもない。Nくんが別れ際に、道出版の親会社、松文館の社長が私のことを知ってるらしい、と言う。ああ、ソウカ、松文館と言えば貴志もとのり氏が社長ではないか。日野日出志先生の会でお会いして以降、貴志氏が出した佐藤まさあき氏の『堕靡泥の星』を書評させてもらったり、いろいろつながりは続いているのであった。業界は狭いわ。
帰宅して、さて今日じゅうにこれだけは、と、『男の部屋』原稿。7時半までになんとかまとめて、K子と編集部にメール。編集部はどうせ7日まで誰もいない。ワールドフォトプレス社は、休日は警備会社が全ての戸口に鍵をかけ、社員ですら出入り出来なくなってしまうのである。盆暮れにかかわらず編集部に泊まり込んで仕事をして、生まれた子供の顔を見たのが三ヶ月後、というような旧世代の編集・出版者の様子を曲がりなりにも知っている世代であるこちらからすると、時代だねえ、という感じである。
7時半、夕食のしたく。季節はずれだがカブが食いたかったのでみぞれ鍋風に豚鍋をつくり、あと、伊勢丹の鮮魚売場で、売れ残った大鯛を五月の節句用にと塩焼きにしたのがバカ安で売っていたので買って、ワサビ醤油でビールのつまみにする。8マンのDVD、水沢博士の気味の悪い美女ぶりに萌え。じっくり腰を落ち着けて飲もうと思っていたが、缶ビール小1本、茶碗酒3バイ程度でフラフラになり、就寝。内臓がヘバっているか?